フェストラ・フレンツ・フォルディアスとの出会い-03
お腹が空き過ぎて鬱屈とした気分さえも湧き出てくる中、私……クシャナ・アルスタッドは、投獄室に一つだけ備え付けられたベッドに、寝転がっていた筈だった。
でも、今見ている光景は――人の多い、聖ファスト学院剣術学部の教室。
既に退学処分を下された、アルステラちゃんを筆頭に皆が教室内に居て、私に一瞬白い目を向けたかと思えば、すぐに私と言う存在を無視し始める。
先ほどフェストラと話したからだろうか……ほんの一ヶ月程度しか経っていないのに、あの時の事を夢で見てるようだ。
今目の前で広がっている光景は新学年が始まって一月ほど経過した頃の事だろう。
俯瞰した角度で私を見ると、私ってば自分の事を無視してくる皆の事を微笑ましい目で見てる。
うわぁ、あの顔ヤバイ。「コレが母性本能という奴なのかなぁ? 子供が自分の事を無視して、それで仕返しした気になっているのが可愛らしいなぁ」とか思ってる表情だぞコレ……いや実際そう思ってたんだけど。
「アンタ、何ジロジロこっちの事見てんのよ」
と、そんな私に声をかけてくるのが、アルステラちゃんだ。
懐かしい顔だが、そう言えば彼女の事件からもそう時間は経過していない。
そう言えば……この頃にはあの薬物がもう工業区画に口コミで広まっていた筈だ。
加えて彼女とは一学年の頃から同じクラスで生活をしていたけど、酷く攻撃的になり始めたのはこの頃からだった。
……多分、この頃からあの薬に手を出して、クスリが抜けたせいで、精神的に不安定だったのだろう。
「うん? 可愛い子供たちを見て微笑ましくなるのは、イケない事かな?」
うわぁぁああああ、自分自身を俯瞰してみるのってこんなに恥ずかしいのか何だあの澄まし顔とカッコよく決めようとしてるけど全然決まってない感じの台詞!
「うわ、キッモ」
同感だけどそっちから話しかけておいて「キッモ」の一言で片づけるのも酷いと思うよアルステラちゃん!
「アンタ、いい加減にウザったいのよ。実力も才能もない癖に、なんでアンタと五学生まで一緒にならなきゃいけないワケ?」
「何でかなぁ。私自身分からないんだけど、進級試験は合格するんだよ」
「ホント、ムカつく。お父様に言って、アンタを退学に出来るよう計らってみようかしら」
「あー、そうしてくれるとちょっとだけ有難いかな」
「はぁ?」
「いや、ここの学費って高いじゃないか。お母さん、貯金切り崩しながらだけど無理してお金払ってるから、私が辞めるだけでも十分に家計の足しになるかなと思ってね」
この時のアルステラちゃんはきっと「こうして私の脅しに屈しませんとアピールしてんのね」とでも思ってるのだろうが、私はマジでそう思ってるから困ったものだ。
正確に言うと、私が勝手に学校を自主退学しないのは、お母さんが無理して学校に入れてくれた手前もあるし、お母さんとファナを心配させちゃう可能性があるからだが……。
「……親孝行の事ね。でも今後をどうするつもりなのよ。聖ファスト学院の中退なんて、魔術回路持ちでも無いとどこも雇ってくれないわよ?」
「お金の稼ぎ方なんて幾らでもあるよ。FXと株の信用取引だけでも十分に生活していけるお金を稼げる」
「世の中を甘く見てるんじゃないの、アンタ。そういうのは一部の大口投資家が牛耳ってんのよ。それをアンタ個人でどうにか出来ると」
その言葉を聞いて、思わず私が吹き出してしまう。
懐かしい言葉……というか、そういう意見を、何度か聞いたことがあるからだ。
「ふふ、大口が牛耳ってるから投資は勝てない、か。懐かしい意見だね」
「は?」
「アルステラちゃん、後学の為に教えておくよ。初心者が投資で勝てない理由は君の言う通り、大口投資家が影響している。大口の心理に逆らうから、資金力の差で負けるんだよ」
「……何言ってるの?」
「大口の心理を読み解き、大口が動くタイミング以外は動かず、彼らが動くタイミングで、彼らと同じ動きをする。理論上、この方式を用いている個人投資家は、少ないけれど他の個人投資家と大きく純損益額が違ってくるものなのさ」
「投資も出来ない歳で、知識だけの奴が何を偉そうに」
「あ、そうだったね。うん失礼。私は投資の『と』の字さえ知らない小娘さ! いやぁ、退学させられるの怖いなぁ~。いやぁー、参っちゃうよ。まいっちんぐマチコ先生だね!」
「……頭痛くなってきた」
私が訳の分からない事ばかりを垂れ流した影響だろうか。頭に手を置いて自分の席へと戻っていったアルステラちゃんが、カバンに入れていた頭痛薬を飲み始めたので「薬の飲み過ぎには気を付けなよ~」と、皮肉的な事を言っているのかと思わしき言葉を放っている奴がいる。いや過去の私は知らない事なんだけど。
……そんな時だった。
コンコン、と。教室のドアをノックする音が響き、五学生の生徒たちが全員、そちらの方を向いた。
担当教師であるガルファレット先生なら、ノックなどせずにそのまま入室するだろうが、ノックの音が聞こえたという事は他の誰かに他ならない。
ドアを開く音と共に、一人の少女がひょっこりと、顔を出す。
その黒い髪の毛を目元まで伸ばし、その顔全体を把握させない、小柄な少女。
私はこの時一瞬で可愛い子だろうなと見抜いたが、他の生徒たちは「誰だあの子」と怪訝そうにしていた。
「……えっ、と……クシャナ・アルスタッド、さまは……いらっしゃいますか……?」
名前を聞く前から既に席から立ち上がり、彼女の下へと駆け足で向かっていた私が、自分の胸に手を当てて、ウインクを一つ。
「クシャナ・アルスタッドは私だよ。何か用かな? 可愛らしいお嬢さん」
ヴォェッ! 頼む過去の私、これ以上私自身を辱めないでくれ! 何で自分がこう女の子をナンパしてる姿ってメチャクチャ恥ずかしいんだ!?
