帝国の夜明け-05
(そもそも、アマンナ殿の周囲に溶け込む手腕があれば、拙僧の協力など不必要であったのでは?)
(……えっと、違います。そもそもヴァルキュリアさまがいる事で、他人の意識を、ヴァルキュリアさまに向けてるんです……)
アマンナへが他人から認識されぬようにするプロセスは、アマンナ以外の人間や物体に意識を向けさせる事で成り立っている。
例えば現在はヴァルキュリアが横にいる事で、周りの視線をヴァルキュリアへ集中させている。
その為に必要な立ち位置として、彼女の左後ろに立ち、彼女の一メートル後ろを歩く事で、ヴァルキュリアへ視線が向いたとしても、その後にアマンナへ意識が向かれない。
そしてヴァルキュリアに視線が向かれても、彼女には認識阻害魔導機によって、他者は「その空間に違和感が無い」という認識に挿げ替えられているからこそ、二者はそのまま通りを歩けるという事だ。
(……でも、何か違和感が……)
(ここまで、何も起きていないであるな)
(はい……あまりに、容易すぎる、というか)
それはヴァルキュリアも同様に感じていた事だった。
そもそも二者は、基本的に侵入を試みた上で、魔術師との敵対も視野に入れて行動していたのにも関わらず、これまで何のアクションも起こっていない。
そもそもヴァルキュリアに行った対処が認識阻害魔導機を渡すだけというのも、そうした魔術的な干渉に敏感な魔術師を割り出した上でヴァルキュリアが囮となり、その隙にアマンナが調査を行うという、少々短絡的な手法を用いる筈だったにも関わらず、現状は魔術師がヴァルキュリアの持つ魔導機に反応している様子も見受けられない。
(誘き出されている、等の可能性はあるのだろうか?)
(無い、かな……とは)
無いと考える理由はいくつかあるが、その中でも最重要な理由として「そもそも内部にまで侵入を許す理由が薄い」というものだ。
魔術工房というのは、大なり小なり魔術師の研究技術が集まる重要な場所であるが故に、そもそもが侵入させない事が重要となる。
確かに自らの陣地に侵入した得物は捕らえる事も殺める事も容易となり得るとはいえ、技術を奪われ逃亡される可能性が少しでもあるならば、事前に侵入妨害を施すのがセオリーだ。
特にグテントには、元々帝国警備隊に属してた魔術師が多く在籍し、そうした魔術師が侵入者用妨害を施す事無く、工房へと誘き寄せるとは考え辛い。
(でも、妨害が無いに越した事は無いので……このまま進みましょうか……)
地下の、グテントの魔術師が使用する魔術工房への道筋は、既に情報として入手しており、真っすぐ最短ルートを突き進んでいく。
グテントの地下にある魔術工房は魔導機の研究のみを行っていて、その他事業管理や魔導機開発、加えて製品量産等は一階か、もしくは別の工場に割り振られている。
入り組んだ通路の先、二つの部屋を越えた通用口の奥、そこに地下室への入り口が存在し……アッサリと、その場所へと辿りついてしまう。
地下室へと向かう為の、頑丈な扉。既にその施錠を解除するためのコードもアマンナは調査を終えており、今そのコードを入力。
ドアノブを捻り、地下室への階段を降りた所で、扉を閉め、思わずヴァルキュリアは愛剣・グラスパーに手を伸ばしてしまう。
(……あまりに、おかしくないであろうか?)
(はい。というより……気のせいかと、思ってたんですけど……ヴァルキュリアさま、これまで、魔術師と思しき人と……すれ違いました……?)
