命じられし者-09
フレアラス教は大きく分けて、二つの宗派が存在する。
一つはフレアラス教旧約聖書の特徴ともいえる『自由を掲げた人間行動の原理』を主とし、自由こそ生きとし生ける者への福音とする内容を尊ぶ旧約宗派。
もう一つはフレアラス教新約聖書の特徴である『人間社会での規律遵守』が多く提示され、何事においても規律・規範を優先し、時に自由さえも制限するべしとした内容の新約宗派だ。
軍拡支持派の星とも言えるドナリアや、彼以上に軍拡支持派に信仰されているエンドラス・リスタバリオスは新約宗派に属している。
その理由は間違いなく――「フレアラス教という統一された規律・規範を国民が遵守した世界となる事こそ、真の国防に繋がる」と考えての事だ。
今、ガルファレットが投げ飛ばしたゴルタナを装備した帝国の夜明け構成員が、帝国城の柱に叩きつけられ、その瓦礫がフレアラス像に向けて飛ぶ光景を目で捉えた。
ドナリアとフェストラは、それぞれ伸ばした爪と空間魔術より射出したバスタードソードで瓦礫を弾き、砕き、その瓦礫によって像が破壊される事を防いだ。
「まぁ、こちらとしてもフレアラス像が破壊される事を望んでいるわけではない。可能な限り御守りするが、しかし傷つける事になろうとも、貴様らを捕らえる事が出来るのなら、それはフレアラス様への信仰の結果だ」
「詭弁を言うんじゃねェよ……っ」
「詭弁だと? フレアラス様の像を人質にし、人々の信仰心を利用しようとする輩の言葉ではないだろうよ」
AK-47を放棄し、噴水池を蹴りつける事で水しぶきを舞い上がらせつつ、フェストラへと愚直に駆け出すドナリア。
しかし、ハイ・アシッドとしての身体能力を持つドナリアの攻撃をまともに喰らえば、仮にゴルタナを装着していても受けるダメージは計り知れない。
その振り込まれた拳の一撃を掌で受け流しつつ、ドナリアの腹部を蹴りつけたフェストラは、剣を構えて首目掛けて振り込んだ。
が、その軌道を読んでいたドナリアは、フェストラの手首を掴む事で止めると、その人間離れした握力で握り締め、ゴルタナが僅かに凹み始める。
装甲内で守られている筈の腕も同様に、骨が軋むような音が響き、思わずフェストラも表情を歪めた。
「ッ、!」
「ぜ――リャアアッ!」
フェストラの手から剣が落ち、得物が離れた事を確認したドナリアはフェストラを吹き抜け構造を利用し、二階の廊下までフェストラを投げ飛ばす。
身体を回転させながら二階の壁に着地したフェストラだったが、動きを止める事無く地面を蹴り、フェストラの眼前まで跳んでいたドナリアの振り込む拳を、両腕で受け止める。
……しかし、先ほど軋むような音を奏でた右腕の手首がそこで折れる感覚が。
「しま……っ」
「フン――ッ!」
ドナリアによる、脇腹を狙った強烈な右フックが直撃した事で、フェストラは二階の廊下を転がり、ゴルタナが展開を解除される。
ゴルタナは特性上、その受ける威力を吸収し展開装着者にダメージがかからないように設計されており、もしゴルタナの許容値以上にダメージが与えられた場合、展開を強制解除する事によって衝撃を受け流し、緩和する。
結果として、今のフェストラはまだ死に絶えるようなダメージを受けたわけではないが……しかし、ハイ・アシッドの持つ強大な力、それが直撃した。全く以て無傷というわけにもいかない。
「ごふっ、ぐ、……!」
「フェストラ!」
「っ、来るな、ガルファレット……ッ!」
園庭で、多くの敵と戦うガルファレット。彼は以前の聖ファスト学院襲撃時とは異なり、理性を失った状態ではない。
あの状態となれば周囲の影響を鑑みず戦う事となり、フレアラス像の意図しない破壊にも繋がってしまう故、その力を一部開放するだけに留めている。
故に、まだ敵兵は残る六人程残っていて、今まさに彼を囲む形で、全員が剣を構え、警告する。
「これ以上抵抗するな、ガルファレット・ミサンガ!」
「く……っ」
囲まれたとしても、ガルファレットには抵抗する術はある。だが、これ以上の抵抗はより周囲への影響も鑑みなければならない。
可能な限り、像に傷をつける可能性も存在し……ガルファレットは下唇を噛みながらフェストラを見たが……彼は首を横に振りながら、ゆっくりと起き上がり、痛む腹部を押さえ、口に溜まった血を吐いた。
「これ以上の抵抗はするな、フェストラ。頭に血は昇ったが、俺としても王の器足るお前を殺したいわけじゃない。ガルファレットも同様に、優秀な兵士だ。なるべく生かしたい」
「まだ、だ……っ」
床に転がったゴルタナ、それを拾い上げようと一歩前へ足を動かしたフェストラだったが、しかし血液が不足していたのか、ふらついた身体を支える事が出来ず、床に身体をついてしまう。
「そうか。お前がそのつもりなら、仕方がない。――無理にでも、俺達の同志となって貰うしかないな」
ドナリアが懐から取り出すのは、先ほど自分にも挿入した、アシッド・ギア。
その先端を自分にではなく、フェストラへと向けるドナリアに、フェストラが問いかける。
「な、何を……するつもりだ……!」
「お前をアシッドにする。お前もこの力の素晴らしさを知れば、この国に変革を求めるようになるだろう。そうすれば、お前も俺達の同志だ」
