04
アメリアが神殿を出るのと同刻、神殿のメインステージとも言える祈りの空間は不思議なほど鎮まっていた。まるで本当の霊能力を持つ聖女が消えた影響を神殿そのものが受けているかのようだった。
王太子はアメリア退職の書類制作のため、一旦執務室へ。異母妹レティアは王太子と離れ、自身の目的のため動き始めていた。
レティアが神殿の巫女用の部屋に移動すると、程なく黒づくめの男が転移魔法で現れる。レティアの手駒が、多く在籍するこの国の闇組織『暗部』の隊員だ。
「レティア様。アメリア様が先ほど神殿を発ち、クリスマスマーケットの港街へ向かいました。どうやら、今日付けで解雇になった神殿運営の男も同行しているようですが。如何いたしましょう?」
冴えない異母姉アメリアの一人寂しい放浪を期待していたが、実際はすぐさま男を工面出来たと知って、レティアのこめかみがぴくりと動く。婚約者である王太子を奪われ、次期王妃の座を奪われ、泣く泣く国から脱兎の如く逃げる姿を期待していたのに……と苛立ちを覚えたのだ。
けれど、ここでうろたえる姿を手駒に見せてしまっては、自分への信仰心が落ちると思い、嫌味を交えながらも極力平静を装う。
「へぇ……お姉様ったら、いっちょまえに男なんか連れて港に行ったのね。ドンくさい地味女のクセに生意気。ふんっ。けど、今は新しい神を降臨させる儀式の準備で、お姉様のことなんか構っていられないし。船に乗るまで適当にさせておけばいいわよ」
「はっ! では、暗部が引き続き、アメリア様の動きを監視いたしますゆえ」
次期王妃候補にして、真の聖女であるアメリアの追い出しに成功しただけでもよしとする方針で、次の作業へと移る。暗部の隊員から報告を受けた後、ロッカーに隠していた黒いハイヒールを履き、聖女らしからぬ闇色の法衣をその身に纏って神殿内の儀式部屋へと急いだ。
コツコツ、コツコツ!
廊下に高いヒールの音を響かせながら、部屋のドアを開ける。
民間人の立ち入りを禁止している神殿の儀式部屋は、聖女設定のレティアでさえ滅多に足を踏み入れられない特別な場所だ。今日の朝までは、この儀式部屋には古より伝わる『神の聖像』が飾られていた。
「どう? 例の聖像、もう片付けたの」
「それが不思議なことに、我々が儀式部屋を確認したときには、既に聖像が消えておりまして。台座の部分には、このとおり……何もございません」
「ふうん……聖像自ら消えたのか、例の運営が魔法で何処かへと転移させたのか。台座の場所さえ確保出来れば、それでいいわ」
長きに渡り、この部屋を占拠していた聖像は消え失せて、ポッカリと台座が空いていた。この特別な空間に神の現し身である聖像を設置することで、巫女の頂点たる聖女は神のご神託を聞くことが可能となる。
けれど、この神殿の神はレティアを聖女とは認めず、異母姉のアメリアだけに予言の言葉を囁いた。
結局レティアは、表向きの聖女という操り人形ポジションとして民衆向けのパフォーマンスに徹し、実際のご神託は異母姉アメリアが一手に引き受けていたのだ。そのためだろうか……どんなに異母姉の容姿を目立たない黒子のような扱いをしたところで、コンプレックスは募るばかり。
「いよいよでございますね、レティア様。貴女様にご神託を授けなかった頑固な神の支配を抜けて、ようやくレティア様の時代がやってくるのかと思うと、期待で胸が熱くなります」
「ふふっ分かっているじゃない。私にだけご神託を授けてくれる【真の神】をついに私は見つけたの。今まで散々、私のことを操り人形扱いしていたお姉様と縁を切って、私はついに本物の聖女になるっ。この国は……これから、本当の意味で我が手中に収まるのよっ!」
どこかでレティアは真の聖女である異母姉に、低い存在として見られている気が拭えなかった。実際、去り際にもレティアの霊感が低いことを指摘していたのだから、異母姉はレティアを深層心理で『低く』見ているのだと。それが姉としての『愛情』からくるものだとしても、レティアは歪んだ心でしか受け止められず、次第に尊敬していた姉を嫌いになっていったのだ。
「レティア様、失礼いたします。異国の魔術師より入手した例のものが、運び屋より届いたようです。レティア様の夢に、何度も出てきたという例の聖像に瓜二つですよ」
やがて新たな聖像が布にかけられた状態で運ばれてきて、台座に設置された。微かに鈍い光を放つ聖像は、布越しの形から察しても、聖像と呼ぶにはおぞましい悪魔像の形をしていた。
そう……聖女レティアに夢の中で呼びかけてくれた聖像の正体は、かつて神と崇められたものの見捨てられた『悪魔像』に他ならなかった。
『よくぞ我を呼んだ、かの国の娘よ。魂の等価交換は、夕刻に行う。犠牲となる魂の準備は……良いな』
何処からともなくレティアの心に、低い呻き声にも似た悪魔の囁きが聞こえてくる。
「くくく、うふふ……ひひっ。キャハハハハッ! 聞こえる、聞こえるわっ! 聖像から、魂の声がっっっ! 私にっ私だけにっっ。キャハハハハッこれで勝てるっ。私を無能扱いしている虫ケラどもを見返して、お姉様よりも私の方が【格上】だと分からせてやるのっっ」
まだ魂を入れる儀式が終わっていないものの、レティアは近い未来の勝利を確信して、万感の思いでようやく自分が自分になれる歓びに浸っていた。
――異母姉妹の溝は、既に埋めることが不可能なものとなり、やがて亀裂となって裂けたのである……それはもう痛ましい程に。