帝国の夜明け-06
血溜まりを、腹部に突き刺さったナイフを気にする事無く、工房内へと足を踏みいれた女性は、ズボンのベルトに右手をかざすように動かすと、どこからか一本の剣を抜き放った。
刀身自体は細いが、しかし確かな切れ味を有していると一目見るだけで分かる程に美しい剣は、グラスパーと同程度の、六十五センチ程度の長さを誇る。
女性は剣を構えたまま強く踏み込むと、ヴァルキュリアは自身に簡易的な治癒魔術を展開し、肉体に痛み止め効果を適用した状態で、無理矢理立ち上がった。
グラスパーの剣を振るい、女性の剣を弾いた事は最適な判断だと思われたが――しかし、その圧倒的な腕力によって、魔術的な補助も無く受けたヴァルキュリアの剣は宙を舞い、ヴァルキュリアは無防備な肉体を晒す。
「ッ――!」
続けて振り込まれようとする剣筋を見極め、無理矢理身体を動かした。
首筋に向けて横薙ぎ。しかし、ヴァルキュリアは軋むように痛む身体に鞭を打ちながら、身を屈めて避け切ると、そのまま女性の腹部に刺さったままであったナイフの柄へと強く殴りつけ、女性の身体へと押し込んだ。
「ほう」
だが――女性は腹部に突き刺さったナイフに気を留めたわけではなく、そうした動きに対応出来たヴァルキュリアに驚いたようだった。
三歩ほど後ろへ下がった女性と、宙へ舞った後に落ちてきたグラスパーの柄を掴んだヴァルキュリア。
荒い息を整えながら、剣を構えるヴァルキュリアが、腹部の奥深くにまで刺し込まれたナイフを、無理矢理手を突っ込んで、抜き放った女性。
その腹部に空いた傷が――ナイフを抜いた瞬間から、血の流れが止まり、少しずつ埋まっていくように見えた。
「早いな。私も相当早く剣を振った筈だが」
「うむ……っ、実に早く……対処が、遅れた……ッ!」
「それに、グラッファレント合金製の剣とは。つまり貴様、エンドラス様の娘か?」
名も、存在も知らぬ女性に父の名を口に出され、より混乱を余儀なくされるヴァルキュリアだが、それでも剣の構えは解かない。
「父上の事を……知っているのであるか……?」
「答える理由はないが、残念だ。かの英雄騎士の娘を殺さねばならんとは――なッ!」
ヴァルキュリアと会話をしている最中、女性は瞬時に背後へと回り込んでいたアマンナの事に気付いていた。
アマンナの振り込んだ、ナイフと一本の短剣。その一振りずつを、手に掴む剣で弾き飛ばすと、アマンナの顔面へ向けて、強く素早い左腕が振り込まれた。
僅かに角度を変える事で、大きなダメージになる事を避けようとするアマンナだったが、その圧倒的な腕力を前には、多少打撃の角度を変えた程度でダメージは減らない。
むしろ、頬で受け切れば顎が外れる程度で済んだかもしれないにも関わらず、僅かに顎に向けて勢いがついた事で、意識がトびそうになる所で、唇を噛んで無理矢理、意識を繋げるしかなかった。
「あぐ……ッ!」
「アマンナ殿!」
痛み故に動く事を躊躇っていたヴァルキュリアだが――しかし、女性の実力は見た目の美しさ以上に強大だ。
本気にならねば、本当に殺されると実感したヴァルキュリは……グラスパーの刃にマナを浸透させ、両足に力を籠める。
「諦めろ。貴様らに生き残る術はない。ここで私の血肉となるがいい」
「否……拙僧は、そう簡単に敗れる訳にはいかぬ……っ!」
「全く――実に面倒な事だ」
ため息をついた女性の、構えた剣筋に視線を向けたヴァルキュリアは、グラスパーの刃を鞘へと一度納め、その上で言葉を唱える。
「……壱の型」
ピクリと、僅かに眉を動かす女性。そんな彼女の考えなど知らぬと言わんばかりに、ヴァルキュリアが地面を強く蹴りつけながら、一瞬の内に女性の剣を持つ右腕、その付け根に向けてグラスパーを引き抜き、一閃を振るう。
「ファレステッド――ッ!!」
切り落とされた腕が飛び、ヴァルキュリアはそのまま女性の後ろで痛みによって起き上がる事の出来ないアマンナの身体を抱き寄せながら逃げようとするも――
女性は、切り裂かれた腕の事など気にする様子も無く、ヴァルキュリアの背中目掛けて、左脚部を軸にした右足の回し蹴りを叩き込み、工房入り口の階段に向けて、蹴り飛ばされてしまう。
「だから面倒だと言った」
