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魂の深層で、アッシュ王子とポックル君が精霊として甦るための旅の準備をしているとラルドが教えても、慰めや気休めに違いないと言うアメリア。彼女は愛する夫をたった一晩で亡くした日から……毎日泣くようになった。
「アッシュ君、どうして死んでしまったの? 一生愛してくれるって言ってたじゃない! いなくなるなら、一緒に連れていって欲しかった。愛してるのに、愛してたのに……! 神様、どうして彼を連れ去ったのっ? 答えてよぉ。うっ……うっ……うわぁああああっ」
いつもは優しかった態度も、聖女のような慈悲も、平和に対する祈りも何も出来ない。
アッシュ王子の亡骸は、ラルドの助言に従い火葬も土葬もせず精霊用の棺に納めた。特殊な保護魔法のもと、未だに眠っているような状態で安置されている。見方によっては、仮死状態にも見えるだろう。
『ラルド様。ワタクシ、この羽根にかけて必ずやアッシュ王子を一人前の精霊に育てて、再び現世に甦らせると約束しましょう。しばらく時間がかかりますが、それまでアメリア様とどうにか凌いでください。カラシの種一粒ほどの信仰があれば、きっと願いは叶う。まるでパンくずくらいの小さな信仰で。神の導きを信じて……』
『ポックル君、本当にそんなことが出来るのですか? まるで聖書の天使様のようなことを言う。僕は精霊として、もう駄目なのに』
『聖書に出てくる大天使はね、羽根がとても多いんですよ。六枚もあるんです。鳩の姿に変化してもきっと、羽根が溢れてフクロウのように見えるでしょう。いいですか、苦難の時の貴方達の信仰は……パンを分けることで始まります。苦しい時こそ食べ物を分けて、助け合いなさい』
必ず精霊として完全なアッシュ王子の身体を得て戻ると約束したポックル君を信じて、ラルドはアッシュ王子の亡骸を守ることにした。それは彼にとっての償いであり、最後まで予言の成就を信じている気持ちの現れだった。
一方、まともに魔法が使えなくなったアメリアはギルドクエストを休み、アッシュ王子の棺の元へ通うだけの生活となった。
「アッシュ君、今日は何も食べれなかったよ。何だか痩せてきちゃった。けど、ちょっとだけアッシュ君に近づいたかな?」
「世界がね、滅びそうなんですって。災害が増えて、アスガイアもペルキセウスも被害がある。けど、私……魔法が使えなくなっちゃったから、何も出来ないの。災害地では魔法の使えない女は足手纏いだって……」
「会いたい、早く天に召されてアッシュ君に会いたい。アッシュ君がいない世界なんて、私には意味がない……」
いつの間にか、アッシュ王子がアメリアの世界の全てとなっていて、アッシュ王子のいない世界は彼女にとって意味をなさないものとなった。だから、これから祖国アスガイアが滅びようと、その流れでペルキセウスや他の国が滅ぶと予言されても。何も気にならないほど、既に彼女の世界は終わってしまっていた。
「アメリアさん、世界崩壊まで時間がありません。きっと貴女がかつて見た予知夢が当たって、パンドラの箱が開いてしまったんだ。アッシュ王子が護ろうとした世界を、まだ見捨ててはいけない」
「ラルドさん。もう無理よ……だって世界はもう滅んでいる。アッシュ君がこの世にいないのだから……。私にとっては滅んでいるのと同じなの。貴方も予言を出すという【神格】と縁を切った方がいいわ……だってアッシュ君を助けてくれなかったじゃない。精霊の貴方は彼のために聖なる剣を作り、聖女の私は彼の妻となった。予言通り進むように、私も貴方もあんなに頑張ったのに」
「アメリアさん……いつから、そんな風になってしまったんだ」
