6.帰国前に
「ヴィー、明日わたくしたちはイタリアに戻るけれど、あなたはどうしたい?」
一緒に行く、と雪弦は即答した。これ以上両親と離れていることは、雪弦には到底我慢できそうにもなかった。
その日の午後、雪弦は王来王家邸に来訪した。
「まぁまぁ、雪弦ちゃん。今日もかわいいわねぇ。」
「母上、本当に気持ち悪い。いい加減やめたほうが良いと思う。」
王来王家夫人の頬擦りと同時に、颯雅の毒舌が飛ぶ。ここまではいつもと同じ、恒例の挨拶だった。
「今日くらいいいじゃない。今回を逃したら、次に会えるのはいつになるのかわからないもの。」
「また明日、会えるんじゃないのか?母上の仕事は入っていなかったはず。」
眉をひそめた颯雅に、夫人はゆっくりと言い聞かせる。
「颯雅。雪弦ちゃんはご両親がお迎えに来たから、イタリアに帰るのよ。」
「……は?」
低い声を出した颯雅の顔は、なんとも不機嫌そうにゆがめられている。そんな彼の様子を初めて見る雪弦は、おびえたような動きで夫人の陰に隠れた。
「なんで、こんなに急に?」
「お父様の代理の体調が少し回復したのと、今回の件の後始末にひと段落がついたことが理由らしいわ。」
「へぇ~。」
じゃぁ、その代理が回復しなきゃよかったのに。続いたその言葉に、雪弦は目を見開く。
「なんで、そんなこと言うの?フェデリコは、何にも悪くないじゃない!」
瞳に涙を浮かべる彼女に、ハッ、と馬鹿にしたような笑みを向ける。
「そいつさえ回復しなきゃ、もっと長いこと日本にいられたんだろ?そしたら、僕と―――」
こらえきれなくなった雪弦が夫人にしがみつくのと同時に、パンッ、と音が響く。夫人が、颯雅の頬を平手打ちしたのだった。
「やめなさい。颯雅、わたくしはそんなひどい子にあなたを育てた覚えはありません。最低一週間、部屋で謹慎しなさい。自分を見つめなおすのよ。」
「なんでだよっ。おい、雪弦も何か言えよ。」
彼女は、立ち上がった夫人の肩から顔をゆっくりと動かす。
「……嫌い。大嫌い。」
涙交じりの硬い声でそう言い、拒絶するようにさっと顔を戻してしまった。
颯雅はショックを受けたような顔で固まったが、しばらくするとわめきだした。夫人は息子の罵詈雑言を聞かせてこれ以上傷つけないよう、雪弦の耳を手でふさいだ。
「誰か連れて行きなさい。絶対に部屋から出さないように。」
集まっていた使用人たちに厳命すると、夫人は雪弦を抱きなおし、ランディクアロリス邸へと向かった。
◇◇◇◇◇
「マンマ?パパ?」
雪弦が目を覚ました時には、すでに外は真っ暗だった。時計の針は、八時を過ぎていた。
「ヴィー、大丈夫か?」
「フェデリコについて、颯雅くんが色々といったようだけど、気にしなくていいのよ。」
「……?フェデリコと颯雅が、どうしたの?今日は颯雅とおもちゃのことでけんかして、そのあとに疲れて寝てしまっただけのはずだけれど……。」
雪弦の記憶は、精神的ショックで塗り替えられてしまっていたのだった。
20,7,2024