クシャナ・アルスタッドという女-02
「お、お姉ちゃん! 待ってっ」
「うん? ファナ、追いついたのかい?」
と、色んな事を考えていたら、妹のファナが小さな足を懸命に走らせてやってくる。こうした所は、やはり年相応で可愛らしく思う。
「はぁ、はぁ……お、お姉ちゃんに色々言いたい事あったもん……っ!」
「健気な事だ。良いだろう、私も可愛い妹からのお言葉をしっかりと聞こうじゃないか」
「……どうせ実践しないクセに」
「失礼だなぁ。実践しないわけじゃない。聞いた事を上手い事忘れてしまうだけさ」
「上手い事忘れるってそれもう意図的じゃん!」
もーっ、とプンスカ怒るファナは、私と二つ離れた妹だけれど、彼女は私と血が繋がっていない。
彼女は所謂捨て子であり、乳児だったこの子をお母さんが拾い、我が子として育てているわけだ。
尚、その事をお母さんも私も、ファナにまだ伝える事が出来ていない。何時言うかはお母さんと色々協議こそしているけれど、センシティブな内容だからこそ、慎重に検討せねばなるまい。
「――というわけなんだよ! お姉ちゃん聞いてる!?」
「ああ、聞いているさ。今日の朝刊には、近々レアルタ皇国のアメリア姫様が協議締結に向けた非公式会談の為に来訪されるとあったね。美人だと伺っているから是非一度お会いしてみたい」
「全然聞いてないじゃんッ!! 別の国のお姫様とかの話してないし、アタシは朝の礼拝について話してたの!」
うっかり聞いていなかったので、朝刊広報紙に載っていた事を適当に話したけれど、どうやら全然違ったようだ。
「お姉ちゃんは信仰心が無さすぎるの! フレアラス様はアタシ達グロリア帝国に住まう者を導いてくださる、唯一神なんだよ!?」
「敬ってはいるよ」
日本に住まっていた時から私は無信仰者だったし、神さまにはろくなイメージが無いから真面目に信仰はしていなかった。
けれど政教分離の進められていない国における無宗教派というのは目の敵にされやすい。
ファナが怒っていたように、無宗教というか信仰心が薄いという理由だけで私刑に遭う可能性も否めないので、真面目に教えについてを勉びはしているし、旧約聖書は読み物として非常に読み応えがあって面白い。新約は少し、肌に合わなかったけど。
どうやら数十年前まで、この国は宗教戦争も蔓延っていたそうだしね。その時代に生まれなくて良かったとは思っているが。
そんなお話しをしていると、学校の正門へと辿り着いた。
聖ファスト学院。グロリア帝国国営の教育機関であり、十三歳の頃から入学が可能な、日本で言えば中学、高校、大学の三つを兼ね備えた感じの教育機関だ。
十三歳の新入生を一学生、十四歳で進級試験を合格して二学生……という感じで進級し、最終的に十学生の卒業試験を二十二歳で合格する事により、卒業を果たせるというものだが、単純な学問に身を浸す為の学校じゃない。
この聖ファスト学院には、学部が二つ存在する。
一つは剣術学部。もう一つは魔術学部だ。
先ほど説明したように、この世界では一般的に魔術と呼ばれる技術が発達しているので、こうした魔術を学ぶ為に必要な魔術学部があると共に、帝国軍への就職を希望する者が剣術学部に入学する。
半径数キロ圏内は全てが聖ファスト学院の所有地であり、校舎を中心とする円型の壁に遮られていて、校舎の一部しか外から見る事は出来ないが、正門を越える事により、その全貌を見る事が出来る。
傍から見ると、それこそレンガ造りの城にも似た外観の校舎が広く土地を使っており、その三棟ある校舎はそれぞれ【剣術学部棟】、【魔術学部棟】、【特殊準備棟】の三つに分けられ、私とファナはそのそれぞれに別れる形となる。
多くの生徒たちが登校する中に私とファナも流れに乗って、中庭のスペースで流れから抜けると同時に立ち止まった。
「じゃあお姉ちゃん! 真面目に勉強するんだよ!?」
「ああ、私は何時だって真面目さ」
「ホントかなぁ……?」
怪しむように、しかし始業までの時間が迫ってきているので、魔術学部棟へと急ぐファナの背中を見送った後、私はゆっくりと剣術学部棟へと向かい、土足のまま校舎を通っていく。
外観から感じるイメージと同じく、ほとんど城内と言っても差し支えない校内。その柔らかないカーペットに包まれる足場に、小市民の私は毎回「ホントに土足で大丈夫なのだろうか」と感じてしまう。
ちなみに私、生前の学校は大学しか経験ないのだけれど、高校とかは土足ダメなんだっけ? 学校による?
