手遅れだとまだ知らない―グレン視点―
「いい加減にしろグレン。お前とロリーナ嬢の婚約解消は私やカラー侯爵も納得するしかないと判断している」
冷たく、微かに怒気が含まれた父の声が頭を下げる俺に無慈悲に突き刺さった。人に何と言われようとロリーナと婚約解消をするのは嫌だった。俺の一目惚れで無理に婚約を調えてもらったのに、いざロリーナと会うとクリスタやロードのように接せられず、冷たい態度しか取れなかった自分に驚いたのは俺自身。
初めてロリーナを見たのは忘れもしない。幼い頃、両親と行った花祭り。街の中央に設置されている大きな花壇の前で自由に踊るロリーナを見て一瞬時間が止まった。ピンク色の花々が咲き誇る花壇の前で踊るロリーナの可憐な姿は、正に妖精の二文字がピッタリだった。暫く呆けていた俺は、いつの間にかいなくなっていたロリーナを探そうと視線を彷徨わせるが母に声を掛けられ渋々その時は離れた。
翌日、花壇の前で踊っていた少女が誰か知りたくて、光景を見ていた両親に聞くとカラー侯爵家のロリーナだと教えられた。カラー侯爵は魔法技術において特許を持つ、魔法研究が得意な一族だ。
父上に頼み込んでロリーナとの婚約を調えてもらい、顔合わせの日が決まった。ロリーナと初対面する前日、幼馴染のクリスタに呼ばれ登城した。この頃からロードはロリーナの姉セレーネと婚約していた。婚約者の妹ならロードは詳しく知っているだろうと期待し、お茶の場にロードも呼んだ。
ロードを待つ間、俺がロリーナと婚約すると聞いたらしいクリスタから衝撃的な話を聞かされた。
『グレン可哀想。ロリーナ様って、カラー侯爵を誘惑した踊り子が産んだ子よ。しかも屋敷では、自分の美しさを利用してセレーネ様を虐めたり、侯爵夫妻に我儘放題って噂よ』
『え……』
『良いのは見た目だけなのに。グレンに同情する。シュタイン公爵ってば、カラー侯爵家の魔法技術が欲しいからってグレンを生贄にするなんて』
俺は頭が真っ白になった。ロリーナは見目は妖精でも、中身は悪魔だったってことか?
俺の一目惚れっていう理由は恥ずかしいから、カラー侯爵家の魔法技術を理由に婚約を結んでくれた。
放心していたがクリスタの言っている噂が間違いの可能性もある。騎士がロードは急用が発生し来れなくなったと伝えに来る。ロードから話を聞くのは後日にしよう。クリスタから聞かされる話に反論しても、王女付き侍女までロリーナの噂は事実だと言う。王宮で働く侍女の殆どは貴族だ。故に貴族家の事情に詳しい者もいる。
胸のもやもやを抱えたまま、ロリーナとの顔合わせの日が来た。
向き合って見るロリーナは花壇の前で踊っていた時より可憐で愛らしかった。真っ赤な頬で自己紹介した姿はあまりに可愛くて、俺の方が倒れそうだった。……けれど気付いてしまった。ロリーナを見る侯爵の冷たい瞳に、夫人の複雑な姿に。姉のセレーネは風邪を引いたとかで同席は無理だった。
……良いのは見目だけ、中身は悪魔。クリスタの話は強ち間違いではないのかもしれない。
ただ、ロリーナ自身への第一印象は悪くなかった。濃い紫色の瞳はカラー侯爵と同じようだが青みがかった銀髪だけは、侯爵家の誰とも同じじゃなかった。話し掛けると緊張気味で固くはあったが次第に慣れてきて、ふんわりと微笑んだロリーナの愛らしさといったら言葉では表現しきれない。美貌の踊り子に惑わされた侯爵が犯した過ちを、子供ながらに俺は理解してしまった。ロリーナの母もきっとこれ程までに愛らしく異性を惑わせる女性だったのだと。
……だが内心ロリーナの可愛さに当てられながらも、表面はそうはいかなかった。クリスタや周囲の噂を信じている俺の態度はきっと褒められたものじゃない。現に、顔合わせが終わり屋敷に帰宅した俺は父上に叱られた。
俺から婚約をしてほしいと頼んでおきながら、他人が聞いて驚く冷たい態度に誰よりも驚いたのは両親だろう。
心はロリーナへ傾いているのに、頭の中は彼女への悪い噂で一杯だった。
それからは婚約者になったのだからと月一で会った。その間にもロリーナの悪い噂は増えていくばかり。令嬢間の噂に詳しいクリスタが教えてくれなかったら俺は知らない事ばかりだった。何度も父に苦言を呈されるも、こんな噂が広まっていると言ったら心底呆れ果てられた。
最後には「好きにしろ。ただ、後悔しても知らんぞ」と。初めは何を言っているか分からなかったが――婚約解消を求められた今なら分かる。
ロードからは何度もロリーナの噂の殆どは出鱈目で、セレーネとの関係は極めて良好だと言われた。なら何故噂が回るのだと聞けばクリスタが故意に広めているからだと。
『クリスタが? 何故だ』
『お前、本気で言っているのか?』
『ロード、クリスタは妹だろう。自分の妹を悪く言うなんてどうかしている』
『どうかしているのはお前の方だ。ロリーナ嬢に一目惚れして婚約をしてもらったのに、そのロリーナ嬢を信じてやれないのか』
『……』
俺がロリーナに会う時、噂で聞く我儘放題なところやセレーネ嬢を虐めているという場面は見ていない。いつも愛らしい笑顔を浮かべ、何も答えない俺に対し懸命に話をした。ロリーナに惚れているのに噂が嘘だとも思えず、他者やクリスタになら出来る振る舞いがロリーナにだけ出来なかった。
俺が見ているロリーナは俺だけにしか見せないのなら、噂の真実性も高まる。大体、何もしていないのなら何故ずっと悪い噂が続くのだ。
ロードが心底呆れ果てた相貌を浮かべた。父上に似ていた。
ロリーナに優しく出来ない理由はもう一つあった。
カリアスだ。俺の従兄で――ロリーナに惚れている。
ロリーナはカリアスにとても懐いていた。屈託ない笑顔や魔法を見る度に喜ぶ姿を俺には見せないくせにカリアスには見せていた。
余計ロリーナに対し冷たくなった。それでもロリーナからの気持ちは変わらなかったのを良い事に俺は甘えてしまったんだ。
「グレン様、そろそろお時間です」
「分かった」
今日の花祭りの為に贈ったドレスは例年以上に気合を入れた。
ロリーナは気に入ってくれるといいが……。
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