未来へ-02
「……本当に、申し訳ありません」
「謝る必要なんてないって。そもそも私たちなんて庶民が、あんなお高い学校に通う意味がなかったって話だよ」
「アタシも、勉強できるのは嬉しいけど、あんまり実になっているかって言われたら、それはちょっと、微妙で」
それに、ただ奇異の目で見られているわけじゃない。
私やファナ、ヴァルキュリアちゃん、アマンナちゃんやアスハさん、そしてフェストラがガルファレット先生、メリーもドナリアも、みんなラウラという悪王を倒す為に戦った英雄として、語られている。
それ自体は、国内の混乱を納める為の一端になってくれているからいいんだけど、英雄視されるのもあんまり好きじゃないし、そうして目立っている内に祭り上げられるのもよろしくない。
「それに、悪い事だらけじゃないよ。事が事だから、学院側も穏便に退学させてくれたし、支払った学費も払い戻してくれるみたいだから、当分私たちの生活は困らないし、何ならそのお金を元手に、私が稼ぐさ」
「……そう、言ってくださるのは、ありがたいのですが」
「どっちかというと、私は謝りたいんだ。……ごめんね、アマンナちゃん。私は、君が帝国王に祀り上げられるのを、止められなかった」
私が帝国王にならなかった、という事は記してきたが、アマンナちゃんが帝国王となった理由は、ごく自然な流れからだった。
基本、この国における帝国王就任については世襲制と言ってもよく、帝国王に子がいれば、その子供が継いで行く事となる。
本来ならその座に一番相応しいのは、ラウラのクローニングであるファナなのだろうけれど……そもそもラウラやフェストラの手によってファナの存在が隠されていた事、ファナの存在を資料やラウラ王の行動記録などから知った筈の、レアルタ皇国側も黙秘してくれていた事から、十王族連中にファナの事は知られずに済んでいた。
次なる候補は私だが、私は先ほどの通り、普通の人間じゃない。フェストラ以外の人間が、私の有するリスクを管理できる筈もなく、私を着任させることなど認める筈がない。
——そこで、次なる候補として上がったのが、フォルディアス家唯一の生き残りであり、次期帝国王候補だったフェストラの妹、アマンナちゃんだったわけだ。
「アマンナちゃんは、これから自由を謳歌するべきだったんだ。フェストラも、ルトさんもきっと、それを望んだ筈だ。だから私は、アマンナちゃんに、皆に謝りたいと思っていたんだ」
「……いいえ、謝って頂く事など、何もありません。これで、よかったのです。お兄さまも、ルトお母さんも、アンスお母さんも、きっとわたしの決めた道を、喜んでくれます」
首を横に振りながら、笑顔を見せるアマンナちゃん。彼女の言葉にも笑顔にも、嘘があるようには思えない。
「お兄さまが、わたしに言って下さったように、皆はわたし自身が、進みたい未来へと向かっていく事を、望んで下さいました。今のわたしは、わたしなりに出来る、精一杯の道を、選んだのですから」
「……帝国王になって、フェストラがなろうとした、孤独なる王になるの?」
「いいえ。そんな存在に、ならなくていい。わたしは、沢山の人に助けられながら、わたしも誰かを助ける事の出来る……そんな、皆さんの近くにいる事ができる、王になりたいんです」
チラリ、とアマンナちゃんがアスハさんの事を見ると、アスハさんは微笑を浮かべた。
「前に、私は言ったな。生きて何が出来るのか、と。……メリー様との戦いが終わってからも、私はずっと考えていた」
アスハさんは自分のお腹に触れ、僅かに摩るようにしたけれど、しかしすぐに手を離して、言葉の続きを口にする。
「けれど、何を見つける事も出来なかった。生きてやりたい事も、やらなければならない事も。——そんな時、アマンナ様が私に『助けてください』と、言ってくれた」
帝国王という存在は、誰よりも高位にある存在として君臨している筈だ。
あのフェストラのように、いかに優しい心を持っていようが、その在り方は『王』である事を求められる。それが、帝国王という者なのだ。
なのに、帝国王として就任する筈のアマンナちゃんは、アスハさんという女性の能力と知能、そして経験を自分に貸して欲しい、助けて欲しいと、そう願って深く頭を下げたのだという。
「アマンナ様の望まれる未来は、二度とフェストラ様のような、悲しい王を生み出す事のない、けれど平和の満ち溢れる、そんな未来だ。——難しいかもしれない。フェストラ様の望んだ未来よりも、数段と険しい道が、待っているかもしれない」
「けれど……それでもわたしは……ルトお母さんや、お兄さまを亡くして、手にした世界を……もっともっと、いい世界にしたい。お兄さまの望んだ世界より、ずっと素敵な世界にしたい。わたしが、帝国王となって、その礎だけでも作り上げる事が出来るのなら……それは、わたしにとって歩む道になるんです」
普段から前髪で隠されている瞳のせいで、アマンナちゃんの表情はよく見えない。
けれど——けれど今は、髪で隠されている筈の瞳が、ハッキリと見えるような気がした。
美しく輝いて、未来を見据える……それは彼女の有するどんな魔眼よりも、素晴らしい瞳のように思えた。
「こんな真っ直ぐに、理想を語られてみろ。確かに、そう簡単に死んでやるのがバカらしく思える。……だから私は、フェストラ様の代わりだ」
「アイツの代わり?」
「ああ。フェストラ様が望んだ妹君の幸せを、この命に代えても必ず守る。それこそがこの国をより良い未来に導く方法であり……この罪に満ちた命に出来る、唯一の罪滅ぼしなのだろうよ」
