命じられし者-04
「クシャナ君、君は先ほどこの光景を『どの世界にもありふれた、悲しい物語』と言ったね」
息を、そして唾を飲み込んでしまう。
ドナリアに見せた幻惑は、言ってしまえば「テロリストの苦悩」だった。故に彼が苦しみ藻掻く姿は、どこか滑稽にも思えたし、ある種「当たり前の苦悩」のように思えた。
けれど――この光景は、確かにありふれた光景ではあるかもしれないが、当たり前の苦悩ではない。
「そうさ。この経験は、どんな世界にもありふれた出来事でしかない。言ってしまえばフェストラ様だって、アマンナ君だって、ヴァルキュリア・ファ・リスタバリオス君だって、経験する可能性がある『この世に充ち満ちた当たり前の呪縛』だ」
自分の子供さえ平気で貶めて、代わりがいるからと無下にする。
そして代わりがいなくなれば、今まで虐げてきたメリーに『お前で構わない』と上から目線で「務めを果たすのだ」と強要する、父親の姿。
――そんなモノが、この世界には充ち満ちているのだと、彼は言う。
「……でも、分からない。貴方はこうした『血や魔術回路を呪縛のように残し続ける』という世界を恨んだ筈だ。ならば何故、帝国の夜明けなんて組織を立ち上げ、エンドラスさんの提唱する【汎用兵士育成計画】を支持する?」
「違う。私は恨んで等いない。君の言う通り、確かにこの光景は『至極ありふれた悲しい出来事』だ。だがだからこそ……こうした出来事は、世界は、一部の人間だけが背負うべきなんだ」
「一部の人間だけが、背負うべき?」
「ああ。私やルトのように、十王族や一部の軍人家系だけが、こうした在り方を願われ、多くの人間はこの苦しみを知る事なく過ごせる世界。エンドラス様も私も、ドナリアもアスハも、それを願った――ッ!!」
繰り返され続ける、幼きメリーの苦しみを映す幻惑。
それは本来、彼を苦しめるモノの筈で、私の幻惑能力はそうした苦悩を与える為のもの。
しかし、幻惑は彼の根幹にあった願いをむしろ促進させるように、どす黒い怨念にも似た決意を溢れ出させてしまった。
ずんずんと両足を動かし、私へと近付く彼へ、私は黒い剣を振るって、彼の握るベレッタを弾き飛ばす。
「エンドラス様が何故【汎用兵士育成計画】を提唱すると思う? ドナリアが何故、政教分離政策の撤廃を求めると思う?」
「っ、分かる筈がない! 真の望みを口にしない者が、他者の理解を得られると思うな!」
「口にしたさ、理解を求めたさ、しかし前帝国王・バスクも、現帝国王・ラウラも、エンドラス様や私、そして実の子や弟であるドナリアの求めを棄却し、世間に知らせる事無く闇へ葬った――ッ!」
弾かれるベレッタに等視線を向けず、メリーの拳が私の頬を捉える。
だが彼の足を喰い、アシッド・ギアによるドーピングを受けている私は痛みを堪えつつ、彼の手を取り脇で抱える事で、ゼロ距離で言葉を放ち合う。
「エンドラス様が求めた世界は『一部の人間だけが戦いに導かれるべき』とした世界だ! 学術的裏付けの取れた遺伝子改良を受け、国に定められた家系だけによる国防。完成された防衛システム。市民は苦しみを、戦いを知る事なく、戦う運命を定められたほんの一握りだけが、苦しみを負う世界だ!」
「……それは、貴方が見た光景を、多くの人間が知る事のない世界だと?」
「そうだ。今行われている、個々の家系が行う遺伝子改良など効果はたかが知れている。であるのに個々が他を出し抜きたい、血族を遺し続けたいと躍起になり、誰も彼をも不幸にする!」
遺伝子的に他家よりも優秀な子を輩出したい。
より優れた魔術回路を血族に遺し続けたい。
そうした、人類にとっての果てなき呪いとも言うべき思考に、多くの人間が苦しんでいる。
メリーも――そして、私が勝手に覗き見てしまった、アマンナちゃんもその犠牲者であると、私は知っている。
「国家機関による遺伝子解析と適正な遺伝子同士による配合研究が進められれば、より高度な遺伝子改良も望め、そうした不幸を無くす事が出来る……遺伝子研究が進めば、例えば私のような顔面奇形も『ただのリンパ腺膨張による結果であり遺伝的要因はない』とすぐに判明する。差別を是正する一端を担う事にも繋がるんだ」
エンドラスさんの提唱した【汎用兵士育成計画】は「国家主導による遺伝子改良を繰り返す事で魔術・剣術双方に優れた兵士を育成する」事を目的としていたが……しかし、それは一側面でしかない。
言ってしまえば「国による遺伝子改良のみを許容する事で安全かつ効率的に優秀な兵士を排出し、今の遺伝子至上主義ともいえる上流階級の呪縛めいた考えを是正させる事が出来る」という目的も存在したのだ。
