十王族-06
ヴァルキュリアは、その『お父さん』がファナの父ではない事を知っている。
だがそれでも、レナはファナに、その父の姿を語った。
それは恐らく――レナの本心からだ。
レナが心の底から、その男を愛した結果……父の在り方を笑顔で語れるのであろう。
「……ごめんなさい、何だか湿っぽい話になっちゃったわね」
顔を赤くしつつ、僅かに潤んだ瞳を拭いながら笑みを浮かべたレナは、立ち上がって部屋のドアノブに触れた。
「お母さん、そろそろお仕事に行ってくるわ。ファナはちゃんとお勉強するのよ? ヴァルキュリアちゃん、ファナの事をよろしくね」
「お勤め、頑張ってください、レナ殿!」
手を振りながらファナの部屋を出ていく姿を見届けた二人は、椅子を元の位置へと戻し、勉強をする姿勢をとるが、しかしまだ勉強へと戻らない。
「お姉ちゃん、そんなに身体が弱かったんだ」
「昔は、アシッドとしての再生能力を持たなかったのであろうか……それとも赤ん坊故にそうした能力を上手く扱えずにいた、等は考えられるであるな」
疑問に浮かんだ点はあるが、ファナもヴァルキュリアもアシッドの事はよく知らない。その上二人は頭も決していいとは言えず、仮説を上手く立てる事も出来ずにいた。
「……クシャナ殿は、随分と愛されて生を得たのであるな」
だからだろうか、ヴァルキュリアは先ほどレナから聞いた話を思い返し、心の底から湧き出た言葉を、思わず口にしてしまう。
ファナが顔を上げ、その無垢な表情でヴァルキュリアを見るので、彼女は苦笑しながら首を横に振る。
「何でもないのである」
「……お父さんとお母さんの事ですか?」
「うむ、まぁ、そうなのであるが」
話を逸らす事が出来なかった。だが、ファナとしてもどれだけヴァルキュリアへ踏み込んで良いか分からないと言った様子であったから――いっその事、彼女が気にしないよう、打ち明けてしまおうと考えた。
「大した事は無いのだぞ? クシャナ殿が苦しんだ時、レナ殿も父君も、クシャナ殿の幼い命を諦めなかった。それはとても尊ぶべき事であるが……もし拙僧がクシャナ殿と同じ立場であった時、父と母は拙僧の命を、諦めずにいてくれたのだろうか、とな」
「それは――」
ファナとしては、すぐに「子供を愛していない親なんていない」と言葉にしたかったのだろう。だが、その口を結んで、目線を降ろした。
ファナとて勉強は出来なくても、学ばない子供ではない。
クシャナが普段言うように、家族と言うのは、人と言うのは十人十色、人の数だけ答えがあるものだ。
であれば、ヴァルキュリアの両親が、そうであると決めつける事は出来ないし、してはならない。
それは……時に過酷な真実に対する、愚弄でもあるからだ。
「良いのだ。もう母は亡くなって、既に答えを得られない。父とも長らく家族としての語らいを忘れている。聞いた所で『詰まらん事を聞くな』とでも言われる事だろう」
答えが出ぬ事だと、ヴァルキュリアは口にする。
けれどファナは――本当にそうなのだろうかと考えてしまう。
「その、生意気なこと言っちゃうかも、ですけど……」
だから言葉にしてしまった。故にヴァルキュリアもこちらを向く。
そしてファナとしても……言葉が、疑問が止まらなかった。
「えっと、アマンナさんは、お兄さん……フェストラさんの事を、大切なお兄さまだって、家族だって、言ってたんです」
「……あのアマンナ殿が、であるか」
「はい。アマンナさんは、きっと大切に想う人の事を、ちゃんと自覚してて……多分、アタシやお姉ちゃんが、皆を守りたいのと一緒で、きっとフェストラさんの事を大好きなんだって、アマンナさんの意志で守ろうとしてるって、そう分かるんです」
アマンナは口数こそ少ないが、しっかりと自分の大切な家族の事を認識していた。
だからこそフェストラを守る為には、時に自分の命を投げ出す事だってするだろう。
それをヴァルキュリアは「狂信の域だ」とするけれど――しかし、信仰の具合はともかくとして、それは彼女の心に根付いた、確たる信念である。
だが――ヴァルキュリアが家族に向ける感情は、そうした確信の伴ったものではないように思えたのだ。
「ヴァルキュリア様は、その、お父さんとお話しする事、怖がってるんじゃ、ないですか?」
「怖がってる……? 拙僧が、であるか?」
「はい。アタシも、ヴァルキュリア様のお父さんが、ヴァルキュリア様の事をどう思ってるとか、そういうのはよく分かんないですけど、分かんないからって、そのままにしちゃ、ダメなんだと思うんです」
ヴァルキュリアがこれまで十七年間生きて来た中で、家族とどれだけ語らいの時を設けたか、ファナは知りはしない。
だが、これまで聞いてきた中で、きっとヴァルキュリアが父や母と長らく語らいをしなかった事は――否、避けて来た事は容易に想像できる。
