57−2 雪の中
「あわわわ」
なまじスピードがあるせいで、どちらに逃げればいいのかわからない。逃げる方向に飛んできて、玲那は悲鳴を上げそうになった。魔法が飛んできて、巨大コウモリが奇声を上げる。
「下がっていろ!」
怒鳴り声はフェルナンのものだ。下がりたいが、どこに下がればいいのだろう。遠目に大きな木が見えたので、すぐにそちらへ走る。低木では隠れられないので、とにかく上からの視界に入らないようにしなければ。
巨大コウモリは数羽飛んでいる。急降下してくるコウモリ以外は空で旋回していた。急降下する隙を狙っているようだった。
急下降する巨大コウモリに、フェルナンが剣を振りかぶる。それで斬れるのか? と思う前に、巨大コウモリの片翼がすぱりと斬り落とされた。咆哮が轟き、玲那は両手で耳を塞いだ。高音の雄叫びが、耳をつんざく。頭痛がしそうなほどの音で、皆が耳を塞ごうとする。その中、ローディアから光の魔法がほとばしった。フェルナンがそれに反応するように飛び上がり、巨大コウモリの遥か頭上から突き刺すようにとどめを刺した。
「すごすぎ」
あれは食べられるところがあるのだろうか。料理長が近寄っているところを見ると、食べられる部位はあるのだろう。とはいえコウモリとか、病気持ってないの? などと不安に思う。そればかり不安になる。
素手で解体していないだけましか。神経質すぎるだろうか。気になって仕方がない。
「お、なんか実があるじゃない?」
巨木の陰に隠れれば、足元に赤いものが見えて、玲那は座り込んだ。木の根元に梅のような丸い赤い実がある。梅とは違い、木の根っこから細い茎の頭にいくつか生えていた。
「実っていうか、キノコっていうか」
色が完全に毒キノコだ。直接触ると炎症しそうな色をしている。見た目は硬そうで、熟してはいない。この時期にこの色だ。冬に花が咲いて実がなるのだろうか。しかし、毒々しい。この手のものは大抵毒だろう。やめておいた方がいいかもしれない。
ちょい、っと足先で小突いてみる。粉が出るとかはないが、蹴った実が、コツン、と隣の実にぶつかって音を出した。それが連鎖するように隣の実に当たり、コツコツと続けて音が鳴った。
「あっ、それに触るな!」
「え、なに?」
「レナ!」
料理長が呼んだ瞬間、足になにかが絡まるのを感じると、いきなり足元が浮いて玲那は地面に手をついた。転んだのかと思えば、その地面から一気に離された。
「わあっ!」
「レナ!」
バンジージャンプで跳ね返ったように、足から宙に引っ張られた。一瞬すぎて、身体中の血が頭に下がった気がする。めまいを感じて目をギュッとつぶった。
一体なにに引っ張られたのか。宙吊りにされてカバンがひっくり返り、ばらばらと荷物が地面に落ちていく。
「ああっ、拾ったものがー!」
高所恐怖症ではないが、カバンに入っていた物が地面に落ちるまで少し時間がかかったのを見て、ごくりと息を呑む。三階。いや、四階くらいの高さか?
「お前の心配はそれだけか! 落ちたら死ぬぞ! 枝を掴め!」
枝ってどこよ、口にする前に、赤いリンゴのような巨大な目と目が合った。
背筋が凍りそうになる。巨木の後ろに、もう一本、巨木があった。木目のような窪んだ部分に、赤い球のような目が二つ。藤の蔓のように伸びた太い枝が巨木にからみ、蛇のようにうねって這っていた。
玲那の足を掴んでいるのも、その枝だ。
「ホロリードだ!」
下の方で叫ぶ声に混じって悲鳴が聞こえる。他にも同じようなホロリードと呼ばれた巨木のお化けが地面を這って、うねうねと枝を這わせた。
木に擬態した魔物だ。巨木と同じ古ぼけた木の色をして、どれが手足なのか、いくつもの枝を這わせてトカゲのように巨木を移動する。いくつかの枝の先っぽに、赤い実がついていた。疑似餌だったらしい。
あれを蹴った末路か。木に擬態しているだけあってどこに口があるのかわからない分、まだ恐ろしさはないが、この高所でぶら下がり続ける体力はいつまであるだろう。
「ううっ。頭に血が、」
しかも両足を掴むのではなく片足だけ掴んでいるため、左足だけが固定されていた。全体重がその足にかかっている。膝から足が抜けそうなほど痛いし、玲那を吊ったまま移動するので、その揺れで気持ち悪くなりそうだ。
せめて逆にならないと。足りない腹筋で頭を持ち上げて、自由になっている右足を鉄棒に引っ掛けるように枝にからめようとする。ちなみに、生前鉄棒で逆上がりができる体力は持ち合わせていなかった。枝に足をからめようにも、元の身体の運動不足さで、鉄棒を再現できない。
「う、吐くから。動くなってば!」
地面を這っているホロリードは、器用に枝を使い四つん這いになって人々を機敏に追いかけているが、玲那を掴んでいる木はゆっくりと隣の巨木に移動しようとしている。
なんとか体を起き上がらせて、玲那は自分の足を掴んでいる枝に抱きついた。鱗みたいな肌触りで、思った以上に太さのある枝だ。
ナイフを持っているが、突き刺して枝が取れるだろうか。
地面は雪がしっかり積もっている。あの雪の上に降りれば、そこまで怪我をしないかもしれない。
ホロリードはのっそりと動いていた。地上にいるホロリードは立ちあがって、人々を薙ぎ倒そうとした。枝を鞭のように伸ばして攻撃してくる魔物に、皆が翻弄されている。まだコウモリとも戦っているため、こちらに応援が来ないのだ。
このままではどこかに連れて行かれてしまう。頭の上にリリはいるのか、動く気配はない。そこまで危険ではないということだろうか。ここでビットバは使えない。ならば自力で降りるしかない。
ホロリードが動くたび枝は上下して、雪に足が届きそうになるが、すぐに宙に浮いた。
ままよ。
玲那は雪に近づいた瞬間、ポケットにある一袋を、ホロリードの目に投げつけた。
途端、甲高い悲鳴のような音がホロリードから発せられると、枝でその目を覆った。しかしまだ玲那の足を離さない。別の手に持っていたナイフを枝に突き刺せば、もう一度ホロリードが雄叫びを上げた。
余っている枝を振り回すように暴れる。玲那を掴んでいた枝も玲那を放り投げそうなほど動かした。
足に絡んでいた枝が緩んだ。ただ、降りられるほどの低さではない。逆に突き立てたナイフに全体重が乗って、それで振り回される。ナイフを持っていられない。
「レナ!」
フェルナンさん、口にする前に、枝が勢いよく振られた。
一瞬、目が回って、どこに地上があるかわからなくなった。
雪が積もった地面か、山の雪面か、それとも、白い雪景色ではなくただの空なのか。それが判別つかないほど、視界がスピードを上げて移動したように見えた。
ほら、まるで、アニメとかの、高速移動シーンみたいに。
あ、これは、死んだわ。
リリが頭から離れるのが見えた。あれは空で、空を見上げながら落下しているのか。いや、そんなことを考えるほどの高低差はない。なのに、地面に落ちる感覚がない。
真っ白な世界に、吸い込まれるような感覚。自分がどこにどう移動しているかもわからなかった。
遠くで、雷の音が聞こえたような気がした。




