アマンナ・シュレンツ・フォルディアスという妹-11
Mの背中、その骨に当たらないよう計算されつくした一突。
彼の身体を押さえた状態で、ナイフを背中から腹に向けて強く押し込まれた。引き抜かねば血は流れないが、引き抜くにも相当の力が必要となる。
痛みは大きい。ハイ・アシッドであるMにとって、痛みにさえ耐えれば良く、死ぬ事は無いが……そうして刃という異物が差し込まれた状態では、肉体の再生も出来ず、痛みは続く。
「……本当に驚いたな」
口内に入れられた紙を吐き出し、踏みつけながら、小さく言葉にする。
帝国警備隊の人間や、周囲から喧騒を聞いた者達が集まり、人混みはさらに多くなる。
混乱の中で、Mと共に二人の人間……否、アマンナとミラージュの頭が、ただ人混みの中で立ち尽くし、喧騒の中で聞こえにくい言葉のやり取りを繰り返す。
ミラージュの頭は布で包まれてアマンナが抱えられているが、アマンナやMの有する認識阻害術によって、それが違和感のないモノとして、周囲には認識されているだろう。
「幾つか、聞いてもいいかな」
「どうぞ」
「まず、クシャナ・アルスタッド君を変身させた状態で首を落とし、それを転落事故に見せかけた理由は何だい?」
「正直、人目を引く方法なら何でもよかったんですが、五分と言う短い時間、それも作戦考案時間も含めたやり方で思いついたのが、これだけでした」
恐らく先ほどMが考えた、ミラージュの身体だけを用いた落下事故と思わせておいて猟奇事件であったという、インパクトある光景を使う事で人を集め、その中にMがいる事を想定した容疑者の絞り込み作戦は正しい。
アマンナ曰く他にも人を集める方法はあったが、それをしている時間が無かったので、このような方法になったのだという。
変身後のミラージュは随分と目立つ格好をしている。その格好を利用する事で、更に人の目を集める事を意図したのだろう。
「後は、聖ファスト学院の制服だと、後々情報隠蔽が面倒なので、という意味合いもありますが」
『私としても魔法少女の格好は恥ずかしいけど、猟奇事件の状態なら格好に目が行く事も無いだろうし、それは良かったよ』
付け加えられた理由はMにとってどうでもよかったが、回答が面白かったので思わず笑みを零してしまう。
「……二つ目は、どうして私を見つける事が出来たか、だ。確かに動揺はしてしまったが、この状況で動揺している人間は、さして珍しい者でも無いだろう? まさか、当てずっぽうではないだろうね?」
「いいえ。元々、貴方の使用する認識阻害術は、人間の持つ朧気な認識力を利用したもの……わたしと同じ、ハングダム家の認識阻害理論の応用であると、仮定していました」
ハングダム家はグロリア帝国十王族の一つであるが、ハングダム家の主な公務は「公権力に仇成す存在を調査する暗部」である。
シュレンツ分家はハングダム家の持つ技術理論を応用した暗殺や諜報活動を主としていて、Mの持つ技術も同様に、ハングダム家の持つ潜伏技術理論の応用だ。
「わたし達、シュレンツ分家が使用する認識阻害術は、ハングダム家の『魔術を用いない、痕跡を残さない技術理論』をより突き詰めたものです……身体的特徴を相手に捉えられても、それを脳内で『どうでもいい情報だ』と誤認させるモノ……ですが、貴方のそれは、どうにも違うと、お話しをしていて、思いました」
「君の持つ技術と、私の持つ技術は違うと考えたんだね」
「ええ。色々と検討しましたが、貴方の用いる認識阻害術は、人間の認識を違うものに置き換える……つまり、惑わせたい相手の情報を置き換える……【情報置換】の類であると判断しました」
情報置換とは、その名の通り人間が視覚や聴覚などで得る情報を置き換える技術であり、Mが有する認識阻害術はこの技術が用いられている。
人間は五感から得る様々な情報を脳に送り判断する。しかしMは脳へ送る情報そのものを置換させ、誤認識させているのだ。
クシャナやフェストラ、アマンナが見ている身体的特徴が異なるのは、見た情報を脳へ送信するより前に、それぞれ違うモノに置き換えられているからに他ならない。
「情報置換を魔術で用いるとなれば、必ず魔晶痕が残ります。でも、前回も今回も、魔晶痕は確認出来ていない……つまり、魔術以外の特異現象。そうした技術となれば、恐らくハイ・アシッドによる【固有能力】なのでしょう」
ハイ・アシッドは、アシッドから進化した過程で、それぞれ【起源】に根付いた固有の能力を発現させるという。
クシャナ・アルスタッドの幻惑能力や、発展途上らしいがドナリア・ファスト・グロリアの持つ鋭利な爪を伸ばす裂傷能力もそうであり、Mという男が持つ能力は、前述の【情報置換】能力であるのだろうと、アマンナは仮定する。