当然のように、アメリアを支えていた神への信仰心も一気に崩れ落ちていっていた。アメリア達の世界では、ジーザス・クライストによる神の御子伝説は異世界の御伽噺とされており、聖書は倫理を学ぶための優秀なテキストという扱いだ。
だが、信仰を持つ人々は精霊さまに予言を授けてくれる【神格】こそが、本物の神様に近い存在なのでは……と考えていた。
『あぁ神様、どうして私の夫アッシュを貴方は見殺しにしたのですか? 精霊ラルドさんに何故、嘘の予言を読ませたの? それとも所詮、私達の世界には……本物の神はいないと仰りたいのですか?』
* * *
いよいよ世界崩壊が近いと、あらゆる土地の神殿にご神託が出たある日。大陸の貿易要所であるペルキセウス国に神官長や巫女が集められ、対策会議が開かれた。
『世界が滅ぶ原因は、パンドラの箱に詰められていた原罪が世界中に散らばったことだと予測されます』
『もっとも被害が多いのは、精霊魔法国家アスガイアですが、遅かれ早かれ世界中が闇に包まれるでしょう』
『聖書の神様がいないこの世界で、救世主を求めるのは馬鹿げているとおっしゃる方もいます。ジーザス・クライストのように、原罪を背負って下さる方が現れると良いのですが……』
ヒントは異世界から伝わった御伽噺の聖書であったが、ジーザス・クライストのような救世主を待つには時間が足りなかった。
『誰かが犠牲になるしか無いのか、例えば神格と交信できる精霊神あたりなら……原罪を背負えるかも知れぬ』
『しかし、自ら十字架にかけられて死にたい精霊神など、今どきいるかどうか……』
神格と繋がっている精霊神こそが、この世界でのジーザス・クライストに最も近い役割だとし、原罪を背負うのに相応しいのではないか……との結論が出た。
巫女でありながら信仰を失ったアメリアは会議に出席せず、そのまますべてを投げ出そうとしていたが、見兼ねたラルドが聖書を片手に勉強会に誘った。勉強会と言っても、アメリアとラルド、そして一緒にお留守番をしている鷹のルーファス君だけだ。
「アメリアさん、ルーファス君のお世話……アッシュ王子から頼まれていたじゃないですか。せめて、ポックル君の言う期限が来るまで待ってあげましょう」
「アッシュ君……」
アッシュ王子の死から既に二ヶ月が経とうとしていたが、アメリアは未だに立ち直れずにいた。ポックル君が言う甦りまでの期限が迫る中、信仰を取り戻すための聖書の勉強会が行われた。
『とある村に、婚約者のいる処女のマリアがおりました。ある日、神のみ使いが現れてお腹に神のチカラで救世主が宿ったと告げられます』
「処女の身体で身籠もれたとしても、愛する男性の子じゃないなら意味がないわ。私は夫のアッシュ君との間に子が欲しかった。聖母マリアと夫のヨセフは、嫌じゃなかったのかしら」
「けれど、アメリア。ジーザス・クライストは穢れなき身体から産まれたからこそ、救世主なのですよ」
「聖母マリアと神様の間には、きっと深い信頼関係があったのね。本当は……私なんかよりそんな方が、神のいとし子なのでしょう。どうして、ラルドさんは私を神のいとし子なんて勘違いしたのかしら?」
アメリアの素朴な疑問に、ラルドは一瞬だけ自分の未来を見た気がした。自分にとっての聖母マリアは、神のいとし子は……アメリアなのだと。
「勘違いではありませんよ。だって僕は最初にひと目みた時から、貴女を【神のいとし子】だとわかったのですよ」
「ふふっ。ラルドさんって、不思議な人」
彼女に笑顔が戻り、ラルドは心が安らぐのを感じた。既に彼女の心はアッシュ王子のもので、それでもラルド・クライエスはアメリア・アーウィンのことが一番大切だった。
(そうだ……僕にとっての聖母マリアは初めて出会った時から、彼女だと決まっていた。彼女は神のいとし子であり、僕もいずれ……彼女を通して【神のいとし子】になるであろうということを)