だから——そう言って、アマンナちゃんは私とファナの手を取って、祈るように目を閉じた。
「これからも、もしわたしが困った時……クシャナさまやファナさまに、またご迷惑をおかけしちゃうかもしれません。でも、それでも……わたしを、助けてくださいませんか?」
首を傾げ、問いかけるアマンナちゃんの言葉に——私とファナは、声を詰まらせる必要さえなかった。
「当然さ。アマンナちゃんを助ける為なら、私達は星の裏側からだって駆けつけてやるさ」
「うん! アタシ達とアマンナさんは、もう友達だもん!」
帝国王と友達。それは本来不遜の言葉なのかもしれない。
でも、それで良いんだ。それで良かったんだ——なぁ、フェストラ。
私が思わず自分の腹をさすると、アスハさんも微かに笑いながら、私の腹に視線をやってくれた。
——フェストラ。アマンナちゃんは、お前よりも立派な王になる。
——私は、お前がこんな王様になってくれる事を、祈っていたのかもしれないな。
**
帝国城を出て、私とファナは低所得者層地区にある私達の家へと帰る為の道を行き、今家の前に着いた。
しかし本来なら無人、もしくはお母さんがいるべき家の中に、二人以上の気配を感じて、私は思わず扉を強く開け放ってしまう。
「あらクシャナ、ファナ。おかえりなさい、早かったのね」
最初は空き巣か何かかと思ってしまったが、そこにはエプロンを着て夕食の準備に入っているお母さんと——彼女の隣で同じようにエプロンを着て、難しい顔をしながらニンジンの皮を包丁で剥く、シガレット・ミュ・タースさんの姿があった。
「し、シガレットさん……?」
「えっと、その……お邪魔してます、クシャナちゃん」
僅かだが居心地悪そうに、そう挨拶したシガレットさんの手に握られていた包丁が、今彼女の手を切り、その切った指の先から血を吹き出した。
「痛ったいっ! ほ、包丁ってこんな扱い難しいの……!?」
「もう、シガレット様が余所見しながら包丁を握っているのがダメなんです! はい、手を出してくださいな」
切った指を水で流して洗い、消毒をしてから傷当てをして止血。シガレットさんは涙目になりながら「ごめんなさい……」とお母さんに謝り、お母さんは笑顔でその謝罪を受け止めた。
「な、何してんの? 二人とも」
「何って、シガレット様に『お料理を覚えたいから教えて』ってお願いされたの。だから、まずは包丁の使い方講座よ」
「いや、それもだけどそうじゃなくて! 何でシガレットさんがお料理を覚えようって事になったの!?」
私もファナも混乱しながら、しかしお母さんは気にしていなさそうに、再びシガレットさんを台所の前に立たせ、今度はジャガイモを手渡した。それを剥けというのかお母さん、ジャガイモはニンジンよりムズイぞ。
「え、えっと……実は私、孤児院を開く事に、なって」
「孤児院?」
「ええ。実はもう帝国政府にも申請は済ませていて、非営利法人としての届出も完了してたの」
気恥ずかしそうに、そしてジャガイモの皮を剥くのが難しそうに表情を赤らめさせたりムムムと唸ったりしているシガレットさんに代わり、お母さんが続きを語ってくれる。
「お母さんもね、そこで働く事にしたの」
「お母さんも?」
「ええ。給仕の経験もあるし育児の経験もある。だからシガレット様に頼られちゃって。頼られちゃったら断れないのよねぇ、私ってば!」
フフフ、と胸を張りながら誇るお母さんだったが、私なんかは少しだけ、複雑だ。
「……どうして、孤児院をやろうと?」
「孤児院をしようと思った事に、大した理由なんて無い。ただ——私みたいな死者に出来る事は、生きる者達を傷つける事じゃないって、ファナちゃんに気付かされたから」
「それが、ガルファレット先生に対する、贖罪なんですか?」
ジャガイモの芽を抉り取っていたシガレットさんの手が止まる。そして、お母さんの表情にも、若干の曇りが生じた。
「……私は正直、今でもシガレットさんが、許せないよ。ガルファレット先生は、あんな戦いで死んでいい人じゃ、なかった。勿論、死んで良い人なんていないってわかってる。でも、それでも先生は」
「思い、出したの。……ガルファレットとの、最後の会話」
それは、ガルファレットが残した最後の言葉、というわけではない。
かつて老婆だったシガレットが死ぬ時、その最後に彼が、シガレットに残した最後の言葉を意味している。
「私が、輪廻転生があるとしたら、誰かの命を救える存在になりたいって……そう言った時、あの子は旧約聖書の一文を引用して、なれると答えてくれた」
——なれますとも。出来ますとも。
——フレアラス教旧約聖書にも『人は過ちを犯しても、償う事の出来る存在である』、とあります故。
その言葉を口にした瞬間……シガレットの瞳は僅かに潤んでいたけれど、しかし涙はもう、流さない。
「贖罪だけじゃ、ない。私は、あの子との約束を……守らないと。私は、誰かの命を救える存在に、なりたい。一度、間違えてしまったけれど、まだ私は、生きなきゃならない。……なら、私はあの子との約束を胸に、前を向くって、決めたのよ」
……まだ、彼女を許す気には、なれない。
けれどきっと、ガルファレット先生は、そんな彼女の事を認めてやってくれと、そう言うだろう。
それが分かるからこそ——私は全てを許して笑い合う事こそしないけれど、彼女の言葉を認める事は、してやろうと思う。
二度目の生を否定ばかりされてしまえば……どんな命とて悲しいものだから。





