シックス・ブラッド-07
互いの振るう拳が、今衝突し合った。
私……幻想の魔法少女・ミラージュと、ドナリア・ファスト・グロリアの二者が打ち合った拳の衝撃により、今近付いていた剣術学部校舎の窓ガラスが、一斉にびりびりとした衝撃を受け、何枚かがその衝撃に負け、割れた。
落ちるガラスが地面に落ちて、僅かに音を鳴らすが、私たちは既にそんな音を聞いていない。
私が腕を振るうと、ドナリアを囲むように計四体のミラージュが出現し、一瞬だけ全体に視線を向けた彼だったが、すぐに正面の一体に目線を向け、前進。
すると残る、右左方と後方に立ったミラージュが一斉に動き出し、その手に掴む剣を今振るおうとするが、しかし前方のミラージュの眼前で軽く地を蹴った彼は、その後ミラージュの肩を踏み台代わりにして、宙を舞った。
高く舞い上がった彼の身体が空中で姿勢制御を行うように両腕を振るうと、その両腕が上空から迫っていた、私の剣を受け止めていた。
「バレバレなんだよ――っ!」
「チィ――ッ!」
地面に足を付けていた四体のミラージュはそこで消え、今ドナリアへ向けて剣を振った私へと結合。
空中で互いの攻撃を弾き合った私たちが、その衝撃を利用して校舎の屋上へと降り立ち、そこで一度足を止める。
私もドナリアも、それなりに負傷をしていたけれど……今はどちらも再生を終え、傍から見れば、どこも怪我をしていないように見えるだろう。
「五体。それが貴様の分離限界だな」
「ああ、それが何さ」
「それが貴様の固有能力……という事で構わんか?」
固有能力。
その言葉を聞いた瞬間、私も思わず表情動かしてしまう。
同時に、私が彼を睨む視線に殺気が含まれた事を、ドナリアは気付いているだろう。
「頭部、腕部、脚部。計五つの部位を分離させ、それ以外の部位を幻で補い、分身したように見せかける。実に面倒で、実に応用性の高い能力だ」
「対して貴方は、そう応用力に優れた能力を持ち得るとは思えないね」
「まだ能力が発達途上でな。……俺以外のハイ・アシッドに至った者も同様だ」
ドナリアの右手そのものが、今舞い上がってきた木の葉を切り裂いた。
まるで刃で切り裂かれたかのように、綺麗に、真っ二つの木の葉、しかし続けて左手を振り抜くと、二つに分かれた筈の木の葉が、八つにまで切り裂かれ、再び風で散り散りとなり、消えていった。
そして今一度、腕を振るうと――その指の先、爪が一瞬の内に伸びていき、脚で蹴った小さな石を、切り裂いた。
その鋭さを見せつけた上で、切先を私へと向ける。
「【斬る】事に特化した固有能力だね」
「そういうお前は【惑わす】事に特化した固有能力だ。――お前の普段している素行、女を惑わす事も、そうした固有能力が貴様の本能を駆り立てるからだろう?」
しっかり、私の事を調べあげているようだ。思わず私も苦笑を浮かべながら、黒剣を構えつつ、問いかけた。
「貴方達はどこまでアシッドの事を研究しているんだい?」
「それは俺の台詞だ。お前は何故そこまでアシッドの事を知り得る? お前はどのようにして、それほどまでのハイ・アシッドに至れた?」
彼は私がクシャナ・アルスタッドである事しか知らない。
地球で、私が赤松玲として生きて来た時代も、プロトワンとして多くの同胞を喰ってきた過去も知らない。
だからこそ――私と言う存在が、私と言う彼らに対抗し得る力を持つ存在が、不気味に見える。
不気味に見えるから、殺したい。
それはもう、生存本能にも近しい心の動きなのだろうと思う。
――そして、その心は私も同様だ。
先ほどの講堂でドナリアという男を見た時、私はコイツを殺したいと……喰いたいと感じた。
私の幸せを構築する、大切な人達を脅かすコイツを殺さなければと、喰わなければと、心が揺れ、動いたのだ。
「気分が悪い。俺達が唯一この力を有していたと考えていたにも関わらず――お前はそんな俺達の前に突然現れたッ!」
伸ばされた爪が、私の右目を貫く寸前で、何とか回避が間に合った。しかし伸びた爪はそのまま振り下ろされ、鋭さを有したそれが私の右肩を切り裂くと、彼は左手の指をピンと伸ばした上で、首を狙った一突きを押し込んだ。
「ィ、つぅう――!」
腕を斬られる事は初めてじゃないけれど、そんな痛みは慣れるものでもない。