「そこの女子!」
「うん?」
校舎の扉に入った所で、扉の前に立っていた女性の声が響いた。そのタイミングで校舎に入ったのは私だけだったので、恐らく私に対して言った言葉だろう。
「私だろうか?」
「そうだ! 制服が乱れておる、疾く直すのだ!」
「制服? ……ああ、確かに」
今まで気付かなかったが、聖ファスト学院の制服には取り付け型のリボンがある筈なのだけれど、そのリボンが無い上、ボタンが上から四つ程外れていた。
一番上のボタンだけは外したまま残りのボタンは留め、カバンを漁ってみるが……リボンが無い。多分家だろう、たまに付け忘れるんだ。
「リボンを忘れたようだ」
「何と! それは校則違反である! すぐに取ってくるのだ!」
「勘弁してくれ。リボンを一つ忘れた程度で帰っていたら、それこそ遅刻してしまうよ」
やっかいな奴に目を付けられたのかもしれない……と思った所で、私の目の前に現れた女子は、可愛い女の子だと気付いた。
銀色の髪の毛を後頭部でひとまとめにした、長いポニーテール、そして鋭くはあるが整った目付き、鼻立ち、全体的に顔つきが良いモノだから、そうしたキツそうな外観がより映えている。
口調こそガッチガチな硬さがあるけれど、そうした硬さも含めてギャップな所があるだろう。
体形はナイスバディな私と異なり、健康的にスラリとした体格。恐らく筋肉の付き方が理想的なのだろう。その分女性的な発育は無いけれど、それもそれで魅力がある。
……うん、実に私好みだ。
「君には初めてお目にかかるね。名前を伺っても?」
「拙僧は、ヴァルキュリア・ファ・リスタバリオス。先日まで魔術学部に在籍し、本日から剣術学部五学年への編入を果たした故、お目にかかる機会は無かったであろう」
あ、ちなみに言っておくと、私の言葉も含めて、ここに記載されている言葉とかは全て私が日本語に変換しているだけで、本来はグロリア帝国の主要言語になるグロリア語で話してるからね。
拙僧、とか言っているけど、これは全部私の妄想だ。口調から日本語だとこんな感じだなぁ、ってダケ。
「と、そうではない! お主、名乗るのだ!」
「クシャナ・アルスタッド、君と同じ五学年だよ」
「クシャナ殿であるな。りぼんを取りに今すぐ帰るのだ! 教諭殿方には、拙僧の方から説明をさせて頂く!」
「えー、流石に面倒だなぁ……」
家までは二十分程の移動時間がかかるから、あまり意味も無く家に一度帰ると言うのは避けたい。
「しかし衣服の乱れは心の乱れである! 勉学に集中すべき学生が衣服を乱れさせる事は、風紀の乱れにも繋がってしまうのだ!」
「極端だなぁ。ヴァルキュリアちゃんだっけ。君はもう少し思考を柔らかくした方が良い。フレアラス教の旧約聖書にも『物事は遠くを見渡す目により視るべし。足元の些事より大局の大きな輝きである』とあるよ」
「異議有りである! 新約聖書の第五十三章四項には『常に自らの存在を律し、心身共に整える事で真の実りが在る』とされているのである! つまりクシャナ殿は心身共に整えられておらず、真の実りは成らぬという事となるのだ!」
おお、ファナ相手だと言い返される事が今までそう無かったけれど、旧約の引用に対して新約の引用をする事で返してくるとは思わなかった。なるほど、彼女は随分とフレアラス教についても勤勉なようだ。
ちなみにフレアラス教の旧約聖書は基本的に「自由を掲げた人間行動の原理」を多く提示している文章が多いけれど、新約聖書には「人間社会での規律遵守」が多く提示されている。旧約と新約で意訳が異なるのは、こっちの世界も前の世界も結構似てるかもしれない。
「ヴァルキュリアちゃんは随分と勉強熱心な子なんだね。けれど私は以前にも幾度かリボンを忘れた事があるのだが、都度先生方へとお伺いを事前に立てた所『次から気を付けるように』と授業に参加できている。ならば今回も君の意見ではなく、先生に意見を伺い立てるべきではないかな?」
「以前にも幾度か、という事であるな。ならばクシャナ殿の態度は改められておらず、先生方の教育方針は間違っていたという証明になるのではなかろうか? 面倒を好む者はそうおらん、故に今回は面倒でも、一度の帰宅をするべきなのである!」
「その判断をすべきなのは一学徒である君ではなく、先生方であるべきだと言っているだけだよ。私とて先生にそう判断されれば納得するさ」
昔から屁理屈は得意でね。ぶっちゃけると問答自体は嫌いじゃないから、行動よりも問答で解決が出来るならばその方が良い。
「ふむん、そうであるな。拙僧は確かに一学徒でしか無い。教諭方の意見を伺い立てる事も必要であるか」
「素直な子は好きだよ。なら、教員室までお姫様をご案内しようじゃないか」
「……結構である。拙僧は既に教員室の居場所を把握しておる故な」
私が手を取り、彼女を教員室へと連れて行こうとした所で、ヴァルキュリアちゃんはパシンと私の手を叩き、拒絶する。
「どうにも、クシャナ殿の態度は好かん」
「おや、嫌われてしまったかな」
「紳士的であるとは思う。しかし、その紳士的な態度は、あくまで女性を手中に収めておこうとする為の手段にしか見えぬ」
……見抜かれてしまった。まぁ結構露骨な態度にしていたしね。それ自体は仕方ない。
「クシャナ殿は女性であろう。何故、同性を手籠めにしようとするのであろうか」
「手籠めは言い過ぎだよ。個人的趣向として女の子が好きなだけさ」
何にせよ、拒否されてしまったのならば、私から先に教員室へと向かえば済む話だろう。
各棟に設けられている教員室は通用口からそう遠くはない。そこまで向かおうとした私とヴァルキュリアちゃんだったが――そこで、人の波が廊下を横切った。
無数の人だかり、その只中に在る一人の男性が――今、廊下を歩こうとしていた私とヴァルキュリアちゃんを見据え、足を止める。
「よう庶民。編入性をお出迎えか? ご苦労な事だな」
「これはこれは六学年主席様。今日も可愛い女の子を引き連れて、羨ましい限りだよ」
総勢十人弱の男女を引き連れて歩く一人の男。
彼はフェストラ・フレンツ・フォルディアス。王族十家系の一つ、フォルディアス家の嫡子であり、私の一つ上で十八歳の、聖ファスト学院剣術学部の六学年生である。





