4.猫かわいがりと毒舌
突然の凶報に、紫とラファエーレは言葉もなく固まっていた。まだ幼い雪弦もその聡明さによって理解はしたが、子供ながらの柔軟性で早々に事実を受け止めたようだった。
「マンマ、パパ。早く、行って差し上げないと。」
その言葉で我に返った彼女の両親は、来たその日のうちに、あわただしく出国していった。
―――雪弦を日本に残して。
◇◇◇◇◇
大きな邸宅の前に、一台のリムジンが停車する。
「いらっしゃい、雪弦ちゃん。」
王来王家夫人は、にっこりとほほ笑む。
「ん~、今日もかわいいわねぇ。」
雪弦に頬擦りするところまでが恒例の挨拶だ。
「母上、ちょっと気持ち悪い。自制して。」
いや、颯雅の毒舌までのワンセットが、恒例の挨拶と言えるだろう。
あれから二週間。日本に置いて行かれた雪弦の日中の世話は、彼女の両親と親交のあった王来王家夫妻が快諾した。そのため、彼女は毎日王来王家邸まで遊びに行くことになったのだ。
「雪弦ちゃん、今日はお仕事が入ってしまったのよ。本当は、わたくしも一緒に遊びたいのに……。」
「母上、ちゃんと自制して。大人の威厳はどこに消えた。面倒くさいぐらい粘着質で、いっそストーカーみたいだ。」
実の息子の暴言に、夫人は雪弦にぎゅうっとしがみついてわざとらしい噓泣きをしてみせる。
「まぁ、ひどいわ。こんな子に育てた覚えはないのに。それに、本心を言っているだけなのよ、雪弦ちゃん……。」
「なら一層気持ち悪いし、たちが悪い。理性総動員して自制して。」
今日も、いっそ気持ちいいくらいの毒舌ぶりは健在、絶好調であった。
◇◇◇◇◇
子供の高い声が、今日も響く。調和のとれた中庭を望むことができる、大きなガラス窓のある回廊を行き交う使用人たちは、微笑ましげに二人を見ていた。
「雪弦、こっち!早く!」
さりげないガーデニングの美しさが際立つ、ナチュラルガーデン。全盛期の花々の間で、とたとた……と、軽い足音がリズムを刻む。
「颯雅!捕まえたわ!」
先ほど駆けて行った雪弦の腕の中には、真っ白でふわふわな毛玉が鎮座していた。
のぞき込めば、碧色のつぶらな瞳で見つめ返してくる。そんな子猫の魅力に、二人は一瞬にしてノックアウトされ虜となった。
「颯雅様、雪弦様。何を見つけられたのですか?」
お目付け役の、のんびりとした口調の女性が近寄ってきたため、二人は子猫を見せ、飼いたいくらい可愛いのだ、と口々に言った。
「あらまぁ本当に可愛い―――じゃなくて、残念ながらその子は、他家で養われているんでしょうねぇ。」
たしかに、美しい毛並みはシルクよりも手触りが良く、清潔だ。そして決定的なのは、その首に巻かれている首輪。小さな鈴のついたそれも、真っ白な毛皮の中のチャームポイントの一つだといえるだろう。
「ふ〜ん、そっか……。」
「なら、しょうがないわね……。」
落ち込んだ二人を慰めるかのように、ちょいちょい、と子猫は小さな前足と尻尾を動かした。幼い子どもたちは、その可愛らしい仕草に思わず笑顔になった。
それから数分後。子猫は不意にじたばたし始めたと思うと雪弦の腕からすり抜け、とてとてとて、と歩き始めてしまった。
「あっ……。」
彼女は急に離れていってしまったぬくもりに手を伸ばそうとしたが、何を考えたのか首を左右にぶんぶんと振った。
「子猫さん、またね。」
ちょっと唇を尖らせてはいたが、颯雅も彼女に続く。
「……Bye-Bye.」
なぜか気取って慣れない英語で言おうとしたが、雪弦にくすくすと笑われてしまった。
「“Bye-Bye”は、和製英語よ。英語で言いたいなら、“Bye”は一回じゃないと。」
無駄に発音が良かったため、そのちぐはぐさは一層目立ってしまっていたのだ。
「ん、覚えとく。」
雪弦と颯雅は顔を見合わせてにっこりと笑顔を作る。そして、とととと……と、真夏の香をさせたそよ風の間をぬって去ってゆく子猫に、視線を移す。
「Bye.」
発音良し、タイミング良し。息ぴったりに揃った、気取ったそれに続いて子どもの飾らない笑い声が響く。
ちんまりとした肉球の跡がついた小さな手を二人が振ると、それにシンクロして、白くふわふわとした尻尾が左右に揺れたのだった。
6,7,2024