大量に吹き出す血と共に、私は僅かに乱れる思考を何とか整えつつ、地に落ちた右腕と、その手に握られる黒剣を回収、左手で剣を握りながら、今伸びて来た爪を弾き飛ばす。
「だが貴様は俺達とは違う! その力を己が為とも、誰が為とも振るおうとしない! せいぜいが、誰も傷つけまいとする程度の弱さしか有していない!」
「それが、弱いと言うか……!?」
「弱いだろうよ、力があるにも関わらず振るわぬ、動かぬとは、怠惰の証だ! 敵であれ味方であれ、俺は貴様のような輩が嫌いだ……ッ!」
爪を弾き返したとしても、ドナリアの攻撃は止まらない。
左足を軸にした右足の蹴りが私の横っ腹に叩きつけられ、私は床を滑りながら伏せる他無い。
魔法少女としての変身があればこそ、その衝撃に耐えられているけれど、もし無ければ腹から身体が上下に割ける程の威力を内包していた。
口から血と、吐瀉を混じらせた液体を吐き捨てながら、私は僅かに虚ろとなる目を彼へ向け、何とか起き上がる。
「お前、アシッドを処理する時さえ、頭しか処理をしなかったな。栄養補給路として最適な体の部位を残し、頭だけを処理するとは実に勿体ない事をする」
「……私は美食家で、ベジタリアンでね。あんな筋張った肉を食うつもりなんか毛頭ないよ」
「――その程度の覚悟しか持たん貴様が、俺を喰おう等と百年早いと言っているんだよ!!」
表情を、言葉を、憤怒で包みながら、ドナリアは私へと向けて、その右腕を突き出した。
急速に伸び始めた爪、それが私の左肩を貫き、次いで心臓、さらには頭部を貫く。
首筋を狙った爪だけは、何とか黒剣で弾く事が出来たけれど――しかし、彼は動きを止めた私に向けて爪を引き抜きつつ、前進。
その拳で私を殴りつけ……私は屋上より頭から落ちていく。
――ちょっと、懐かしい感じがした。
私がこの世界へと転生を果たす前、篠田綾子ちゃんを助ける為に、自分一人で落ちた時の事。
あの時も、同じような高さだったと思うけど、もう十七年も前の事だから、正確な所は覚えていない。
――でも私は、彼女を助けたかった。
親の言いなりになって、勉強だけに人生を注いでいた彼女は、たった一度の失敗を悔やみ、嘆き、これから何十年と続けられる人生を終わらせようとした。
それは、とても悲しい事だと思ったのだ。
私とは違い、彼女は何時でも自分の意志で、自分の命を終わらせる事が出来る。
でも、悔やみ、嘆き、死ぬよりも前に、もっとこれから楽しい人生を送る事が出来るんだよと、私は彼女へ教えてあげたかった。
……まぁ私が先に自殺したかったから場所を変えて欲しかった、という意図もあったけれど、そこはそれ。
こんな、人を喰う事しか出来ない筈の、アシッドとして生まれた私にだって……楽しい人生を送る事が出来たのだから、君にだって出来るんだよと、伝えたかった。
――彼女を救う事が、私にとってしなければならない事なのだと、あの時は思えたのだ。
(……そうだ。私は、まだ……死ねない……ッ)
このまま落ちた所で、私はどうせ死ねないけど、頭が潰れてしまえば、しばらくは満足に行動が出来なくなる。
そうなったら、ドナリアが私の身体を、頭を、アシッドの因子ごと喰い尽くしてしまえば……二度と再生が出来ず、死に至る。
私がここで死ぬ事は、私が助けなければならない皆を、アシッドという脅威から守れないという事だ。
――生きなければならない、と。
そう願った瞬間、私は空中で身体を回転させた。頭から落ちる事は避けねばならないと、そう願った瞬間。
――フェストラの顕現させた、魔術兵六体が、私の身体を空中で抱き留めた。
落ちる衝撃によって、魔術兵は消え去ってしまったけど、結果的に私は落下の衝撃を和らげることが出来た。魔法少女としての変身が強制的に解除されてしまったけれど、その程度なら問題ない。
地面に転がった私に、小さな両足で駆け寄る一人の少女がいた。
涙を瞳にいっぱい貯めて……私の事を、心配そうに見てくれる、大切な妹が。
「お姉ちゃんッ、お姉ちゃん――ッ!」
ファナだ。その傍にはフェストラがいて、彼は僅かに冷や汗を流しながら、私を見た。
「まだ行けるか? 庶民」
「……行くさ」
「いい目をしてるじゃないか。……あの時と同じだ」