「……少し、お話しを……伺っても、いいですか……?」
「ああ。どんな事でも聞きたまえ。私は可愛い子の質問には何でも答えちゃう、隠し事の出来ない女だからね」
「……人を喰う、存在について、です」
最後の言葉は、私にしか聞こえぬよう声を抑えてくれていた事を、この時の私も分かっていた。
けれどそれ所じゃなかった私は、目を見開きながら、少女の腕を掴み、教室の外へと連れ出した。
扉を締め、廊下に誰もいない事を確認してから、廊下の壁に彼女を追い詰めた後、声を小さく、しかし私が出せる最大限低い声で、問う。
「君は、何と言った……?」
「……人を喰う、存在について、です」
「意味が、分からないな。何故そんな事を、何故私に問うというんだ?」
何と答えるか、それを思案しているような少女。
彼女はしばしの沈黙の後、思い出したようにペコリと頭を下げた。
「……申し遅れました。わたし、アマンナと言います」
「アマンナちゃん、はぐらかさないでくれないか? 君は何を知っている? 何を私から聞きたいと言うんだ?」
「……クシャナ・アルスタッドさま……貴方は一ヶ月程前に……レナ・アルスタッドさま名義で……シュナイデと、リュミウスの株を、現物買いなされてます、よね?」
ぐ、と言葉をそこで詰まらせる。
話しの流れとしては良く分からないが、それでも彼女……アマンナちゃんの言っていた事は正しかったのだ。
「……それが、何さ」
「……そもそも、投資口座の名義貸し……というのも、褒められた事じゃ、ありませんけど……それは良いとして……この二人を、ご存じですか?」
胸ポケットから取り出した、二枚の写真。
そこには、特徴的な特徴も無い男が一人ずつ並んで映っている。
てっきり、そこで私が知っている人の顔写真でも出すんじゃないかと思ってたのだけど、正真正銘、全く知らない人がそこに映っていた。
「……いや、知らないけど?」
「この二人は、先日から行方不明に、なってます。……工業区画の人通りが少ない場所で、それぞれ左手と、右足だけを、残して」
続けて取り出した、二枚の写真。そこには凄惨な殺害現場と言っても良い、惨たらしい光景があった。
彼女の言う通り、片方の写真には踏めば靴まで沁み込みそうな程の血溜まりに、ポツンと浮かぶように残る左手と、左足の写真。
それはかつて、私がプロトワンだった時代に、幾度となく目にした光景である。
「喰われた、というのかい……?」
「……恐らくは。腕にも、足にも、噛み跡のような物が残されていますので」
「でもそれが、さっきの株云々と何か関係が」
あ、と。そこで口を開くと、アマンナちゃんが頷いた。
「このお二人は……医療魔導機製造メーカーであるシュナイデと……介護用装着型魔導機開発メーカーのリュミウスとは、対立している……グラテーナの魔導機開発主任です」
「……もしかして今、シュナイデとリュミウスの株価」
「はい……メチャクチャ、上がってます」
「マジか! ヤバいヤバい、学校行ってる場合じゃないって、証券取引所、十五時には閉まるんだから……ッ!」
赤松玲の時代は既にADSL普及に伴ったインターネット取引が行われていたし、今こそ手元にパソコンと無線LANが無い事を悔やむ、という表情だ。
体調不良と嘘をついて早退しようと考えていた私が教室へと戻り、カバンを取ってこようとした時――アマンナちゃんが、その小柄な体からは想像もつかない程に力強く、私の手を握り、離さなかった。
「……待ってください、話は、まだ、終わってません」
「ゴメンねアマンナちゃんこういう突発的な理由で跳ね上がった値動きは、少しでも放置するとデカい揺り戻しが起こる可能性がすこぶる高くて学校を休んででもすぐに利確しないとマイナス方面ぶっちぎっちゃう事も」
「……貴女が、この二名を殺害した……そうじゃありませんか?」





