08
――いつもの席は、今日からずっと空席だ。
レティアと王太子の二人だけの食事会は、アーウィン家と王家が家族ぐるみで付き合うようになってから初めてである。大抵の場合は、体裁もあり王太子の婚約者であるアメリアが同席していたのだ。三人で食事が出来るように……と椅子だけが未だにあって、ポッカリと空いた席の違和感が、アメリアの不在を示している。
チラチラと空席の方ばかりに視線を向ける王太子に痺れを切らして、レティアはわざとらしく話しかける。
「どうしたの、王太子様。そちらの空いた席が何か?」
「いや……地味だの何だの散々な言われようだったが、アメリアはよく見ればかなりの美人だし、優しい人だったし。いなくなると寂しいのは確かだな……」
分かりやすく王太子の顔には『寂しい』と書いてある気がして、レティアはここでも姉に負けてしまうのかとハラワタが煮えくりかえる思いになった。だが、彼への思い入れがスッパリと消え失せてしまった方が、これからやろうとしていることへの罪悪感が減るのも事実。
「もうっ王太子様。自分で追放しておいて、その言い方はないんじゃないの。お姉様なら既に、元・神殿運営の男性に猛アタックされているらしいわ」
「えっ神殿の……そういえば、運営のメンバーも変更するからって同時に退職させたんだったか。しかし、そんなに早く。いや、運営の男からすれば、以前からアメリアのことをよく知っていたはずだ。くっ……そんな近くに、狙っている男がいたとは……」
身近なところでアメリアがモテていたことに気付き、より一層苛ついた表情になっていく王太子。自分から婚約破棄と追放を申し渡しておいて、これには流石にレティアも呆れる。だがレティアからすればせっかくの好機なので、少し煽りつつ自分の方に気を向かせるようにすることにした。
「まぁ一応よく見れば綺麗な人だし、王妃候補だった人だし。お姉様は誰かに見初められても、不思議ではないスペックの持ち主よね。けれど、貴女が選んだのは私……貴方は私だけを見て。妹の私の方が真実の愛なのでしょう?」
「真実の愛……そうだな、済まなかった。それに元婚約者が路頭に迷うのも、王太子としても男としても不名誉だ。引き取ってくれそうな人物が現れたなら、それでいいのだろう」
どうやら、王太子はアメリアのことは自身の中で折り合いをつけて、気持ちをレティアの方に戻したらしい。今日からは異母妹である聖女レティアが、次期王妃として王太子をもてなす係。
「さぁどうぞ……自信作よ」
「おぉっ。なかなかの出来映えじゃないかっ」
流石はパフォーマンスだけで生き抜いている聖女なだけあって、色っぽく目配せしながら配膳をすれば、王太子の機嫌もみるみる回復した。
「うふ、デザートは甘くてとびきり美味しいから、お楽しみにね」
「デザートね、ふむ」
特に開いたドレスの胸元から見える胸の谷間は、男を誘惑するには充分過ぎるほど。まさに『食後のデザート』と呼ぶにふさわしい果実が実っていた。
が、レティアは腐っても自称聖女、純潔を守り抜くというプライドにかけても、その辺の女のようにおいそれとベッドに雪崩れ込む気はなかった。例えそれが、婚約者であったとしてもだ。
(ふん。期待しているところ悪いけど、私はこれでも、聖女に相応しい清らかな身なのよ。悪魔に魂を売ってしまったとしても、娼婦のような真似だけはしないんだから!)
本日のランチメニューは、王宮自慢の農園で採れた野菜をふんだんに使ったサラダ、メインは東方の高級牛を使用したレアステーキ、七面鳥の丸焼き、舌平目のムニエル。手作り人参スープ、一般的なオードブル用のブルスケッタや酵母パン、そしてフルーツたっぷりのデザートと各種ハーブティー、王太子用にワインである。
「シェフほどの腕ではないけど、人参スープと舌平目のムニエルは私の手作りよ。自信作だから味わって食べてね」
私的な食事会であるため細かいメニューのテーマはなく、自国の王宮農園の野菜や輸入食材を味わったり、レティアの手料理を愉しむことが目的だ。だが、手料理と自慢しているはずのレティアの席には、キャロットスープも舌平目のムニエルも配膳されていなかった。
「では早速……うん。サラダも王宮農園で育てた野菜が新鮮だし、ステーキは……さすが東方の高級な牛を使っているだけがある。柔らかさが違うな。おや。せっかくの食事会なのに、レティアは自分で作った人参スープや舌平目のムニエルは頂かないのかい?」
「実は最近、ダイエットをしているの。カロリーの計算上、いくつか糖分のあるメニューをカットしなくてはいけなくて。お野菜は朝食のグリーンスムージーで摂っているし、大丈夫だから。シェフの料理も素晴らしいけど、早く私の人参スープ食べて欲しいな」
「あっああ……。じゃあ悪いけど、お言葉に甘えてそうさせて頂くよ」
ごくんっ!
自信作というだけあって、丁寧に裏ごしされた人参は飲みやすくコクのあるキャロットスープとして、見事に仕上がっていた。けれど、レティアの言うところの『自信』は、隠し味のことであった。
――即ち、人の身を縛り動けなくする痺れ薬である。効き目が早く、治療薬もすぐには手に入らない。それはもう、とっておきの。
カラン!
王太子の持つスプーンがカラカラと音を立てて、床に転がり落ちた。かなり強い隠し味だったのか、手が痺れて意識が遠のく。
「ぐっ……このスープは? レティア、キミは……一体、何を?」
震える声で王太子が疑問をぶつけるが、時すでに遅し。
「ひひひ……くくく……キャハハハハッおやすみなさ〜い、王太子様ぁっっ。あはははははっこれで、これで悪魔像へ捧げる人間の生贄が手に入ったわぁっ。これから本当に料理しなくちゃね……この国は……この世界は、私のものになるのよっっっ」
「レティア、貴様ぁあああっ。ぐ、あぁああああああ!」
意識が途切れる直前に王太子が見たレティアの青い瞳は、悪魔に魂を売った者特有の狂気の色に変化していた。この時まで、王太子は気付かなかったのだ。レティアの語る料理の正体が、『悪魔像に捧げる生贄を作り出す』こと。つまり、生贄となる王太子そのものを指していたことに。