ファナ・アルスタッドという妹-10
既に日付も変わり、深夜の時間。
寝静まるファナの寝顔を見る事の出来る二階の窓は、アシッドの侵入によって壊されていて……私は梯子を使って外から木材を打ち込み、応急修理を行っている。
「認識阻害の魔術を展開している故、ファナ殿の眠りを妨げる事は無いであろう」
ヴァルキュリアちゃん曰く認識阻害魔術は、特定事象に関する情報を五感で感じる事が出来なくなるもので、痛み止めや今回のように煩い音などを聞こえなくする用途に使われるのだという。
そしてついでに――私たちがここに集結している事に、ファナは気付く事は無い。
今、私は二階の窓へ梯子に昇る事でいるけれど、そこから僅かに視線を上へ向ける事で、四人の人間を見る事が出来る。
ヴァルキュリアちゃんと、フェストラと、アマンナちゃん、そしてガルファレット先生だ。彼らは我が家の屋根に昇って、作業する私を端目に会議を開始。
「実に面倒な事になったな」
フェストラがその手に持つのは、ヴァルキュリアちゃん曰く「アシッドへと変質する前の男が首筋に突き刺した物」なのだとか。
全長は人差し指程度しかない小さな箱、四ミリ程度の銀色に輝く先端は、USB端子にも見えない事も無い。
「敵勢力はこれを用いて、人間をアシッドに変質させる事が出来るようになる、という事か」
「それだけじゃない。アシッドの製造技術を持つ組織が、ファナを狙ってきた。それも、私たちがファナの重要性に気付いた日にね」
これまで、アシッドを使役する組織と、ファナの情報を改竄していた存在に関する接点は無いに等しかった。
否、一応こじつける事は出来たのだが、このこじつけを行う理由が無かった、という言葉が正しいだろう。
アシッドの使役を目論む組織は強大な組織力を有しているし、ファナの魔術回路に関する情報を改竄した存在も、強大な組織力か影響力を以てそれを可能としていると思われる。
つまり、この二つの犯行が同一組織によるものだ、と考える事は確かに出来るのだが、そうであるという証拠も無ければ、何故その組織はアシッドの使役とファナの情報改竄を行っているのか、単純に理屈付けが出来ないのだ。
理屈付けが出来ないのに同一であると短絡的に考える事は出来ないし、そうした先入観は視野を狭める事となる。
だが、今回の犯行は間違いなく「ファナを狙ったアシッドによるもの」と言っても良い。
こうした状況証拠が揃ってしまうと……アシッド製造とファナに関する情報改竄を行っている組織は、同一である可能性が高まってしまったと言っても過言じゃないだろう。勿論確定ではないけれど。
「アマンナ」
「……はい」
フェストラに名を呼ばれると、彼が求めているものが何かを知っているように、アマンナちゃんは懐から一枚の写真を取り出した。
「今回、アシッド化した人物についての情報は?」
「……恐らく、このトラーシュ・ブリデル、かと。元帝国警備隊第二諜報部三課二班の人間で……一ヶ月前に退職の後、現在まで行方が知れていませんでした」
「え、なんでわかるのアマンナちゃん」
「……調査対象人物でしたので……」
いやそっちじゃなくて何でこの男の顔も知らないのに決められるんだろう、と言う意味なのだけれど。まぁ多分、アマンナちゃんは近くで見ていたんだろうと予想出来る。助けてくれても良かったのに……。
「どこかと繋がりは?」
「……昨日、クシャナさまが討伐なされた……グラバー・ファムとは、友人の関係で、彼と同じく、個人で軍拡支持派に、属していた人間、でした」
私とヴァルキュリアちゃんも、見せられた写真を観察する。
私はアシッド化した後の顔と、ヴァルキュリアちゃんはアシッド化する前後の顔とも人相が一致し、同一人物だろうと見受けられる。
「三人目のアシッド、それも全員が軍拡支持派に属していたとなれば、状況証拠としても十分な量と言ってもいい」
「つまり、これまで出現したアシッドは、全員が軍拡支持派の人間だった、という事であるか?」
