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帝国の夜明け-01

戦争とは外交手段の一つである。


エンドラス・リスタバリオスが口癖のように述べていた言葉を、男は思い出す。



(此の世においては、全能な存在など在りはしない。人間は己の持つ資質・能力以上の事を行えず、集団社会で生きる上で、いずれ自らの立ち位置に溺れ、無能と化していく)



 男はその時、エンドラスが何を言っているのかが分からなかった。


彼は天才と呼んでも差し支えない人間だった。魔術も剣術も知性も、何もかもが完璧と呼ばれた男の言葉と思えなかったのだ。



(私は、確かに軍人としては優秀であったのかもしれない。そんな私は、もう父だ。娘が産まれた。けれど私は、娘にとって良き父である事は出来ぬだろう)



 汎用兵士育成計画……幾代にも亘り、魔術と剣術双方に優れた、汎用戦闘が可能な兵士を作り上げていく遺伝子改良計画は、産まれた子供に、その子供が産む子供に、そのまた子供に……戦いのみを強いる、人道から外れた所業。


故にエンドラスは、娘から父へ向けられる愛を受け取る事は出来ぬだろうと。父から娘へ向けるべき愛を注ぐ事は許されないだろうとした。


それは娘から見れば、エンドラスが父として無能である事を意味するのだ、と。



(例えば組織においてもそうだ。私が騎士として如何に優秀でも、部下を率いる事は出来ても、王として国家を統べる事は出来ない。もし私が王となれば、その瞬間に私は無能な存在となり、この国は衰退する)



 だがそれは、王になれる者であったとしても同様なのだ、とも口にした。



(王は決して兵になれん。そして王は神にもなれん。王は王でしか無く――王ではない別の存在になろうとした時、王は無能となる)



 現帝国王・ラウラに仕えていたエンドラスは、ラウラの理想とする【統一された思想に基づく永久なる行動理念の尊重】に、心打たれたのだという。


人々はそれぞれ、特定の規律・規範を守る為に、如何なる場合においても定められた物事に対し、厳粛で在らねばならない。


厳粛であれば、無駄な争いも混乱もない、安寧を手にする事が出来るという、正に理想の思考であろう。



――王は王である事を厳粛し。


――兵は兵である事を厳粛し。


――農民は農民である事に厳粛する。



そうして、人は己に出来る事を定め、それ以外になろうとしない、確立された管理の上に立ち続ければ、恒久的な安寧が訪れる筈である。



(私は故に汎用兵士育成計画を提唱した。厳粛な規律・規範を尊重する、兵士として完璧な存在による国防。適切な軍事力の誇示は、国家内の秩序を守る事にも、諸外国との外交においても有利に働く。……戦争とはこう言ったものなのだ)



 この国に足りないのは、国を守る意思だ。


かつて侵略戦争に注力していた国という歴史からか、今の民は【戦争】という言葉の「意味」に対してではなく「そのもの」に対して拒絶的となった。


ただ軍事力を多く持つ事が「侵略の意向」だと。


ただ国を守ろうとする事が「戦争への歩み」だと。



(強く在らねば国は守れん。しかし強く在ろうとするだけで【忌まわしき行為】とみなされる今は、果たして正しいのだろうか。……果たしてそれで、国を正しく守れるのだろうか)



 人々は、思い出さねばならない。


戦争と言う存在の恐ろしさを。


それと共に、人々の命が奪われる事を回避する為の方法を。


戦争と言う行為の……意味そのものを。



男は、エンドラスの言葉を聞き続けて、その上で胸に手を当て、誓いを立てる。



――エンドラス。俺が、俺達が思い出させよう。


――人々に、戦争という言葉の意味を。


――そしていつの日か、この国をより強き国に生まれ変わらせるのだ。



男の言葉を受けて……エンドラスは、何と答える事も無かった。


その時、エンドラスの表情はどこか寂し気で、悲し気であった。



**



聖ファスト学院剣術学部の校舎、その屋上に腰かけながら、一人の少女が離れた向かいの校舎へと視線を向けていた。


向かいの校舎――魔術学部三学年教室の窓際に、頭を抱えながら魔術式を藁半紙に記していくファナの姿を見て、普段ならば「魔術式をそのまま記入すると魔術の暴発もあり得る故気を付けねばならぬ」と叱咤にでも行く所であっただろうが、今はそんな気にもなりはしない。


ヴァルキュリア・ファ・リスタバリオスは、心中に巣くう不安や懸念を振り払う事も、一時的に思考を停止させる事も出来ず、ただ考え込むだけだ。



「父は、この国の在り様に疑念を抱いていた」



 軍縮条約を締結させた前帝国王への失意。


政教分離を推し進めて政とフレアラス教を遠ざけようとする現帝国王への不信。


そんな父……エンドラス・リスタバリオスの理念や思想は、幼い頃より母から幾度となく聞かされていた。



(ヴァルキュリア、貴女も知っていなさい。国防と言うものは、決して物語のように美しいものではないのです。お父様は、国を守るという理想の上に立つ、立派な方よ)