アマンナの言葉に、首を横に振るヴァルキュリア。
そう、二者は感じていた。魔導機開発を主に行うメーカーである筈なのに、この魔術工房へと向かう為の進路で、魔術師と思われる人物と一回もすれ違う事無く、ここまで来てしまったのだ。
(勿論、高名な魔術師さまになれば……悟らせない簡易結界や、認識阻害を展開する事も、出来ますけど……自社内で、それをする、理由って無いかなぁ……と思うんですよね)
(やはり待ち伏せか……それとも)
(そもそも異常事態か、ですね)
より警戒する必要があると認識した、ヴァルキュリアとアマンナは、時間をかければ面倒と判断し、階段を駆け下りていく。
そして、辿り着いた魔術工房――その防音・防魔術加工の成された扉を乱雑に開け放った、その時。
目の前に広がる光景を見て、ヴァルキュリアは思わず口元を押さえてしまう。
喉元まで込み上げてきた吐き気を抑え込みながら、何とか言葉を発せる様に、数回呼吸を繰り返した。
「なん、なんで、あるか……コレは……ッ!」
「……酷い、ですね」
その魔術工房自体は、半径三十メートル程度の正方形型で、所せましと研究用器具や魔導機の試作機、または魔術使役補助を行う機材が置かれている。
しかし、そのどれにも――血痕がこべりついていた。床は元々の白い床が見えぬ程に血で塗れ、一部へこんだ床には水たまりを形成していた程である。
そして、その血がどこから溢れ出たものかと言えば……乱雑に捨てられている、人間の頭や腕、足と言った部位を見れば想像がつく。
彼らは、否……彼らだった者は、身体を食い千切られ、その肉片を何者かに捕食されてしまったと判断して良いだろう。
被害総数は……血の量から鑑みると、二十人から三十人弱。
おおよそ、グテントが入社させていた帝国魔術師の総数と変わりない。
「ど、どういう、事であるか!? こ、ここはアシッドを製造する場所であったのだろう!?」
「……その、筈です」
だがそれにしては、研究結果や記録を記載している書類や、先日手にしたアシッドへ肉体を変質させる機材が見受けられない。加えて、この被害はアシッドによる被害であると判断してよいだろう。ならば……答えは限られる。
「遅かった、と言う事ですね……」
「どういう意味であるか……!?」
「多分、ですけど……グテントはあくまで、アシッドの研究や開発を、主にしてて……その使役は、多分別の組織が、行ってたんじゃないかな、と」
そしてその組織は、グテントによる研究・開発に目途が付いた事で、彼らの研究・開発したデータと成果を奪い、証拠隠滅とアシッドへの栄養補給を兼ねて、グテントの魔術師を惨殺。
特にこの魔術工房内で対処を行えば、外部へ情報が漏れだす可能性が低いというのも都合が良いだろう。
何せグテントの経営は、天下り入社の魔術師を管理出来ていない。もしかすると、工房への立ち入りも禁止されていた可能性もある。魔術師であれば工房への缶詰も日常茶飯事でもある為、数日入退室記録が無くても、特に疑問視しない可能性も考えられる。
「死体の状況や、血の感想具合から、数時間も経過してませんね……何か、少しでも記録や、情報が残っていれば……」
吐き気を堪える事で精いっぱいのヴァルキュリアを置いて、一人で周りの状況を探索し始めるアマンナ。少しだけ、階段の方へと後退り、ヴァルキュリアが腰を下ろすと、下ろした先にも血が残っていて、手や制服に血がこべりつく感覚が不快だった。
「……ダメか。特に情報らしい、情報が無い……」
「い、一度帰還し……現状を、フェストラ殿に、報告するのが良いのではないだろうか……?」
「……はい、それが良いと思いま」
そうした言葉の途中で。
アマンナは、目を見開きながら懐より、小さなナイフを取り出して、ヴァルキュリアの方へと向けて即座に投擲した。
気が抜けていても、ヴァルキュリアとて騎士を目指す端くれであり、彼女の放ったナイフを慌てて避けると――その背後から、僅かに返り血が流れた。
「な――」
いつの間にか、ヴァルキュリアの背後に、一人の女性が立っていて、その女性にアマンナの投擲したナイフが突き刺さっていたのだ。
「あ、アマンナ殿、何を」
「その女性から離れてッ!!」
アマンナの大声を初めて聞いたヴァルキュリアが、驚きながら身を竦めてしまった事が過ちだった。
女性は、腹部に突き刺さったナイフなど、何の問題も無いと言わんばかりに、右足を強くヴァルキュリアへ向けて突き出し、彼女の胸を蹴り付けた。
蹴りつけられただけだ。それだけなのにも関わらず、ヴァルキュリアは強く身体を蹴り飛ばされ、あばら骨辺りに激しい鈍痛を覚えた。
少なくとも二本は折れ、数本にヒビが入った事は間違いない。
背中から、小さな机に叩きつけられたヴァルキュリアは、飛びそうになる意識を何とか保ちつつ――血を吐き出し、女性を見据える。
銀髪のセミロングと、知的に見せる眼鏡が印象強い美女だった。その肉付き良くも整った身体の造形も優れていて、目を惹かれそうになった事は違いないが、ヴァルキュリアはそれでも問わねばならない。
「な……何者、であるか……ッ!?」
「それを知る意味など無い。貴様らはここで死ぬ」