ヴァルキュリアは、とても不器用な女の子だ。それは数週間程度共に過ごしたファナにもよく分かった。
「もしかしたら、本当にお父さんは、ヴァルキュリア様の事を愛していないかも、しれないです。でも、それを聞かずに、ヴァルキュリア様が心に留めて答えを勝手に想像しただけじゃ、ダメなんです。お父さんにとっても、ヴァルキュリア様にとっても。アタシは……そう思うん……です、けど」
ファナの中には、様々な葛藤が、言葉にした事の後悔が渦巻いていた。
ナマイキな事を言ってしまった、ヴァルキュリアを傷つけたかもしれない、もしかしたら嫌われてしまったかもしれないと、そうした焦りが心中でグルグルと回っていた。
それでも、問わずに居られなかった。
ヴァルキュリアは、ファナにとっての理想で、憧れだ。
故に彼女が停滞し、答えを決めつけて項垂れる姿を、見ていたくなかった。
先にどんな答えがあろうと――ヴァルキュリアならば受け止めて、未来へと進む勇気や力があると、ファナは信じたかったのだ。
そしてその想いは……ヴァルキュリアにも届いている。
「そう、か……拙僧は、怖がっていたのだな」
今まで、どうしてそれを問わなかったのか、今更ながらにヴァルキュリアは思った。
簡単な事だった。きっと父であるエンドラスが自ら率先して、その答えを語る事は無い。
だからこそ、ヴァルキュリアから問わねば何も変わらなくて、そうする事が一番であったハズなのに、そうしなかった。
――家族としての時間が停滞していたのは、何より自分が答えを怖がったからじゃないのかと、自分を恥じた。
そう分かった瞬間、ヴァルキュリアは頭の中にかかっていた靄が消え、晴れ晴れとした気分となったのだ。
「うむ。拙僧としても、答えを知りたい。――何時になるかはまだ分からぬが、父に答えを、尋ねたいと思う。そして母が拙僧の事をどう思っていたのか、父の見解だけでも良い、それが聞きたい」
ヴァルキュリアは、その軽やかな気分を隠す事もせず、満面の笑みをファナへと向けた。するとファナは顔を赤くして僅かに視線を逸らすが……ヴァルキュリアは気にしない。
机の上にあるファナの手に、自分の手を重ねて、その温かさを感じながら、感謝の念を口にする。
「ありがとう、ファナ殿。本当にファナ殿は強く、聡明な女性だ」
「そんな、えっと、アタシなんかがナマイキ言っちゃって、ごめんなさい」
「違うぞファナ殿。ファナ殿は『なんか』等と呼ばれる陳腐な女性ではない。誰よりも魅力がある、素晴らしい女性だ。拙僧が守りたいと願う、主としての姿である」
視線と視線が交わり、ファナは気恥ずかしさと同時に良い雰囲気の状況を……どこかチャンスだと思ってしまう。
――え、これ、チューとか出来ちゃうんじゃない……!? お、お姉ちゃんみたいな大人な女性ならこういう時しちゃうのかな……!?
ドキドキと早くなる鼓動を抑えたくても抑える事が出来ず、けれどどこか心地良ささえ感じながら――ヴァルキュリアの唇を見た、その時。
カコン、と。郵便受けに何かが入れられた音が、窓の開いた外から聞こえた。小さな音にビクリと身体を震わせたファナと――表情を強張らせるヴァルキュリア。
「あ、え、あの、ゆ、郵便屋さんが何か入れてくれたみたいで、あ、アタシ取って来ま――」
慌てて取り繕いながら立ち上がり、郵便受けへと走ろうとするファナ。
だが、そのファナの手を、ヴァルキュリアは取り、引き留めた。
「……待つのだファナ殿、拙僧も行く」
「え」
「気配を感じなかった――ただの郵便屋であれば、拙僧が気配に気付かんはずはない」
ファナは手を引かれながら、二階にあるファナの部屋を出たヴァルキュリアに困惑しながらもついていく。
ヴァルキュリアは玄関の扉をゆっくり、そっと開けるようにすると、郵便受け周囲に誰もいない事を確認し、外へ出た。
ファナは気付いていなかったが――この時のヴァルキュリアは、すぐに剣を振れるように、片手は常に自由にしていた。
疑問を感じつつも、郵便受けにある一枚の手紙を取り出した。差出人の書かれていない、小さな紙を二つ折りにしただけのモノを、めくりながら書かれた内容を、読む。
瞬間――ファナは全身の血の気が引いた感覚を覚える。
思わず落としてしまった紙、ヴァルキュリアがそれを受け止めながら、周囲の警戒を行いつつ広げて読むと、彼女も紙を握りつぶしてしまう。
紙には、こう書かれていた。
『ヴァルキュリア・ファ・リスタバリオスへ。
レナ・アルスタッドの身柄を拘束した。
今から三十分以内に工業地帯第五地区【集い場】跡まで、ファナ・アルスタッドと共に二人で来い。
さもなくばレナ・アルスタッドの安全は保障しない』
短くも――二人を絶望の只中に叩き落すには、これ以上ない文面であった。