 汎用兵士育成計画の概要を母から聞いた時、ヴァルキュリアは「自分が戦いの為に生み出された子供」であると認識した。


それが誇りだった。確かに自由は無いかもしれないが、それでも自分には「国防」という何事にも代え難い未来を掴む事が出来るのだ、それが何よりも尊ぶべき事なのだと、そう考えていたから。


父も、母も、その為に自分を育てている事など知っている。


けれど、そうして自分が戦う事で、父と母の期待に応える事が出来るのだと、そう盲信したが故に――ヴァルキュリアはこれまでの自分があったと考えている。


だからこそ、ヴァルキュリアは今悩み、苦しむのだ。



「父上……貴方は本当に、潔白であると言えるのでしょうか……拙僧の、娘の目を見て」



 自分がエンドラスにとって、娘として必要とされていない事など知っている。


自分に求められているのは血族を遺す事だけ。



しかし――それでも、そうであったとしても、事実自分は娘なのだと。



娘である自分が、そう信じたいと願った時……父は何というのだろう。



「……何の御用であろうか」



 ファナを監視しつつ、それまで腰かけていた場所から立ち上がり、後方に立った一人の少女へと意識を向ける。


前髪を目元まで覆い隠す事で表情を見せぬ、小柄な少女。


あまりにも気配を感じる事が出来ず、却って違和感があったからこそ気付いたが――ヴァルキュリアには、その少女がまとう気配は、おおよそ十七、八程度の小娘が纏えるものだと思えなかった。



「アマンナ殿、であったか」


「……はい」



 アマンナ・シュレンツ・フォルディアス。彼女と話す事は今まで無かったと、ヴァルキュリアは記憶している。


というより、彼女には「そこにいる」という気配があまりに薄く、意識していないと、その場から「いないもの」として脳が扱ってしまうのだ。



「……アマンナ殿の気配、それは魔術的な結界であるか?」


「いいえ……私のは、生まれつきというか……そういう風に、育てられた、というか」



 アマンナの足元にあった石が、蹴られた事で転がる。普段のヴァルキュリアならばそんな事は気にも留めないだろうに、その時は自然と目を追ってしまった。


その結果、一瞬目を離した隙に、アマンナはヴァルキュリアの目の前にまで詰め寄っていて、思わず身を後ろへ下げてしまいそうになったが、堪える。



「人間の無意識に介入する術に長けている、というわけであるな」


「……はい。その、自然と目に入らない場所に、立つことが……求められる、ので」



 ヴァルキュリアは簡単な言葉に直したが、人間の無意識に介入し、他者の視界や思考に自らの存在を認識させないというのは、実に難しい。


 意図して行動しようとしても、自分の存在そのものを消す事は出来ず、他者の視界に入る事無く、他者の思考に入らぬよう自然に行動をしようとすれば、自然と他の者から違和感を覚えられる。


故に昨今の暗殺者は、魔術による認識阻害を対象及び周囲に展開する事が多いが――魔晶痕が残ってしまう等、そこから足取りを追われる事もある故に、自然とそうした術を扱えるものが重宝される。


所謂、暗殺術に長ける存在と言うのは得てしてそうした技能に特化しているものだが、アマンナはその中でも最上位の暗殺術を会得していると言っても良い。



「気付かれると……思って、ませんでした」


「常に全周囲に対する警戒は怠っておらぬのである。『誰かがいる』という気配を感じる事は出来るのだ。まぁ、故に誰かは分からぬのだが」


「……なるほど。あの女が言っていたのは、そういう事」


「何か言うたであるか?」


「いえ……気にしないで、ください」



 アマンナはそこまで言葉にした所で……ヴァルキュリアと目を合わせた上で、決して彼女を視界から外さない。



「何であろうか」


「別に……何でもありません」


「何でもなければ、拙僧の顔など見つめる必要は無いであろう――それに」


「……それに、なんです?」


「ここまで近付けば流石に分かる。アマンナ殿は、拙僧に対して【殺意】を抱いておるな」



 殺意。


そうヴァルキュリアが言葉にした事で、アマンナは僅かに、驚いたと言わんばかりに目を見開いたのだが、髪で目が隠れている故に、ヴァルキュリアは彼女が驚いている事に気付かない。



「……殺意……、ですか?」


「気付いていなかったのであるか? であれば尚の事質が悪い。理由の無い殺意などはな」


「……その、多分……殺意、じゃなくて……私、怒ってるんです」


「怒っている?」


「その……ヴァルキュリアさまは、お兄さま……いえ、フェストラさまを……殺そうと、してた、らしいので」



 先日の果し合いにおいての事を言っているのだろう。そう言われると、アマンナの言葉に否定は出来ない。



「アマンナ殿は、随分とフェストラ殿を崇拝しておるのだな」


「はい……そういう役割として、育てられました」



 育てられたという言葉には、ヴァルキュリアも興味が沸いた。



「拙僧は詳しくないが、アマンナ殿もフォルディアス家の人間なのであろう? であれば、アマンナ殿も姫ではないか」


「私は……シュレンツ分家の人間で……分家の人間は、宗家の人間……つまり、フェストラさまの、影である事が、求められるので……姫では、ありません」


「なるほど――役割であるな」

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