フェストラ・フレンツ・フォルディアスとの出会い-06
この時の私には、ハイ・アシッドとしての力も、それ所か魔法少女に変身する為の、マジカリング・デバイスもなかった。
アシッドに対抗する術を持たない事に他ならなかったのだ。
「庶民、お前はアレが何か知っているんだな?」
「……ああ、知ってるよ」
「なら――お前を殺すわけにはいかん」
視線で指示するフェストラと、それに頷くアマンナちゃんが、同時に動いた。
フェストラは指を鳴らし、自身の背後に空間魔術を展開、大量のバスタードソードを投擲し、アシッドの全身にくまなく突き刺していく。
だが、それでも相手は動きを止める事は無い。一撃一撃を受けながら、尚も前へと歩みを止める事は無く、アマンナちゃんはそんな敵を端目に、私の下半身を抱え、持ち上げた。
「ちょ、離してッ!」
「いえ……お兄さまの、命令です、から」
アマンナちゃんが私を抱えながら、強く地面を蹴って跳ぶ。
一瞬の内に集合住宅の屋上へと降り立ったアマンナちゃんだが、そこで足を止める事無く、隣の屋根へ、そしてまた隣のと、四件先の屋上に着くと、違う裏通りへと降りた。
そこで私を勢いよく地面へ降ろし、お尻を打って悶える私の腕を、アマンナちゃんが捻る。
「痛い痛い痛いっ!」
「……抵抗、しないでくれます……?」
「元から二人に抵抗するつもりはないって! 私はただ、アイツに喰われたいだけなんだからッ!」
「喰われたいとは、随分特殊な癖を持っているのか――それとも、それなりに込み入った事情があるのか、どっちだ?」
アマンナちゃんに続き、フェストラも私達の下へやってきた。私はあのアシッドがどうなったか気になり、首を傾げて問いかける。
「……アシッドは?」
「殺せていない、ひとまず撤退しただけだ。アイツ、人間なら何度死んでいるか分からんほどに殺しても、尚起き上がる。アイツは何者だ? アシッドとは何だ?」
未知なるモノとの遭遇により、この時のフェストラは大層焦っていたように思う。
当然だろう。人の姿をした存在が人を越えた力を有していて、何度殺したとして起き上がり、執拗にこちらを狙ってくるのだ。
常識的な存在じゃないモノを知り、それでも尚冷静沈着に敵の事を見据える事が出来るのは……それこそ、それ以上の化け物でしかない。
「……簡単に言えば、不死の怪物さ」
「対処法は?」
「無い。頭を完全に破壊する以外には」
「どれだけ破壊する必要がある?」
「細胞核一つ残さず、だね」
そこでフェストラの表情が、より歪んだ。
高位の魔術師と言えど、人間の頭部を一瞬で破壊する、細胞核一つ残さず消滅させる手段はほとんど無いと言ってもいい。
マグマや数千度の熱で焼き払う、高熱兵器などによる消滅は可能だが、周囲への影響などを鑑みると、そうした魔術があったとして使役も難しい。
「アレは人食いの怪物か何かか?」
「そう思えばいいよ。とにかく頭さえ残っていればどれだけの重症を負おうと死ぬ事は無い、身体を失おうが再生を果たし、強靭な顎と歯を用いて、人を喰う――それがアシッドだ」
だから対処法が無いと言ってる、とした私に、それでもフェストラは肩を揺さぶってきた。
「何か、方法は無いのか? 例えば、殺す事が出来ずとも捕えたり、無力化する方法が」
「強いて言えば、全く人や肉が無い状況に追い込んで強固な檻に閉じ込めておく、程度の方法位しか、思いつかないよ」
例えば首都・シュメル内から完全に人を失くし、その上で長く放置しておけば、アシッドとしての身体能力は低下していく。
その後は喰われぬよう警戒しつつ捕える事は可能かもしれないが……。
それにもフェストラは、頭を抱える。
当然だ、人を喰う怪物の存在を世間へ周知し、訪れる混乱の大きさ、その中で民衆をシュメル外へと避難させ、その間一度も敵を民衆へ近付けない等、出来る筈も無い。
もしそれに成功したとして、今度はシュメル外へと奴が餌を求めて出向いて来ない、来たとしてそれを食い止める事が出来る、という保証もないんだ。
どんな手段を考えても……少なくとも、今すぐに施せる対策ではない。
「アイツは、人の匂いにも敏感だ。……多分、私の匂いを覚えて、遅からずここに来る。だから、二人は私を置いて、私が喰われている間に、逃げて。そして、アイツを捕らえる事が出来る可能性のある、然るべき所に助けを求めるんだ。フェストラ様ならそれが出来るだろう……っ!」
ハイ・アシッドである私は、その肉の持つ栄養価も通常のアシッドや人間よりも多い。
それをあのアシッドは、本能的に察して私の事を狙うだろう、とは言わない。時間の無駄だからだ。
