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徹夜を繰り返し、その箱が完成するときにはカーテン越しに朝の光が届いていた。机の上に散乱する計算式のメモや魔法陣の写し、そしてラルドの疲労した頭が作業の困難ぶりを表している。
後ろめたいアッシュ王子への嫉妬心、という己の嫌な一面と葛藤しながら。ラルドは精霊と錬金術師のプライドにかけて、パンドラの箱をさらにミニマム化した『魔法の小箱』を完成させた。試作品を幾つも作り、試行錯誤の末に出来た錬金アイテムだ。
「……ようやく、出来た。伝説のパンドラの箱に比べればサイズも効果も小さいが、悪魔像の魂のみを閉じ込める分には充分なサイズだ。あとは、錬金レシピを残して、量産出来るようにしておかないと」
新作の錬金術は、完成形のレシピが定まるまでは何度もやり直さなくてはならない。が、一度レシピが確定してしまえば、量産することが出来る。上級レベルの錬金技術が必要になるが、ギルドにレシピを預ければ他の錬金術にも依頼可能だ。壊れたり数が足りなくなっても、いざという時のストックを増やすことも出来る。
「時計とカレンダーを確認しないと……ギルドにこのレシピを提出して、一応……試作品も取っておくか」
作業に集中していたせいか気がつけば、未来予測ではアッシュ王子の魂が生還する精霊歴2023年07月07日を迎えていた。
(もう未来予測にあったアッシュ王子生還の七夕なのか。ミルキーウェイを越えて逢瀬するベガとアルタイルのように、離れ離れになっていた二人の再会には相応しい日だ。容姿も僕なんかよりアッシュ王子の方がアルタイル……牽牛に近しいし)
ラルドと同じ精霊の祖を持つはずのアッシュ王子は、金髪碧眼のラルドとはタイプの違う東方倭国の神のような黒い髪が特徴だ。ラルドとアッシュの祖先とされる伝説の精霊神は、東方と西方の神のハーフではないかと言われていた。
貿易都市国家ペルキセウスはシルクロードとも繋がっていて、天竺や東方の神とも親和性が高い。最終的に祖先が根付いたのが、東方と同じ大陸のペルキセウスだったのも頷ける。
(今は魂亡きご先祖様も、殆どアスガイアの精霊の血が濃くなった僕よりも、自分と同じ髪色と目を持つアッシュ王子に血脈を残してほしいのだろう)
皆を苦しめている悪魔像の正体こそが、ペルキセウス国の祖先でありラルドとアッシュ王子の祖先という説もあったが、ラルドはそうは考えていなかった。
何度も魂の器を入れ替えたり幾つにも割っていくことは、本霊を基にして分霊をたくさん量産するようなもの。
繰り返しコピーし、コピーをさらに割られた分霊は次第にオリジナルからかけ離れていき、もはや違う魂と呼んでいい……というのがラルドの見解だ。
だから、この魔法の小箱でかつては祖に近い何かだった悪魔像の魂を封印しても、何の躊躇いもない。
(未来予測通りなら、魔法の小箱さえあればなんらかの形で悪魔像の魂を閉じ込められる。かつてパンドラ様が、精霊神の中に溜まっていた災いや憎しみを封じてくれたように。黒いドラゴンが襲いかかってきたとしても、この小箱で心臓を閉じ込めてしまえば終わりだ)
ラルドは軽くシャワーを浴びて眠気を覚まし、ギルドにレシピと現物を納品へ。この魔法の小箱を予言通りレティアに献上するかはともかくとして、災いに対する切り札が出来たことに安堵していた。
* * *
「魔法の小箱の錬金と納品、非常に難しいクエストでしたがお疲れ様でした。ところでラルド様、アメリア様はもうアッシュ王子のところへ出掛けて行かれたのですが。ラルド様もアッシュ王子を迎えに病院へ?」
「あぁ……徹夜で作業してるから行けないって、先に連絡しちゃったんで。行き違いになっても良くないし、僕は遠慮しようかな。せっかく完成した魔法の小箱のレシピだ。そっちの登録を優先します。向こうも今日くらいは、夫婦水入らずの方がいいでしょうし」
「そうですか……確かにアメリアさんが出てからだいぶ時間が経ちますし、行き違いも良くないですしね。では、今日の午後の予定はギルドでレシピの登録作業を続行……と」
この日、既にアメリアはアッシュ王子の目覚めを迎えるためにギルドを休み、病院へと向かったと受付嬢から伝えられる。目覚めの日付はほぼ確定していた為、最初から計画的に行動したのだろうとラルドは思った。
自分の中で沸き上がる嫉妬心に負けないように、アッシュ王子とあまり接触しないのが身の為だと言い聞かせる。チクッと刺すような僅かな違和感を感じて、ふと自分の手のひらを見る。すると、痣ともタトゥーとも呼べないような黒い紋様が滲んでいた。
――精霊の心が澱むと現れるという黒い紋様……即ち、『穢れ』だ。
(これは……このままでは不味い。穢れが身体の表面に出るようになったのか? 先祖も苦しんだという、憎しみの穢れ……パンドラの箱を無理に作った影響か。誰かにバレる前に、そうだ……試作品で)
「我が身に滲む、悪き心の穢れよ。この小箱の中で眠りたまえっ!」
仕方がなくギルド内の簡易錬金ルームで、試作品の魔法の小箱を発動し、ジワジワと手のひらを主張する痣を吸い取っていく。
銀色の模様があしらわれた白く美しい小箱が、穢れの澱んだ色に変化していった。まるで、ラルドの心の変化を反映しているようで、哀しさが溢れてくる。
幸い、このギルドには通いの錬金術師の数は少なめで、在宅で依頼の品を納品する者が大半だ。
簡易錬金ルームはほぼラルドの独占状態で、人目を気にせず作業が出来る場所となっていた。自宅にしろギルドの錬金ルームにしろ篭りきれれば、問題ない。
だが、ラルドはこれまで依頼主に直接会いに行き、錬金や納品をするスタイルだった為、人に会わないのも不自然だろう。それに、アメリアにもアッシュ王子にもいつまで経っても会わないわけに行かないことはラルドにも分かりきっていた。
「けれど、こんな状態をアメリアさんやアッシュ王子に、気づかれるわけにはいかない。手は……錬金用の手袋を常時つけるように変えて、あとは……顔を合わせる時間を減らす為に錬金作業を増やすか。せっかく、魔法の小箱を完成させたのに、まさか自分自身に使う羽目になるなんて……!」
堕ちていく自分に不安を覚え、ラルドは珍しく頭を抱え込む。自分自身が、かつての精霊神のように穢れていくとは……。まるでそのうち、ラルド自身が災いとなってしまうのではないかという不安が彼を襲う。
その日の晩、アメリアとアッシュ王子は無事に結婚生活を再開させていた。当たり前のように、とても幸せな時が二人を包んでいた。
――ラルドの穢れと相反するように。