「一部の人間の中で、私やルトのような人間は、これからも生まれ続ける。しかし、それを一部だけに留める事は出来る。今のように、個々の家系が学術的裏付けのされていない遺伝子改良を自由気ままに続けて行けば、不幸はより広く、大きく伝播し続けるだけだ……!」
私には、彼の嘆きが……呪いを受け続け、苦しんだ彼の事を、上手く理解できなかった。
「私には、分からないよ」
「理解されたい等は思っていない」
「いいや、そうじゃない。理解は出来たよ。苦しかったと思う、嘆いていい事だと思う。それだけの呪いを、血の呪縛を受け続け、実の父親から差別をされ続けた事の苦しみはね。――けれど、その苦しみをこれ以上広めない為にと、別の苦しみを広めようとする貴方を、認める事なんか出来ない。アシッドなんて人の大枠から外れた存在を野に放つなんて、言語道断だ!」
掴んでいた彼の腕を引きながら、背負い投げで地面へと叩きつけ、亀裂の入る地面に向けて足を振るうも、しかし彼はその足を避け、私と距離を取りながら――既に笑みも無く、苦しみしか表現しない表情を、こちらへ向ける。
「貴方も、ドナリアと一緒だ。自分たちの思い描く理想を叶える為に、多くを犠牲にする。貴方達がこれまで使い捨てて来た人命も、これから使い捨てる人命も……私の大切な家族である、ファナやお母さんの命だって、その理想の為と無下にする!」
「理想の実現には、如何な犠牲も許容する覚悟が必要なんだよ。ドナリアには覚悟が足りなかった。故に君の見せる幻影に惑わされ、発狂した」
「その犠牲に私の大切な者があり続ける限り、私は貴方達の理想を否定すると言っているんだ!」
今、こうして私がメリーと戦う理由は、作戦の一端でしかない。
けれどこうして、彼の願望を聞く事が出来て良かった。
彼らの願望や野望を知る事が出来た事で、私の中で燻る疑問が――彼らの野望は私が全霊を以て止めるべき悪業であると理解できたから。
私の振るう黒い剣による一閃と、メリーの振るう拳がぶつかり合う。
そうしてぶつかり合う個々の願いは――しかし誰にも届く事は無い。
誰もが、己が信念の為に、戦いへと向かっているから。
**
ルト・クオン・ハングダムは、ファナの身体とレナの身体を抱き留めながら、黙するヴァルキュリアとアスハから遠ざかった。
自分を抱き留めるルトの温かさを感じつつ……ファナが再び、彼女へと名を問う。
「えっと……あの、どちらさま、ですか?」
「私はルト・クオン・ハングダム。十王族のひとりよ。よろしくね、ファナ・アルスタッドちゃん」
ファナへとレナの身体を預けた上で、二人を守る様に立つルトは、紺色のラバースーツと思わしき身体の線が出る程に張り付く衣服を身にまとっている。
「――なるほど。ファナ・アルスタッドという存在は、まさに十王族や帝国警備隊等の公権力が守るべき存在である、という事だな」
再生を終えたアスハが、抜き放ったナイフを全てファナに向けて投擲するも、しかしその軌道を読み切っていたルトはファナの眼前でそれを全て受け取り、素手が鋭利な刃物で切れる事を何とも無さそうに、地へと落とす。
「さて、どうかしら。私が貴女という反政府組織の一人を追っていたら、ファナちゃんがピンチになっていた可能性もあるわよ」
「私がそんな単純な追跡を見逃すと思っているのか? ハングダム家の認識阻害術は、メリー様から対処法を伺っている」
「そうかもしれないわね。けれど兄さんの持つ認識阻害術と、私の認識阻害術が同等・同様のものであると、誰が保証するのかしら?」
二人が何を言っているのか、当事者である筈のファナも全く理解できず、ただ呆然とする他ない状況。
しかし、ルトと言う女性が十王族の一人で、彼女がファナとレナを守ってくれたという事実が、ファナの不安を軽減してくれている事は確かである。
「ファナちゃん、一つお願いがあるの」
「へ、な、なんですか……?」
「アスハと決して視線を合わせないで。彼女の力は目を合わせた対象の支配能力よ。だから目さえ合わせなければ、支配能力に苛まれる事は無いわ」
ピクリと、僅かに筋肉が反応するアスハに、ルトは「分かりやすいわね」と言葉を放つ。
「貴様、私の固有能力をどうやって」
「私は状況から判断したに過ぎないわ。ヴァルキュリアちゃんは視線を合わせていた貴女に囚われた。音声催眠のような痕跡も、魔術的な要素も何も無かったもの」
チ、と舌打ちしたアスハ。彼女は自身の腰へと手を当てると、そこから突如として姿を現した一本の剣が抜き放たれる。
「能力が見破られたとしても、優位は私にある」
「果たして、本当にそうと言えるかしら?」
「ああ――私を破れる者は、私と同じ土俵に立つ者だけだ」