――何故、こうした説明を行っているかと言うと、早々にフェストラとアマンナちゃんには、諦めて逃げて欲しいからだ。
もし、ここで無理に奴と対峙しようとすれば、私達三人は喰われ、再びアシッドは闇夜に消える。
そして毎日、少しずつ少しずつ、罪のない人々を喰らい、何時か――ハイ・アシッドへと進化を果たし、今後はヒトとしての知識と感情、理性を取り戻した上で、効率良く人を食していくようになる。
そうなれば、もう捕える事も難しい。
ならば、私を囮にして二人は逃げ、少しの情報を持ってあのアシッドを捕らえて欲しい。
そう願う事は正しい判断だと……未来の私でも、そう思う。
けれど、フェストラは違った。
彼はきっと、この時点で、さらに未来を見据えていたのだろう。
あのアシッド以外にも、同じ力を持つ存在が――否、もっと脅威な力を持つ存在が在る可能性もあると、考えていたのだ。
だから、彼はここで、首を横に振るのだ。
「庶民。お前はアイツに対する情報を唯一持ち得る存在だ。……お前を殺すわけにはいかん」
「話しを聞いていた? 今すぐできる対処法なんてもう無いんだよ。なら一人でも多く生き残る事を優先する事が間違っている?」
「オレはお前を殺すつもりなど毛頭ない。お前がどれだけ奴に食われようとした所で、オレはお前を意地でも殺さない……ッ!」
私の胸倉を掴み、そう熱意を込めた言葉を放つフェストラに……私は耐えきる事が出来ず、ボロボロと涙を流しながら、その手を払いのけた。
「私の人生は、もう終わっていいんだよ……ッ!」
「……何を言っている?」
「人は自分を殺す事が、唯一犯す事が出来る罪だ! なのに私は、自分を殺す事さえも許されず、これから先の人生を無為に生きろって言うのかッ!? ……そんなの、あんまりだ、っ!」
何を言っているのか、フェストラには分からないだろう。
分かってもらおうなんて思っちゃいないし、分かる筈もない。
かつて私が――プロトワンが、自分以外のアシッドを全てを喰い尽くしてしまった。
結果として赤松玲は死ぬ方法が無く、無為に生きる事しか許されず、果たせぬ自殺を幾度も繰り返した。
何の因果かクシャナ・アルスタッドへと至った世界では、自殺の真似事さえも許されない、自死を禁ずる宗教の世界だった。
大好きな母も、可愛い妹も、学校にいる子供たちも、目の前にいるフェストラも、アマンナちゃんも、これから先の時間で共に生きる全ての人達は、私よりも先に死んでいく。
その悲しみや辛さを覚える事無く――大切な人達に支えられて得た、幸せの渦中で死にたいと願い、今ようやくその方法を見つけたのだ。
なのに――フェストラは、それさえも許さないという。
――これ以上、酷い仕打ちは無いだろう。
そう嘆き、膝を折って自分の顔を埋める私の姿を……フェストラは見据えて、舌打ちをした。
立ち上がり、アマンナちゃんに何かを顎で示し、その上で、私に背を向けた。
「庶民。お前は今、『人は自分を殺す事が、唯一犯す事の出来る罪だ』と言ったな」
「……ああ、それが何だよ」
「お前が死ねば、きっと遠くない未来で、多くの人間が死ぬ」
「私が死ななかった所で、同じ事だ」
「お前が生きていれば、より詳細をお前から知れば、少なくとも対処する方法を思い浮かぶ可能性がある。お前が死ねば、お前から与えられた情報を元に対処法を思い浮かぶ可能性はゼロに至る。……人類が奴の影に怯えながら暮らさねばならなくなる可能性がより高まるんだよ」
私から遠ざかっていく二者の背中を、私は見ている事しか出来なかった。
「そうして塞ぎ込んで、自死を望み、結果として多くの人間が死ぬ事になれば……それはお前の罪だ」
言葉を発する事も出来ず、背に向けて手を伸ばす事も、出来ずにいた。
「絶対にオレは、お前を殺さん。……例えオレが死んだとしても、お前だけは生き残らせる算段を付けてやる」
薄暗く、細い通路に一人だけ取り残された私は……考えていた。
あのアシッドを、どうにかして倒す事が出来ないか。
これから二人は、アシッドによる被害を少しでも減らす為に戦うのだろう。
彼らの力量を詳しくは知らない。けれど、先ほどアシッドと相対していた時の能力を見れば、少なからず時間を稼ぐ事や、殺す事は出来ずとも対応する力があるという事は分かった。
……けれど最終的に、奴の不死性を前にして、何時かは膝を折らねばならぬ時が来るのだろう。
――そうなった時、私は喜んで、奴に喰われる事が出来るか?
――積み上がった死体を前にして、それでも私は、嬉々として自らを差し出す事が出来るのだろうか?





