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記憶 未来の君へ  作者: 茉瀬 薫
Ⅱ 雪弦の幼少期への追憶
10/14

3.フェデリコの日記より

<7月20日>


今朝は日の出前に起床。今日は何としても成功させなければならない、会社にとって非常に重要な会議がある。眠い目を覚ますために冷水でよく顔を洗い、髭を剃り、糊付けとアイロンが念入りにされたスーツとしっかりと磨かれた革靴を身に着ける。小鳥がさえずり始めた頃、迎えに来た秘書、シルヴィオとともに車に乗り込んだ。一日中開いている、行き付けのカフェ、Bar Sotto L'alberoに寄り、コルネットとエスプレッソを購入。フライト中に飲食する。香り良し、味良し。本当に、最高だ。今度ランディクアロリス一家が戻ってきたら、また差し入れに持っていこう。是非同志になってほしい。それまで何度でも執念深く持って行ってやる。まだ幼いご令嬢を餌付け―――いや、まだ幼いご令嬢には念入りに、毎日でも。習慣とは恐ろしい物。慣れ親しんだ味も恐ろしい物。幼い頃からの情熱の炎は未だ消え去らず。ローマのフィウミチーノ空港を早朝便で出発し、約三時間半のフライトを経由してベングリオン国際空港に到着予定。(午前7時、国際便機内にて。)


冷房の効いた機体から一歩出れば、まだ朝だというのに熱気が押し寄せた。スーツの上着を脱ぎつつ移動。現在、空港に併設されているカフェにてチェックアウト待ち。エスプレッソを頼んだが、あまり香りが良くない。パニーニも頼んだはずなのだが、遅い。もう既に、Bar Sotto L'alberoが恋しくなってきた。早く帰りたい。だが、ランディクアロリス一家のために頑張らなければ。(午前9時30分、ベングリオン国際空港併設カフェにて。)


ようやくパニーニが来たのだが、こちらは中身が少なく、味が薄い。しかも、パニーノだった。それに、ロビーのほうが騒がしい。発砲音や悲鳴が聞こえる。一体、何が起きているんだ?まずい。近付いてきた。隠れなければ。(午前9時40分、先ほどと同じカフェにて。)


幸いにもバーカウンター近くの席だったため、従業員もいるカウンター下にシルヴィオとともにに潜伏。このまま見つからないと良いが。すぐそばで発砲音がする。もう来たようだ。少し離れたところでは、爆発音もしている。おそらくテロだろうが、空港警備員や警察は何をしているんだ?すぐそばで人が倒れる音。数人分の、硬い靴音が響く。おそらく実行者だ。隣ではSOSを方々に発信している、息の荒いシルヴィオが、脂汗を浮かべながら震えている。僕はこれを書いて、それなりに感情の発散や思考の整理などができているいるからまだましだろうが、おそらく彼とそう変りない状態だ。襲撃者たちが、何か話している。ヘブライ語、アラビア語と続く。僕もそれなりに勉強してきたが、早口な上に俗語も多いらしく、上手く聞き取れない。聞き取れたのは、「殺す」「手」「並ぶ」「逃走」位。英語で話し始めた。

死にたくなかったら言うとおりにしろ。両手を頭の後ろに回せ。カウンターの前に移動したら、一列に並んで胡坐で座れ。ゆっくり行動しろ。逃げようとしたり、急に動いたりしたら容赦なく撃ち殺す。

次の瞬間、舌打ちとともに数発、銃声が響く。うめき声とともに、どさり、と重いものが倒れた音がする。誰かが無謀にも逃げようとしたらしく、襲撃者たちは悪態をついている。(午前9時50分。)


全員、移動し終わったようだ。襲撃者たちは、こちら側には気が回っていないようで、隠れている僕たちにはまだ気づいていないようだ。板の向こう側から、座っている人の気配がする。先ほどからまた数人、銃撃された。再び発砲され、外したらしき銃弾がカウンターを貫通。カウンター内の床を数センチ抉った。それを見てももうあまり恐怖を感じなくなったのは、感覚が麻痺してきたからなのだろうか。シルヴィオの恐怖心のほうはまだ健在らしく、もはや半泣きで震えている。それでもスマートフォンを手放さず、支援要請を送り続けているのは流石と言うべきか。果たして、僕たちは助かるのだろうか。生きて、家族に、友人たちに会えるのだろうか。もしここで死ぬのならば、遺書でも書いておけばよかった。あの、ばかげた雑談が最後の彼らとの会話となるのだろうか。イエス様、主よ、我らを守りたまえ。生きて、皆のもとに帰ることができますように。(10時05分。)


すぐそばに漂う、濃密な死の気配。漂っていたコーヒーの芳香は、血の香りと混ざり合っている。貫通した銃弾によって、僕は左肩、シルヴィオは右上腕部を負傷。現在10時20分。遠くでサイレンの音と、行き交う銃声がする。爆発音。投降するよう促す、大音量での告知が聞こえる。あぁ、早く、速く。助かりますように。せめて、僕の命と引き換えでもいいから、隣のシルヴィオだけでも。彼は、大家族持ちだ。愛情あふれる家に、悲劇をもたらしたくはない。本当は、僕にも家族が――愛する妻と子供たちが――いるから、生きて帰りたいのだけども。再び、この、血に染まった日記を僕の手で開く日が来るように。あえて、さようならは言わない。きっと、生きて、帰れるはずだから。(11時15分、ベングリオン国際空港併設カフェ、バーカウンター下にて。)

以下用語解説。

<Bar Sotto L'albero>イタリア語(本格的に勉強しているわけではないので、少し不自然かもしれません)。日本語訳:木の下のカフェ

<パニーニ>panini パニーノの複数形。

<パニーノ>panino パンで具材を挟んだ、イタリア料理の軽食。単数形。イタリア語で「小さなパン」を意味し、パン(pane)に由来する。

24,6,2024

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