今日、私とフェストラの二人で会って話した事だから、ヴァルキュリアちゃんが確認の為に言葉を挟み、フェストラも「ああ」と頷いた。
「軍拡支持派に根付く、エンドラスの汎用兵士育成計画思想には、最高位の魔術回路であるファナ・アルスタッドが最適、という仮説を立てる事も出来るし、軍拡支持派が娘を狙うのにも矛盾はしないだろう」
「つまり敵は……軍拡支持派は、ファナ殿の魔術回路を狙っており、他の勢力に狙われぬよう、彼女の魔術回路に関する情報を改竄していた、という事であるか?」
「だがその存在に、オレ達が気付いてしまい、防備を固められる前にファナ・アルスタッドを回収する為、行動を開始した、と考える事も出来る」
しかし、そこで一つ疑念が湧き出る。
「……もし軍拡支持派がファナを狙っていた組織だと仮定しても、何故今日まで放置していたんだろうか」
「そこだ、オレも分からん所は。そもそもあの娘は、第七世代魔術回路を持つにしては、特にコレと言った成績を残せていない。だから学友や教員たちも、娘の特異性に気付いていなかったわけだ」
「もし軍拡支持派がファナ殿の事に気付いており、彼女を汎用兵士計画の体現者とするべく行動していたのならば、もっと早い段階で行動していてもおかしくは無いのではないだろうか?」
汎用兵士育成計画は、幾世代にも亘って魔術と剣術の才に富んだ兵士を育成し、国を守る力とする事が目的だ。
今のファナは、治癒魔術だけを専攻としていて、戦いの【た】の字すら知らない子だ。軍拡支持派がファナを汎用兵士育成計画の体現者として育てる為に行動していたなら、放置するとは考え辛い。
何せエンドラスさんの思想によって、次世代に血族を遺していく事だけを目的とされているヴァルキュリアちゃんでさえ、剣術と魔術の双方に優れている優秀な子に育て上げられたのだから、ファナにもそうした教育を押し付けられるよう、手を出してこなかった理由が分からない。
私たちのような魔術の魔の字も知らないような家にそのままいさせるのではなく、早々に誘拐でもして思想教育を叩き込んだ方が良かったのではないだろうか? いや、まぁ私たちとしては今の方がありがたいのだけれど。
「一つ、いいか」
と、普段だんまりとしているガルファレット先生が、手を上げて話を一旦途絶えさせる。
「なんだ、教諭」
「俺は今の話を聞いて、逆じゃないかと考えた」
「逆?」
「軍拡支持派はファナ・アルスタッドの事を知らなかったが、今回我々が発見すると同時に、彼らもその存在を知った。だから慌てて彼女を確保する為に行動を開始、という可能性だ」
その意見に、私とフェストラも「なるほど」と小さく頷いた。
「軍拡支持派からすれば、ファナ・アルスタッドの存在自体がイレギュラーであったとすれば、確かに色々と説明がつくな」
「問題は、ファナの情報を改竄していた連中がまた別に存在する可能性が発生しちゃうわけだけど」
頷きながら、しかしガルファレット先生は「一歩前進と考えればいい」とする。
「何にせよ分からぬ事に知恵を回し過ぎ、から回る事だけは避けねばならん。その箱について調べれば、少なからずアシッドについては分かるだろう。今日はそれで良しとすればいい」
流石は年長者、私たちの頭がグルグルと渦巻いている事に気付き、リセットしてくれた。フェストラもその意見には同感らしく、特にそれ以上何も言わなかった。
「……拙僧も一つ、いいだろうか」
そんな中、ヴァルキュリアちゃんが口を開く。
先ほど、ガルファレット先生が口を開くまでは会話に参加していた彼女が、それ以降何か考え込むように、俯いていたのだ。
「どうしたの、ヴァルキュリアちゃん」
「……今日、拙僧は父に……エンドラス・リスタバリオスに……第七世代魔術回路を持つ少女の護衛をすると……報告した」
その言葉に、私も含めた全員が思わず顔を上げ、続けて放たれる、ヴァルキュリアちゃんの言葉に耳を傾ける。
