聞き込みと捜索
「毛虫が多いですね」
長男と共に桜屋敷の敷地へと足を踏み入れる。
「はは。これでも大分少なくなった方だよ。桜が散り始めた頃は足の踏み場が無いくらい、もっとうじゃうじゃいたんだから」
目の前の桜の木々に目を配る。桜木家の屋敷周りには100本以上もの桜の木が植えられているそうだ。春になると、それはそれは見事な薄紅色の桜絶景で、専らの観光名所。その壮大な景色が【桜屋敷】と呼ばれる所以になったと聞く。
「ひぃ!」
一方で虫嫌いな秘書はというと、毛虫を見つけては、何度も悲鳴を上げながら探偵の腕に絡みつくのだった。
***
「まずは、ここのお手伝いさんたちに話を聞きたいんだが…」
その言葉に長男は真顔で頷く。
「もちろん、その為に高い調査料を支払っているのだから」
一人目は身の回りの世話係のメイド。
「ここ晩年は外に出ることが殆どなくなりまして、月一度の暁清様の新作をご試食されることが一番の楽しみのようでした」
「そうですか…。その時の清一郎さんのご様子はいかがでしたか?」
「そうですね。とても楽しみにされている一方で、評価は厳しいものでした。かれこれ、もう百を超えるほどの新作を暁清様はお持ちになっておられるのですが、大旦那様は一度も縦に首を振られたことは無かったと記憶しています。あ、いえ。一度だけお褒めになったことが昔にあったような…」
「きっと暁清が犯人だ!中々認めてくれない親父に嫌気がさして殺したんだ!」
「それは有り得ません。暁清様は何がダメなのか、それは熱心に大旦那様のご意見をノートに書き留められ、常に精進されておられました。とても憎んでいたようには思えません」
二人目は掃除係のメイド。
「大旦那様は大変な潔癖症でありました。食品を取り扱っているためなのか、本当にそれは細かくて…。私も初めてこちらに仕えた時は精神的に大変堪えたものです…」
「この家のことを熟知していない人は特に辛かったでしょうね」
「ええ。大旦那様の奥様が亡くなられてからは、特に酷くなりました。人が変わったように、頭に血が上りやすくなりまして…。智恵美様が奥様に変わってこの屋敷を切り盛りしておられていたのですが、毎日何時間も説教されることが日課になってしまい…。ノイローゼといいますか、随分長いこと鬱の症状に悩まされていましたよ…」
「暁清の妻が説教に耐えきれず殺したんだ!」
「それは不可能です。清華様がこの屋敷に戻られたのが5年ほど前なのですが、その際に暁清様は智恵美様を連れて、ご一家でこの屋敷から引っ越されました。それからというもの、智恵美様がこちらの屋敷に戻られたことは、数週間前のお葬式の時を除き一度もありませんでしたので」
最後は食事係のメイド。
「大旦那様はお酒が大好きでいつも豪快なお料理を好まれておられました。が、肝臓や腎臓をを悪くされてからはお医者様の指導の下、清華様が大きく食生活を見直され、晩年は精進料理ばかりを召し上がられておいででした」
「口にされるものは全てあなたがお作りに?」
「基本的には。ですが、私が不在な時などは清華様が作られていました。あ、ただ、毎食後に飲まれていた薬湯だけは清華様のみ作られることが許されていました。私が作るものは味も香りも良くないと大旦那様にきつく叱られてしまいましたので…」
「きっと、清華がその中に毒を入れて殺したんだ!」
「無味無臭の毒があるのかは存じ上げませんが、それは極めて困難かと…。大旦那様は大変味覚が鋭く、微かな違和感もすぐに感じ取られます…。それに亡くなられたのは食事後ではありません。お昼寝どきに眠るように逝かれたと聞いております」
結局彼女たちからは大した話が聞けず、長男は不貞腐れながら早々に帰ることにしたようだ。
「俺は仕事もあるし先に帰るが、君たちはどうする?」
「私たちはもう少し屋敷内を見させていただきます」
***
長男と別れた後、まず初めに向かったのは大旦那の寝室。最初のメイドが案内してくれた。
「お昼寝後、体を拭くのが私の日課だったのですが、その時に異変を感じました。お医者様に連絡してすぐに来ていただきましたが…」
頭を優しく横に振りながら、正面の大きな襖を開ける。目の前には小さな庭があり、その奥には緑豊かな桜の木々たちがそびえ立っていた。
「春の季節は息をのむような美しい景色になりそうですね」
「ええ。それは見事な満開の桜の景色を見ることができるのですよ。はらはらと部屋に舞い入ってくる花弁がそれはそれはとても可憐でして…。大旦那様の最期も幻想的に見送ってくれました」
庭の奥では掃除係のメイドが、散った桜の葉を箒で掃き集めていた。そしてその光景を目にした時、何かを思い出したようで、女は早口に次の言葉を紡ぐ。
「そうだわ。思い出しました。大旦那様が唯一誉められた暁清様のお菓子は、桜餅です。桜餅だけは江戸時代からの味を変えず守ってきているのですが、その代々続く味をよく再現できたと褒めておられました。桜の時期になると、週に二、三度、花見をしながらそれをよく食べられていましたわ…」
爽やかな風が桜の葉を舞い上がらせる。
「桜の花も葉も、掃除は大変そうですね…」
秘書の呟いた声に誰も何も返答しなかった。
次に向かったのは台所。長女の作っている薬湯がどのようなものなのかを確認したかったから。
「これです」料理係のメイドが一つの缶を手渡してきた。「作り置きもたくさんあります。もしよければ一缶お持ち帰りください、と清華様より言伝を預かっております」
その缶をあけると、中からは強い花の匂いがした。
「とても濃い香りですね。何かの塩漬け…ですか?」
「桜の葉です。桜の花茶の方が世間一般的に有名ですが、実は葉もお茶として飲めるのです」
「そうなんですね…。効能とかはご存じで?」
「アルツハイマーや、ガンの抑制に効果があると聞いています。大旦那様に認知症の気が現れ始めてから、清華様がこれらを手作りされていました。幸いこの桜屋敷には有り余るほどございますので。あ、葉っぱは地面に落ちたものでなく、私たちが一枚一枚手掴みしたものですよ!不衛生では全くありません」
秘書は再度缶を開け匂いを嗅ぐ。どうやら彼女はこの濃い甘い香りが気に入ったようだ。「帰ったら早速飲んでみませんか!?」
「そういえば、大旦那の死亡確認をした医者なんですが…」秘書の嬉し気な声を聞き流しながらメイドに問う。「彼のかかりつけ医とかだったのしょうか?」
「左様でございます。もう何十年も、奥様のご病気の時からお世話になっているお医者様です。よろしければ、連絡先をお伝えしましょうか?」
「そうしてくれると助かります」
「え!?暁清さんや清華さんへの聞き込みはどうするのですか!?」
当初の予定では最後に娘に聞き込み、あるいは次男の店へ向かうと秘書に伝えていた。彼女は急な予定変更に驚いて声をあげる。
「まだ勘に過ぎないのだが、きっとその医者が核心的な真実を知っていると思う。急な予定変更も捜索の基本だぞ」
「分かりました。一応アポ取ってみます…」
秘書ははぁ、とため息をついてメモ帳を胸ポケットから取り出した。