フェストラ・フレンツ・フォルディアスとの出会い-05
私の隣に腰掛けたフェストラは、そこで私が用意していた広報誌・新聞を全て手に取り、一つ一つ情報を吟味するように、仕分けを行っていく。
そして……一つだけ仕分けされたのは、私が買った今日の新聞。つまり、例の被害が乗っている記事だった。
「……私に、何の用です?」
「アマンナの話を聞いて、随分と焦っているな。……ちょっとカマかけてみるか、程度で命じてみたが、実に面白い反応をする」
その記事を読み、しかし数秒で「詰まらん記事だ」と批評したフェストラは、私の目と、自分の目を合わせるのだ。
「単刀直入に聞こう。――クシャナ・アルスタッド、だったな。お前は今回の事件に関わりがあるのか?」
「……ありませんよ、そんなの」
「お前も良く分かっていない、と言った感じか。外れとは言えんが、当たりとも言えんと」
フェストラは人の目を見て言葉の真偽を図ろうとする悪癖があると、当時の私でさえ気付いていた。
確かに「目は口程に物を言う」とされているが、しかしだからとて、目の動きだけで他者を図るのは、余程確信が無ければならない。
……何か確信があったのかもしれないけれど、それを分からない人間からすれば、彼がとても恐ろしい存在に思えたのだ。
「もっと調べたいか?」
「……は?」
「現場を調べたいというのなら、手を貸してやると言っている」
「一介の学徒である貴方が、なんでこんな殺人事件を調べるんです? 別に、政局とかには何ら関わらないでしょ?」
「今回の事件はオレとしても捨て置けん。なるべく多角的な情報が欲しい。……まぁ、お前のような庶民に何か分かるとも思えんが、何か知っていそうにも見えるしな」
座ったばかりの席を立ち、挑発するように見下すフェストラに、私はムッと表情をしかめつつ、しかし彼の申し出が有難いと思っていた事も確かだ。
面倒で、あまり関わりたくない問題ではあるけれど、アシッドという存在が本当にこの世界に現れた、存在した、という事になれば、家族の安全を保障できない、という考えからだった。
王立図書館を出るフェストラについていき、彼の後ろを歩く事十数分。
向かった先は、工業区画にて働く者たちの住宅地域。
簡素な集合住宅が幾つも建設されており、人は疎らな光景は人口の多いシュメル内とはとても思えぬ程、静かだ。
と、そんな事を考えていた時、それなりに開かれた通りから、二人が横並びでようやく通れるか否か、という程度の細い道に向かっていく。
すると通りを大柄な男性が何やら防護服のようなものを着込みながら立ち、その腰にはバスタードソードを備えていて、随分と警戒しているように見えた。
「彼らは」
「オレの部下だ。心配するな」
その場には四人ほど、武装した男たちがいたけれど、フェストラを見ると彼らは頭を下げ、フェストラが顎で何か指示をするとその場から去っていく所を見るに、彼の部下というのは間違いないようだった。
「ここが事件現場だ。とは言っても、腐敗臭の問題で血と残った腕と足は回収してしまったがな」
その現場に残されていたのは、地面に沁み込んだ大量の血痕と、僅かに残る死臭だけ。
本来なら「これで何を伝えようと言うんだ」とでも言えばいいのだけれど――私には分かる。
(アシッドの、気配がする)
口には出さなかった。けれど、フェストラは私の表情を見て何か悟ったのか、私をジッと見据えている。
自分の事だから、良く分からなくてもしょうがないけれど……こうして夢として、自分を俯瞰的に見ると、この時の私は、表情でそのまま感情を表していたから、悟られても仕方が無い気がする。
「お前は何かを知っている」
私は何も答えない。ただ、地面に沁みこむ血痕に触れ、気配を辿る様に、目を閉じる。
「殺された二人の事は、記事に載っていた通りだ。レスガ・ズンと、パストラミ・パラマ。グラテーナの開発主任と計画主任を務めていた、帝国魔術師の出向組だ。……戦闘技能にも精通し、そこいらの夜盗が襲い掛かった所で、簡単に殺される連中じゃない」
フェストラが、通りを形成する建物の外壁に触れた。外壁は僅かに焦げるような変色を果たし、そこでどんな抵抗があったかを、魔術師に分かる形で残していたんだろう。
「加えて二人は現帝国王・バスクを筆頭とした非軍拡主義、政教分離政策にも肯定的だった。オレもグラテーナには個人的に資金援助を行っていたし、今回の事件で被害を被っている」
「……で、反対に今回の事件で金を得た私が怪しいと、そう睨んだって事ですか?」
