帝国の夜明け-08
「シガレット様が戦争に参加なされた当時は、学徒兵らしかった。彼女は自分の持てる技能を使って国に貢献できることが誇らしい事だと考えていたらしい」
「……でも、アタシなんかは……戦争とか、侵略とか、怖いなぁって、思っちゃいます」
「そうだな。戦争や侵略はどんな形であれ、人の命を脅かす。勿論グロリア帝国で暮らす民をもっと豊かにする為の、資源を求めた侵略であった事は変わりないが、それでも自分以外の誰かを殺める行為だ――シガレット様は戦争で、勲章を頂く程の戦果を挙げたそうだが、それ以降はどんな戦いにも参加しなかった」
第七次侵略戦争以降の戦いが、侵略地でのレジスタンス部隊を相手にする鎮圧任務が主となった事も理由であるが、グロリア帝国としても優秀な戦績を残したシガレットを後方に下げ、他の兵や魔術師の戦意向上……つまりプロバガンダに利用できる事が好ましかった。
シガレットの若き姿は大変美しく、男性を鼓舞させる事にも、女性からの羨望を集める事にも最適だった事も理由であったそうだ。
「俺がシガレット様に仕えたのは、十年前からだ。二十七歳の頃だな」
「えっと、じゃあ今って先生三十七歳なんですか?」
「ああ。……あ、歳に関して他の生徒には内緒にしている。ここだけの秘密だ」
くしゃ、とした笑みを浮かべたガルファレットに、ファナも笑いながら「はい」と頷き、紅茶を口にした。
「シガレット様は、当時血気盛んだった俺にこう言った。『貴方は暇でありなさい』とな」
「えっと……暇、ですか?」
「ああ。俺も『この人は何を言っているんだ』と思ったものだ。けれど、彼女に長く騎士として仕え、三年前……彼女の死期が近づいていた時に、その言葉の真意を知った」
シガレットはガルファレットが押す車椅子に腰掛けながら彼の手を握り、笑顔でこう述べたのだ。
『人はね……自分以外の人を殺した時から……決して幸せになる事はないのよ』
『貴女は最後まで誇り高き帝国魔術師だった。貴女は多くの人間を導いた。己も、貴女に導かれ、強くなれた』
『いいえ……私の心には、ずっとずっと……あの時、あの戦場で、殺してしまった人の……嘆きがある……幸せである事は、決して許されぬのよ』
第七次侵略戦争における戦いで、シガレットは多くの死に触れた。
自分が直接殺した者も、間接的に殺めた者も……敵だけでなく、味方さえも傷つき、死の間際に嘆きを口にしていた者達を、救えずに死を看取った事もある、と。
『戦争は終わったの。けれど私の戦争はずっと続いている……何十年経っても、私の心中でずっと……そして、その戦争で聞いた嘆きも、ずっとずっと……私の心に……暇はない。永遠に……』
笑顔のまま、涙を流し、シガレットはガルファレットの手を握ったまま、力の入らない腕に、それでも熱意を籠める。
『お願い、ガルファレット……貴方は暇でありなさい……貴方達帝国軍人が忙しくなる時は……きっとどこかで争いがある……どこかで人が、意味も、尊厳も無く、死んでいく……それは貴方の心を蝕む……貴方は、その苦しみを知る事がないように……っ!』
シガレットは何時も、その時だって笑顔を浮かべていたけれど……決して心の底から笑えた時は無かったのだろう。
故に、心に巣食う嘆きを、苦しみを……他者に感じて欲しくないと願ったのだ。
『……ねえ、ガルファレット。もし輪廻転生があるのなら、私は、誰かの命を救える存在になりたい』
『なれますとも』
『沢山、沢山殺めてしまった私が……それでも生まれ変わる事が、出来るかしら……?』
『出来ますとも。フレアラス教旧約聖書にも……「人は過ちを犯しても、償う事の出来る存在である」とあります故』
『……ふふ。ありがとう』
最後の会話は、そんな他愛のないものだった。
彼女の最後を看取ったガルファレットはその後、帝国軍司令総務部教育課への配属願いを提出。
彼女の――シガレットの願いを継ぎ、誰も殺める事無く、子供たちを守り、導く存在になりたいと願えたから。
紅茶を置いたガルファレットは、僅かに沈黙する空気を変えるように、ジャムを取り出し、スコーンに塗り、その上で小皿に乗せてファナへと差し出した。
「君は今のままでいいんだ。勿論、もっと高みへと至ろうとする事は大事かもしれない。けれど、高みへ至る事ではなく、至ろうとする理由こそが、本当に大切な事なんだ」
治癒魔術を専攻するファナは、決して誰かを殺めるような存在にはならない。誰かを救い、笑顔にすることが出来る存在だ。