「そして、それだけ大規模な能力となれば、その処理を行うにもある程度条件付けが成される筈です」
「ほう、条件付けと?」
「クシャナさまの持つ幻惑能力は強力ですが、多くの存在を惑わす事が出来ない。ドナリアの裂傷能力は単純なものですが、故に攻撃力や応用力が高い。……貴方もクシャナさまと同じく、多くの存在を惑わす事が出来ないか、それに近しい条件付けがあると考えました」
アマンナが想定した条件は幾つもあるが、今回において重要なのは二つだ。
一つ目は置換する情報処理の方法。アマンナとしては『二回見ているクシャナが違う印象を与えられている』という事から、使用するたびにランダムで情報置換を行っていると想定。
二つ目、適用距離――これが今回のゲームにおいて、最も重要かつ、勝利の決め手であったと言っても良い。
「今回のゲーム、貴方は範囲を一キロと指定しましたが、実際に移動したのは三十メートル圏内。恐らく二十メートル辺りが能力範囲で、そこから出れば問題ないとしたのでしょうね」
「実際、二十メートルが適用圏内だよ。この適用圏内を出た後も、また適用圏内に入れば再度能力が付与される自動付与型、とでも言えばいいかな」
「適用範囲が決められている反面、適用人数を問わない。加えて二十メートル以上も離れていれば、ハングダムの認識阻害術を用いて自分の存在を意識させない事が可能――つまり普通の人間は理論上、貴方の素顔を捕捉する事は不可能、という事になる」
「ああ、だから問うているんだよ。……この能力を用いている私を、どのように見つけ出したか、をね」
「二十メートル以上離れた場所から、貴方を見つけ出した。それだけです。簡単でしょう? ――メリー・カオン・ハングダム」
名を言われ、アマンナの方を見たM。アマンナは普段髪の毛で隠す目を曝け出している。
そうした中で、Mは一つの推測に辿り着いたようで「そうか」と頷いた。
「君の目、それは魔眼だね。それも、左右で魔眼の持つ効果が異なる、珍しいタイプだ」
「ええ。髪の毛を魔眼の効果を抑える整髪料で塗り固めて、暴発を押さえていますが、こうして髪の毛を退ければ、魔眼が発動出来ます」
魔眼とは、先天性・後天性問わず眼球に付与された魔術効果を持ち得るモノの俗称だ。基本的には各々で持ち得る能力が異なり、またアマンナのように左右別れた魔眼と言うのは珍しいと言われている。
「魔眼の効果を伺ってもいいだろうか」
「お答えする理由はありません」
「そうか。残念だ」
アマンナから一歩ずつ遠ざかっていくMを、アマンナは追いかけない。
下手に追いかけ、周りの人間にアシッド・ギアを用いられるなどの事を避けての理由あるが……体調的な側面も大きい。
「でもありがとう、面白かったよ。君達が勝った時に私についてを教えるつもりだったが、それは名も含めて色々とバレてしまったようなので、大人しく帰るとしよう」
「メリー・カオン・ハングダム。……ハングダム家が何故、こんな事を」
「家は関係ないよ。……私達【帝国の夜明け】はただ、エンドラス様のお考えに同調しただけさ」
人混みを抜け、路地裏に入っていった所でアマンナはミラージュの頭を抱えながら追いかける。
だが、既に路地裏には誰もおらず、アマンナはため息をついた。
『その……アマンナちゃん?』
「はい、どうしましたか、クシャナさま」
『聞きたい事があるんだけど』
「ええ、わたしの持つ魔眼について、ですね。……えっと、わたしの魔眼は、左目が【不干渉の魔眼】で、右目が【時間停止の魔眼】……です」
双方ともに、名前だけでどんな能力であるか分かりやすいものであるが、どちらも強大な力を有する魔眼である。
左目の【不干渉の魔眼】とは、他者が展開しているあらゆる干渉事象を除外した状態の視界を得るものだ。これでMの用いていたハングダム家の認識阻害術による干渉を除外した視界情報を得た、というわけだ。
しかし、ハイ・アシッドの能力として展開していた二十メートル以内の情報置換能力は、得た脳へ送る視界情報を置き換えるものなので、この不干渉の魔眼によって打ち消す事が出来なかった――故に、彼女は右目の魔眼を用いたのだ。
右目の【時間停止の魔眼】――他者に干渉しない限り、あらゆる時間の進み方から断絶された個に、自分を変質させる能力を持つ魔眼だ。つまり、彼女がこの魔眼を発動している間は、自分の時だけが動き続け、周りの時は止まり続けるという、特異な魔眼である。
『魔眼って、目に見える範囲に何か効果を及ぼすものだと思ってた』
「ええ、そうです。……じゃあ人は、時の流れって、どうやって認識していると思いますか……?」
そう問うたアマンナの言葉に、クシャナは『どういう事?』と問い返す。