「直近でシュナイデとリュミウスの株を買い、その直後に殺されているんだ。関連性が無いと断言する事も難しいだろう?」
そう……この当時の私も、今の私でさえも、そこが分からないのだ。
私は二社が共同で新型機開発を行っているというリーク情報を得ると共に、株価の推移を見極めて買いのタイミングを図っただけだ。実は三ヶ月前から目を付けていた。
加えて二社の株は短期売買を目的としたものじゃなく、長期保有と配当金の利回り・バランスが良かったから買っただけ。
何故、私が二社の株を買った直後だったのか。
何故、その二人だったのか。
もしアシッドによる犯行だとして、私を陥れる為に行動しているようにも思えてくる。
――否。
――今でこそ、これが過去の事だと知っているから言えるのだが。
――この事件は、私を陥れる為じゃなく、私をアシッドと再び関わらせる為に、何者かが仕組んだ事なんじゃないかと、そう思えるのだ。
ポタ、ポタ、と。
何かが、血痕によって朱色へ彩られた地面に、落ちた。
最初は雨でも降っているのかと思ったが――空を見上げた瞬間。
集合住宅の屋上から私の事を、ジ……と見据える一人の男を。
そして――男が屋上から跳び、こちらへと落ちてくる光景を、目で捉えた。
「ッ、!」
私が急ぎ、フェストラの手を握り、彼を抱えたまま地面に転がると、彼はすぐに受け身を取った後に私を引きはがし、どこかから一本の剣を取り出した。
金色に輝く剣――その切先を動かしながら、フェストラは起き上がり、先ほどまで私とフェストラの立っていた場所に勢いよく落ちて来た。
数階程度の集合住宅から着地しただけだ。
であるのに、その地面から周囲が強く揺れ、地面に亀裂が走った。
フェストラも僅かに姿勢を崩しつつ、しかし男を見据えて、目を離さない。
「何者だ」
声を張り上げても、男は何も答えない――その、血だらけの身体をゆらりと動かし、フェストラの後ろで情けなく横たわる、私の事を見たのだ。
それが、ニヤリと笑った。
するとフェストラは、何か異様な気配を感じ取ったのか、短く息を吸い、一人の少女の名を叫ぶ。
「アマンナッ!」
「はい」
声と共に、私とフェストラの前に一人の少女……アマンナちゃんが降りてきて、その手に収まる小さなナイフを取り出した。
僅かに髪の毛を上げ、左耳に髪の毛をかけるようにすると、その瞳が、奇妙な存在を捉えた。
瞬間、アマンナちゃんの存在はそこになく、男の眼前に迫り、その首筋にナイフを突き立てた上で地面を蹴り、回し蹴りをナイフの柄に叩きつける事で、ナイフを喉深く、その骨を突き破るまで圧し込んだ。
「……っ?」
それでも、アマンナちゃんは手応えを感じなかったのだろう。
僅かに首を傾げながら、着地と同時に男から遠ざかるアマンナちゃんに続き、フェストラが左手の指をパチンと鳴らし、光を放出すると共に、六体の魔術兵を顕現。
魔術兵達はその手に持つ剣を一斉に、男へと一振りずつ見舞っていき、最終的に男は血を吹き出しながら、その場に倒れた。
「……フェストラ、さま」
「死んだ……のか?」
二人の会話に応じるかの如く。
倒れた男は数秒経過すると、まるで何ともないと言わんばかりに立ち上がり、困惑し命令を送る事が出来ずにいたフェストラの魔術兵を、腕の一振りで吹き飛ばしたのだ。
「……アシッド」
呟いた私の言葉を、フェストラとアマンナちゃんが聞いていたのか、聞いていなかったのか、分からない。
けれど冷や汗と共に思考を巡らせる二人が、今起こった事に理屈を付けようとしている間に……それは、アシッドは、ゆっくりと動き始める。
ペタ、ペタ、と……靴の無い両脚を動かして、私達へと近付く男に、私は立ち上がって、フェストラとアマンナちゃんの肩を叩く。
「二人とも、逃げて」
「庶民、下がってろ。お前に大した成績が無い事など知っている」
「良いから、逃げて。アレに、対処する方法なんて、無いんだから」
この時、私の脳裏に宿っていた感情を述べるとしたら――【感謝】という言葉が合っていたかもしれない。
再び会えた、私を殺せる存在。
かつて私を除く全てを食い殺し、既に死する方法が無かった私が辿り着いた世界に、まだその存在があった。
何故この世界にアシッドが? なんて考えていた疑問や、面倒ごとに巻き込まれたくない、家族を危険に晒したくないと考えていた私の思考を、全て吹き飛ばす程の、喜び。
――私の死が、すぐそこにあるのだと、私はこの時喜びに充ち満ちていたのだ!





