10
「さあ、着きましたよ。おそらく、この国で一番の夕焼けが見られる場所です。時間的にもまだ間に合うはずだ」
旅立つ前の思い出作りに……と、アメリアがラルドに案内された最も景観が良いとされる場所、そこは海の景色も港町も一望できる灯台だった。拝観料を受付で支払い、スカートの裾を靡かせながらコツコツと階段を昇る。観光客向けの展望スペースに足を伸ばせば、汐風の香りが迎えてくれた。
「わぁ……確かに素晴らしい景色だわ! 空と海が一望できるだけでなく、行き交う船、港町の賑やかな様子、それに……神殿まで全部見回せるのね」
「丘の上からも街を一望できるスポットはあるけど、これから海に向かう僕たちにとっては、灯台からの眺めが一番合っていると思って」
アメリアからすれば自分はもちろん、運営であるラルドをも追放した神殿を最後の思い出に眺めなくてはいけないとは……僅かに心が痛んだ。が、その姿を目に焼き受けてこそ、新たな人生への第一歩を踏み出せるのかも知れないと気丈に振る舞う。
偉大で清らかな長い階段の神殿は、人々の信仰の拠り所という威厳を放っている。けれどアメリアにとって、通い慣れたはずのあの神殿を、この場所から見るのは初めての経験だ。心だけではなく、物理的な距離までもが、遠く離れたのだと実感する。こうして次第に自らの心を、神殿が占める割合が減っていくのだろう。
「ふふっ。けど不思議だわ、私……長いことこの町に住んでいるのに、本当に知らないことばかり。ううん、落ち込んでばかりじゃ、せっかくの思い出作りが台無しだわ。辛いことが多かったからこそ、最後くらいは良い思い出で旅立たないと……!」
しばしの間、無言で神殿との別れを実感していたが、波の音やカモメの鳴き声に悲しみの気持ちは打ち消されていった。
既に日が降り始めオレンジ色の夕陽が海の青と混ざり合い、別れの景色としても相応しい切ない色を描いていた。きっとあの水平線の向こうには、知らない国が待っている筈だ。
異母妹の影として生きた過去の哀しみも、いつまでも自分に自信を持てないモヤモヤとした内側のコンプレックスも。
(変わりたい、私。レティアの影というしがらみから、そして逃げてばかりで光に立ち向かえなかった自分自身を……生まれ変わりたいっ)
海のグラデーションはその日の切なさを全てすべてを抱え込んだ複雑な色合いで、緩やかに優しく飲み込んでいった。
* * *
隣国行きの乗船切符を二枚切ってもらい船に乗りこんで、いよいよ故郷を立ち去る瞬間がやってきた。仕事上のパートナーという間柄から、恋人同士ではないものの部屋はラルドと一緒のツインベッドである。
「えぇと……自然の流れで、同じ部屋でしばらく過ごすことになったけれど」
「あはは。軽い気持ちでアメリアさんの貞操を汚すような真似は、決してしませんので安心してください! この船には相部屋用の間仕切りカーテンがあらかじめ付いているらしく、アメリアさんのプライバシーはバッチリ守られますから」
「……ラルドさん、今日は何から何まで、本当にありがとう。これからもよろしくね」
紳士なラルドはアメリアに気を遣い、ベッドの間に間仕切りカーテンを設置してくれた。たまたま見知らぬ人同士で、相部屋となった場合のためのサービスらしい。異性に慣れていないアメリアからすれば、緊張を和らげてくれる貴重なカーテンである。さり気なくずっと配慮してくれるラルドに、アメリアは改めて感謝の意を示す。
「貴女は神殿のため、故郷のため、誹謗中傷されようとも……ずっと影となりご神託の責務を全うしました。けれどこれからは、その貴重な人生を貴女自身の時間として、使っても良いのです。この旅立ちのきっかけが追放だとしても、貴女の人生はここから本当に始まる……!」
「ラルドさん……私、私……うっうっ。うわぁあああん……」
アメリアの頭を撫でて優しく未来への希望を述べるラルドは、まるでアメリアが長く仕えていた神殿の神そのもののようで……。思わずアメリアは、これまで抑えていた涙を一気に落としてしまう。
(ラルドさんはあの海と同じだ……。私の内側にある生きづらさ、苦しさ、切なさの……感情の色が定まらないグラデーションの心を全て優しく抱きとめてくれる)
そしてアメリアを抱きとめながらも、ラルドは約束通り彼女に手を出さず、共に眠りにつくまで慈愛の温もりを与える。約束通り純潔を汚さず、心を守る彼は中身まで紳士だった。
――その頃、神殿では新たな神を悪魔像に込める闇の儀式が、密やかに執り行われていた。