吹き出す血飛沫の事など、気にする様子も無く、女性は切り裂かれた腕を左手で持ち上げ、握られていた剣を落とすと、ダラリと重力に従い下ろされる右手の指に、歯を立てる。
ガキュ、と音を奏でながら、元々女性の右人差し指だったものが、噛み砕かれた。
その骨ごと、ゴリゴリと強靭な歯によってすり潰され――しかし口当たりが悪いと言わんばかりに、その長く綺麗に整えられた爪だけを、女性はプッ、と口から吐き出すのである。
「き……貴様……っ」
「まさか……意識を、保つ……アシッド……ハイ・アシッド……ッ!」
「そこまで知っているとなると、更に面倒となるな。やはり貴様らはここで死ぬべきだ。我々の野望を叶える為に」
口元を血で汚しながら、今手首の辺りまでを喰い尽くした女性が、残る腕部を乱雑に捨てながら、一歩ずつ瀕死のヴァルキュリアと、何とか立ち上がろうとしながらも、顎に受けた衝撃故に上手く立てないアマンナへとゆっくり歩を進めようとする。
――だが、女性はそこで自分のポケットで、何かが震えているような感覚を覚えたようで、右ポケットに無理矢理左手を突っ込み、二つ折りの小さな機械を取り出して、開いた上で耳と口元にあてる。
「……放っておいて良いのですか?」
女性は初めて、敬語を口にした。
その耳に当てたものは通信機の類だったのか、その相手に伺い立てるように放たれた言葉の後、ヴァルキュリアへと視線を向けた。
「……了解いたしました、撤収します」
そうして通信を終えた女性が、再び機械をたたみ、ポケットに入れこむと、アマンナとヴァルキュリアを踏みつけて、階段を昇っていこうとする。
「ま……待て……ッ! 貴様、何者であるか……ッ! 何故、拙僧たちを、見逃す……!?」
「貴様らを見逃す理由など知らん。だが今の貴様らを殺す価値も無いというのは、私も同感だ。故に、貴様らをここに捨て置こう」
名を名乗る事も無く――階段を昇って去っていく女性の姿を追う為に這うヴァルキュリアの服を掴んで止めるアマンナ。
遠ざかっていく背中を見届けたあと――アマンナはヴァルキュリアから手を離し、自分の頬を叩き、意識を保とうとする。
「ヴァル、キュリアさま……その、お手数、ですけど……治癒魔術……お願い出来ません、か……?」
「……うむ。しかし、動くには、相当時間がかかる」
「構い、ません……わたしが、ちょっとでも回復すれば……脱出位は、なんとか……」
ヴァルキュリアは、まず自分に治癒魔術を展開する。
ファナの治癒魔術と同じく自己再生能力を促進させるものだが、ファナの治癒魔術は既に再生魔術……傷をそのまま治す魔術とほとんど差異はないレベルであるのに対し、ヴァルキュリアの治癒魔術技量は、三十分程度で何とか動けるようになるか否か、程度のものでしかない。
だが今のままでは、二人とも動く事もままならない。すぐでなくても動けるようになる事が優先だとして、続けてアマンナにも治癒魔術を展開していく。
「それより……あの、女性は……アシッドであったのか……?」
「……はい。それも、クシャナさまと同じ……意識を保っている、アシッドの中でも進化した……ハイ・アシッドと呼ばれる種類、みたいです……」
「ハイ、アシッド……?」
「ええ……そして、フェストラさまは……軍拡支持派が……ハイ・アシッドの集団を、作ろうとしている、可能性がある……と……仰ってました」
ハイ・アシッドの事をフェストラから報告として聞いているアマンナと、ハイ・アシッドの事を知らぬヴァルキュリアで、事前知識に差がある状況。
しかし、アマンナは知識差を埋める暇も惜しいと言わんばかりに、治癒魔術によって僅かにでも回復し始める身体に鞭を打ち、立ち上がりつつヴァルキュリアの身体を抱き寄せる。
「学院に……戻りましょう……もしかしたら、大変な事に……なってる、かも……」
「大変な……事……」
頷きながら、階段をゆっくりと歩いていくアマンナに抱かれながら――意識を落としたヴァルキュリア。
彼女の意識が途絶えた事を確認して、アマンナは唇を噛みながら、グテント社内を疾く駆け出した。
しかし彼女達が学院に辿り着いた時……既に学院は、戦場と化していたと言っても良い。