「フェストラ――ッ!」
少しずつ、近付けられるアシッド・ギア。身体を動かそうにも、それに抵抗する事も出来ずいるフェストラに――今、ガルファレットが彼の名を叫び、駆け寄ろうとする。
だが、ゴルタナを装備した帝国の夜明け構成員達が一斉にガルファレットの身体を取り押さえ始め、それに抗う事しか出来ずにいるガルファレットの行動もむなしく……今、ドナリアはフェストラの首筋に、アシッド・ギアを向けて、その手を降ろした。
その時。
アシッド・ギアを握るドナリアの手が空を舞い、今園庭の花壇に落ちた。
何が起こったか、フェストラも、ガルファレットも、帝国の夜明け構成員である兵士たちも……ドナリア自身も、理解できていない。
その腕は鋭利な刃によって両断され、綺麗な切断面だけが残っていた。
僅かに遅れて血が噴き出したのも、まるで斬られた血管自体があまりに自然な切り口故に、斬られていないと誤認したかのように思える程、鮮やかなものだった。
「……な、何が」
「何が、では無いだろう。――君を斬りたくはなかったのだがね、ドナリア」
ドナリアの背後で、鞘に刃を収める音と、男の声だけが響いた。
男の声に、ドナリアは恐る恐る、振り返るしか出来ずにいる。
そこにその男がいると、声の主がもし彼の想定した通りの男であると、信じたくなかったのだ。
しかし――彼の願いは、見事に打ち砕かれる事となる。
「エンドラス……? 何故……お前が、何故……ッ!?」
「何故、でも無いだろう。私は、帝国騎士としてこの国に仇成す者を斬る役目がある――レナ・アルスタッド君を危険に晒した君達を、許す事が出来ないという理由もあるがね」
エンドラス・リスタバリオス。ヴァルキュリア・ファ・リスタバリオスの父親であり……【帝国の夜明け】という組織が信仰する【汎用兵士育成計画】の提言者。
軍拡支持派にとってはドナリアと同等――否、むしろ彼以上のカリスマ性を以て、この国の在り様に疑問を抱いた人物である筈。
その彼が――今、目を見開き驚愕するドナリアと向き合い、その手に握るグラッファレント合金製の剣・グラスパーの柄を握り締めた。
「私としても、同志であった君達をこれ以上斬りたいわけではない。――投降してくれないか?」
「う、嘘だ……っ、お前が、お前が俺達に……お前の理想を体現しようと、命を懸ける俺達に、刃を……刃を向けるのか……!?」
ドナリアの悲痛な嘆きは、まるでミラージュによって幻惑を魅せられた時のようでもあり……それとはまた少し、違っても見える。
何せ、今彼の目の前で引き起こされている事態は……エンドラスという男が、何時でも剣を振るえるようにしている光景は、幻惑じゃない。
現実であるからこそ――彼は狼狽え、フェストラの事を気にする様子もなく、後退る。
「ドナリア、そしてかつての同志諸君……許してくれとは言わない。恨んでくれて構わない。だからせめて、私にこれ以上、刃を抜かせないでくれ」
「嘘だ――ッ!!」
足元に備えていたホルスターから、一丁のハンドガンを抜いたドナリアが、既に身体へ染み付いた動作として安全装置を解除し、その銃口をエンドラスに向け、トリガーを引いた。
射出される銃弾、しかしエンドラスはいつの間にか、その手に握る刃を引き抜き、放たれた銃弾を刃で切り裂き、ドナリアの両腕を切り裂いた上で――彼の首を両断した。
「刃を、抜かせないでくれと、言ったじゃあないか」
再び、刃を鞘に納める音と同時に、ドナリアの首から上にあった筈の頭が、床に落ちた。
「……なんで……なんでなんだよ、エンドラス……お前は、俺に……正しい、力の在り方を……戦争っていうものを……教えて、くれたじゃ……ないかよ……」
その頭だけとなった彼の身体は倒れ、頭だけが意思を持ち、言葉を放つ。
否……もうそれは、言葉ではなく、怨念と表現しても最適なものであっただろうと、フェストラには思えた。
「私も、その理由をお伺いしたいですね。エンドラス様」
いつの間にか、エンドラスの背後に立つ男が一人。
ゆっくりと振り返りながら、男を見据えるエンドラスは、その青年の姿に見覚えこそ無かったものの……しかし、見当はついていたので、名を述べる事とした。
「君は、メリーで構わないかな?」
「はい。貴方を信仰し、貴方と同じ世界を志した、メリーにございます」
「そうか――君も、斬らねばならないというのかな?」
青年と向き合い、柄に手を触れ、何時でも抜ける事を示すエンドラスに、青年――メリーも冷や汗を流した。
ハイ・アシッドとしての身体能力を以てしても、エンドラスという男を簡単に屈服させる事は難しい。
否、何よりもメリーという男にとって……帝国の夜明けという組織に属する者にとって、エンドラスという男は、戦うべき相手ではないと心のどこかで感じている。
故に、今ガルファレットを囲む兵達も、皆剣を握る手に、迷いが見える。
「……父、上……?」
そんなエンドラスが、メリーから目を離して、後ろを見据えた。
近くの一室、その扉が開かれ、一人の少女が身体をふらつかせながら、姿を現し、声を発したから。