もし今後、魔術師として成長する事があっても――決してその本質から、逸れる事が無いようにと、ガルファレットは願う。
「ファナ・アルスタッド君。君は、どんな魔法使いになりたい?」
「……アタシは、お姉ちゃんみたいに……誰かを笑顔に出来る、そんな魔法使いになりたいです」
「そうか――うむ、君は良い魔術師になれる。俺が保証する」
暗い話になってしまったな、と苦笑しながら口にし、スコーンにかじりつくガルファレットと、そうした話を聞けて良かったと言わんばかりに、微笑みながら美味しそうに出されたスコーンを小さな口で食べ進めるファナ。
しかし――そんな時である。
ガルファレットが、何か不穏な気配を感じ取り、顔を上げたのだ。
「なんだ……?」
「先生?」
今は既に本日の授業工程が終わり、多くの生徒たちが下校をしている時間。居残りをして自習に励む者、教員たちは多く校内に残っている可能性はあるが、校舎内に残っている人数は相対的に少なくなる筈。
そうした校舎内に、何人かの人間が駆け足で昇ってくる、足音が聞こえた。
僅かに生徒たちの奇声と言うか、驚嘆の声にも似た悲鳴が聞こえて……ガルファレットは急遽立ち上がり、椅子に座るファナの小さな体を窓から遠ざけると共に、机の下へ押し込んだ。
「な、なんですか!?」
「そこにいなさい、絶対に動かず、声もあげてはならない!」
それと同時に、五学生教室の扉を蹴破るようにして入室を果たす人物がいた。
その人物は、全身を黒一色で染め上げる甲冑、鎧のような外装を身にまとっている事で、その性別や表情などを察する事が出来ない。
手には、長い砲身の銃器らしきものが握られていた。右手はグリップを、左手は砲身を支えており、何時でも撃つ事が出来るように感じる。
ガルファレットは背部に背負った大剣を抜き放つと共に、ファナの隠れる机と、侵入してきた者との間に入り込み、剣の面を盾にするように構えた。
何者かがトリガーに指をかけ、発砲。破裂音と共に、連続で何発もの銃弾が銃口から射出される。
銃弾はガルファレットの剣に全て弾かれる。その連射速度は、地球で言う所のアサルトライフルにも思えるが――少なくともガルファレットは、そうした連射性能のある銃器は見た事が無かった。
「チ――ッ!」
魔術強化を眼球から脳に至るまでの神経に施し、銃弾の口径、及び射出スピードと射角を計算、ファナの隠れている机の下へは仮に銃弾が放たれても机の板を貫通する程では無いと結論付け、剣を振るいながら相手の判断を鈍らせる。
一瞬だけ、トリガーから指が離れた瞬間を見計らい、両足を踏み込んで床の板を抉りながら、突き進む。
何者かの装甲へと向けて強く突進したガルファレットだったが――しかしその者も、怯える事無く銃創でガルファレットの頭部を殴りつけた。
気を失いそうになった瞬間……ガルファレットは一瞬だけ、本気になった。
「――チェリャァッッ!!」
ガルファレットの上げた奇声が、何者かの鼓膜を刺激したようだった。動きが慢性的になった人物の首筋に向けて、右手の先を突き刺して、喉元を殴打、僅かに「ご、」と呻き声にも似た言葉が聞こえた所で、装甲の隙間を掴んで、背負い投げの要領で地面へと背中から叩きつけ、追撃に頭部を蹴り付けた。
その頭部が木造の床を突き破り、埋まった所で、その者は動きを止めた。
身体に展開されていた黒い外装が、役目を終えたかのように解け始め、やがて掌サイズの正方形へと成り代わっていき、床に転がった。
ガルファレットは息をつきながら――床に転がるソレを拾い上げ、目を見開く。
「……三世代型ゴルタナ、だと?」
ゴルタナは経済・技術大国として名高いレアルタ皇国が、身体に展開する魔術外装として開発している兵器の一つで、皇国軍や警兵部隊などで用いられている。
人間の持つ身体能力を向上させると共に敵の魔術的・物理的攻撃をある程度軽減する防御能力がある事から、ゴルタナを展開した者への対処は極めて難しい。
そして、ゴルタナは開発されてから十年ほどの期間中に三回ほどアップデートを施され、今ガルファレットが見据える三世代型は、現在でもレアルタ皇国で実戦配備が成されている。
……確かに、一世代前の二世代型はレアルタ皇国と同盟関係にある諸外国への輸出が成されているし、アン・ゴルタナと呼ばれる一部建設業や工業での使用が許可されている初代型は、横流しや密輸などで稀にグロリア帝国へ入ってくることもあるが、三世代型はガルファレットも一度出向いたレアルタ皇国で見た事がある程度だ。





