59−3 お風呂
「よし、完成だ!」
とうとう完成したお風呂場に、皆が歓声を上げた。
蓋を開けると湯気が立ち、時間が経っているのにそこまで冷えていないのがわかる。釜の周囲を一段だけレンガで囲い、蓋がずれない工夫までされて、そちらからお湯も流れずに洗い場の床へお湯が流れた。お湯はしっかり外に流れて、そこに水溜りを作る。締め切っていれば暖かく、窓を開ければ換気ができた。
「一度湯に入らないと」
「足だけ突っ込みます」
裸足になってスカートを捲り上げ、下に履いていたズボンも太ももまで上げて、気にせずそのまま入ろうとすると、なぜか皆が騒ぎだした。足が出ただけで、バイロンが後ろを向け! と職人たちに命令する。何事?
「レナさん、確認したら言ってください!」
そして扉を閉められてしまった。何事?
これはあれか、足を出すなとか、そういうやつだろうか。閉鎖的な時代ならありそうな感覚だ。たしかに女性たちはロングスカートを履いている。足元は短めのブーツが多い。出ていてすねくらい。
サンダルを履いていて何か言われたことはないが、ロングスカートを履いていたためセーフだったかもしれない。ミニスカートでサンダルだったら、驚かれたかもしれない。
「明治初期、いや、江戸時代くらいで考えておいた方がいいのかな。この場合、中世か」
夏に半ズボン履いていたらどうなるのだろう。そこまで暑い季節が来るのか知らないが、キャミソールに短パン履いていたら、白い目で見られるかもしれない。気をつけよう。
釜の中にある木を踏みつけて、底の熱さは問題ないか確認する。全体重をかけなければ板は沈まない。両足を入れて入ると、やっと板が沈んだ。お湯がしっかり入っていたのでズボンまで濡れたが、気にしない。火傷するような熱さは感じず、良い温度だった。
冷えていた足がじんとして熱さを感じたが、少しすれば心地良くなった。
最高すぎて、ふるふる震える。
「かん、ぺきです! 最高です!!」
「それは良かった!」
扉の向こうで、もう一度歓喜の声が聞こえた。
完璧すぎて感動した。ぐるりと見回して、お風呂の出来にしみじみ思う。ただ、底の木も蓋の木も、腐食を遅めるために、毎回乾かして使わなければならない。お手入れは大変だ。
このまま脱いで入りたいが我慢して、釜から出る。タオルを用意していなかった。濡れたままで気持ち悪いが、ズボンはちゃんと下ろして、裸足で出ると、途端寒さに凍えそうになる。
「き、着替えてきます!」
これは寒い。めちゃくちゃ寒い。脱衣所がないため、服を湯殿に置くことになる。それは避けたいので、お風呂と裏口をすのこでも敷いて繋げ、すだれのような物で通路を作ろうと思っていたが、通るだけでかなり冷えた。
完全に繋げてしまうと、井戸水を運べないし、入り口は必要だ。それでも、木で軽く囲うくらいした方がいいかもしれない。寒すぎる。
「でも、最高だよ。お風呂。念願のお風呂! 沸かすのに結構、かなり、時間かかるけど、いいよ。素晴らしいよ」
これで作業がはかどる。薪を集める必要が出てきたが、後で温かい風呂に入れると思えば頑張れる。
うっきうきで一階に戻ると、なぜかしんとして、物音一つ聞こえなかった。なにかあったのかと裏口を開ければ、ガロガに跨ったオレードが目に入った。
「あれ、オレードさん、お疲れ様です」
「やあ、レナちゃん。今日は、随分人が集まっているんだね」
「お風呂作ってもらったんです」
「風呂?」
オレードは、今日は一人らしい。ずっと外にいたのか、鼻の頭が赤くなっていた。そんな時こそお風呂が必要だろう。オレードは興味津々とお風呂をのぞいた。
「僕の知っている風呂とは違うようだけれど、不思議な形だね」
「職人さんたちが、工夫して作ってくれたんです」
「へえ」
オレードが皆を見回す。オレードに睨まれたわけではないが、皆が身体を強張らせた。
ヘビに睨まれたカエルのようだ。忘れていたが、彼らは討伐隊騎士を畏怖するのだ。嫌悪しながら恐れを抱く。オレードが悪い人ではないのに。
「皆さんの腕が良くて、めちゃくちゃ助かってるんです。もっとかかると思ってたのに、一日で終わっちゃいました」
「認可局に申請するのかい?」
「しないですよ。私が全部設計したわけじゃないですから。皆さんの努力の賜物です」
「そう」
オレードは柔らかく笑うのに、皆は緊張したままだ。話しているのを見て、怖さはなくなるかと思ったが、そうでもないらしい。長年の偏見はどうにもならないか。
「バイロンさん、残りのお代、持ってきます」
「いや、後で大丈夫です! 使ってみて、不具合がないか教えてください!」
声をかけた途端、皆は片付けはじめた。すぐにでも帰りたいという雰囲気だ。
「じゃあ、お菓子持って帰ってください。オレードさん、お茶いかがですか?」
「もらってこうかな」
「ちょっと待っててくださいね」
オレードを部屋に促して、作っておいたお菓子を紙に包む。塩味の焼き菓子だ。お酒を飲むかわからないが、つまみになるかなと思い、塩っぱめにした。
皆の片付けるスピードが早い。焼き菓子を包み終わる頃には、片付けが終わっていた。
「ありがとうございます。気をつけて帰って」
言っている途中で逃げるように去っていってしまった。そこまで怖がらなくてもいいのに。なんだか寂しくなってくる。
「ごめんね。僕が来ちゃったから」
「とんでもないです。来てくれてうれしいですよ。狩りの時あんまり話せなかったし」
「行方不明になった時は心配したよ」
フェルナンがいたから大丈夫だと思ったけれど。そう付け足すあたり、フェルナンへの信用は抜群だ。実際そうだった。
「それでね、レナちゃん。実は、君にお願いがあって来たんだ」
「お願いですか? なんでしょ」
お願いされることなどあるだろうか。オクタヴィアンのように料理ならなんとかなるが。
オレードは笑顔ではなく、神妙な面持ちで玲那を見つめた。簡単なお願いではなさそうだ。椅子に座わって話を聞くと、意外なお願いをしてきた。
「建国記念日、ですか?」
「そうだよ。建国記念日は多くの貴族たちが王宮へ向かう。オクタヴィアン様はもちろん、フェルナンも行くことになるだろう。その時に、一緒について来てほしいんだ。もちろん旅費は出すし、それ相応のお礼もする」
「お礼はいりませんけど」
旅費もなんとかなるだろう。しかし、どうしてその建国記念日に、玲那がついていかなければならないのか、それが疑問だった。
オレードは申し訳なさそうに眉を下げた。
「フェルナンがね、君に心を許しているようだから、都にいる間、あの子の側にいてほしいんだ。あの子は都が苦手でね。王宮に連れていくことはないと思うけれど、その間、見張っていてほしいんだよ。食事もしなくなりそうだから」
都に行くと、フェルナンのメンタルに支障が出るようだ。見張るのは構わないが、フェルナンが嫌がりそうな気がする。考えあぐねていると、オレードはもう一度同じことを言った。
「君なら、大丈夫だよ。フェルナンは君が側にいても嫌がらないし、気を許している。あの子を見ていてくれるだけでいいんだ。同行が決まればの話で、まだ決定ではないのだけれど」
真面目な話。オレードがフェルナンを憂いている。それならば、力になれるようにしたい。
玲那が頷くと、オレードはホッと安堵した顔を見せた。