「先ほどガルファレット教諭殿の仰った事が、事実だとすれば……軍拡支持派は今日、どこからかファナ殿の情報を取得したとしか思えないのだ」
「エンドラス・リスタバリオスが、アシッドを使役している組織に、お前からの情報を流したとでも言いたいのか?」
「そう考えねばならぬ程、敵の動きは実に早かったではないか!」
声を荒げるヴァルキュリアちゃんの肩に手を乗せた先生。思わず顔をそちらに向けた彼女だが、先生の「落ち着きなさい」という言葉を聞いて、荒げていた息を、少しずつ落ち着けていく。
「リスタバリオス。今後はエンドラスとの接触時、どんな情報についても極力伏せておけ」
「フェストラ、お前」
「勘違いするな庶民。オレとてエンドラスの人となりは知っている。奴は確かに軍拡支持派ではあるが、少なくともアシッドのような存在を容認する、非人道的な人間じゃないし、そもそもエンドラスは娘からの情報など重要視していない」
だが念には念をだ、と口にするフェストラが、アマンナちゃんに箱を手渡した。
「エンドラスから漏れた情報でないとしても、リスタバリオス家に盗聴器等が仕込まれていた可能性も否定できん。故に今後は漏洩防止を目的とした、オレ達以外への情報共有を極力避けて行動する事だ」
分かったな、とヴァルキュリアちゃんへ強く念押しをするフェストラの言葉に……まだ浮かない顔をしているヴァルキュリアちゃんが、頷く。
「今日はご苦労だった。……それと庶民、動きにくくなるからお前がファナ・アルスタッドに与えたオレへの誤解について、可能な限り訂正しておけよ……!」
最後の注文だけは力強く言葉にしたフェストラに「はーい」とだけ答えると、フェストラは一人でどこかへと去っていく。話は終わった、という事だ。
「ヴァルキュリア、あまり気にするなよ。フェストラの言う通り、お前の父親が今回の件に関わっていると決まったわけではないからな」
ガルファレット先生もヴァルキュリアちゃんの心に根付く不安を和らげるように、そう残して去っていく。
ヴァルキュリアちゃんは最後まで気にしていたようだけれど……。
「今日は寝ようか、ヴァルキュリアちゃん」
「……うむ。今日は色々あって、疲れたのである」
私の促しに、苦笑しながら頷いてくれたヴァルキュリアちゃんが家へと戻っていく姿を見届けた後、私は残るアマンナちゃんに、一つお願いを。
「その箱について、何かわかったら教えてくれる?」
「……はい。クシャナさま、お疲れさまでした」
ペコリと頭を下げてくれたアマンナちゃんに「おやすみ」とだけ述べて、私も梯子から降り、今日の修繕は終わりにした。風は入らないようにしておいたから、ファナもグッスリ眠れる事だろう。
**
「大変だね、アマンナちゃん」
「……何時からそこに?」
「ずっと近くには居たよ。ヴァルキュリアちゃんとガルファレットさんに気付かれないようにするのは、骨が折れるけどね」
クシャナたちが去ったアルスタッド家の屋根には、アマンナ以外にもう一人の人間がいた。
金の髪、薄手のシャツと紺のハーフパンツ、そして目元を隠す銀のマスクを付けた女性は――プロフェッサー・Kと名乗った、謎の存在。
彼女は屋根にある煙突に腰を下ろしていて、アマンナは彼女へと視線を向ける。
「どう? 私のあげた情報は役に立ちそう?」
「……さぁ。少なくとも素性が不明な貴女の情報を、あてにする理由はありません」
「だからクシャナちゃんにもフェストラ君にも、私の事を伝えてないんだね。伝えてくれたら面白い事になるかもしれないのに」
クスクスと笑うプロフェッサー・Kに、舌打ちをしながら立ち去ろうとするアマンナだったが。
「貴女達の敵は二つある。それだけは覚えておいた方がいいよ」
その言葉を最後に、プロフェッサー・Kはその場から居なくなっていた。
アマンナは、幽霊にでも憑りつかれた気分になる。
それだけ、彼女の存在は不気味だったのだ。





