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情動-10

 素直に負けを認めたフェストラは、仰向けに倒れた自分の口から血を吹き出し、それを吐いた。


 クシャナは未だに溢れる涙をそのままに、フェストラへと問いかける。



「どうして……っ」


「……何だ」


「お前ほどの男が……どうして他に道がないか、それを探さなかった……っ!」



 確かに、クシャナを神なる王として表舞台に君臨し、フェストラが裏の王としてこの国を支配する事が、誰をも救う方法であると、クシャナも理解できる。


 だがそれは、クシャナにとって認められない方法だった。そしてフェストラも、彼女がそう考え、逆らう事を想定した上で、それでも強行しようとした。


 けれど、もし本当に彼が、クシャナと共にある事を新たな幸せとしたのであれば——そんな方法じゃなくて、もっと別の方法で、この国を救う事も出来た筈だ。



「お前の選んだ方法が、こんな方法じゃなければ……私は、お前の隣に、ずっとい続けられた……ずっと、隣に居たかった……ッ!」


「ああ。オレも、そんな方法を、ずっと探していた」


「ならどうして——」



 フェストラの手が、クシャナの頬に触れた瞬間、彼女は言葉を止めて、フェストラの口が開かれるのを待つ。



「この戦いで……オレ達は、多くの仲間を失った」



 ドナリア・ファスト・グロリア、ガルファレット・ミサンガ、ルト・クオン・ハングダム——そして、二人は知らぬが、メリー・カオン・ハングダムもまた、アスハと戦いの末に、命を落とした。



「仲間だけじゃ、ない。アシッドと化した者も……アシッドに、食われた者も……最後の戦いによって命を落とした帝国軍人も、帝国警備隊員も、ただ平穏に一生を謳歌する筈だった民も……多くの、命が失われたんだ……」



 その数を、クシャナは知らない。けれどきっと、フェストラという男は把握出来る数を、しっかり把握していた事だろう。


 名前を覚えられるのならば、それを覚えたのかもしれない。


 クシャナが、赤松玲が、プロトワンが、食べた者の名を可能な限り自分の記憶に刻み込み、彼らの生きた証としたように……フェストラもまた、そうして多くの命に対して、弔おうという想いを抱いていた。



「そんな、多くの命が失われた戦いで、勝ち取った未来が……最上のもので無いなんて、許される筈がない。まして、それをオレ一人の望む、幸せの為になどと、誰が納得する……?」


「——優し過ぎる。優し過ぎるんだよ、フェストラ。そんなの、人が背負い切れる優しさじゃ無いんだよ」


「だから——人ではない存在に、なろうとしていた」



 彼の頬に、顔を押し当てるようにする。彼の鼓動が聞こえてくるようで、クシャナも少しだけ心が安堵するようであったけれど——涙は、枯れない。



「良かったんだよ、お前は自分の幸せを求めて。お前は十分、多くの人々を救ったんだ。死んだ者も、十分にお前の優しさで報われてる筈さ」


「優しさで報われるほど、人の命は安くなんて無い」


「だったら、何を以て報われるっていうんだよ。そもそもお前が言ったんだぞ。『生きる者が死んだ者を想い、前を向く事こそが、本当の意味で【意味の在る死】になる』って。だから——私は信じてる。お前の優しさで、多くの命が報われてるって」


「……報われて、いるのかな?」


「お前だって、そう信じたから——本気で自分の野望を、叶えようと出来なかったんだろう?」



 ずっと、おかしいと思っていた。


 ラウラを討ち、クシャナを捕らえ、メリーとアスハを従えた時から……彼の行動には、矛盾で満ちていた。


 もし本気で、彼が自らの野望を成就させようと願っていたのならば、何故アスハを味方に引き入れた後、彼女の意思を尊重し、彼女を自由に行動させた?


 何故、クシャナという女が逃げ出せるような状況を作り、あまつさえ最後には見逃した?


 それは——彼が本気で自分の野望を叶えようとしなかったからではないのだろうか、と。


 クシャナはずっと、そう思っていた。



「お前にとっては、どっちでも良かったんだろ? 私がお前と共にある事を受け入れても……私がお前に反抗し、お前と戦う事になっても」


「……お前と共にありたかった、その想いに嘘はない」



 けれど、迷っていた事は確かだった。


 本当に、自分のしようとしている事が正しいのか。それによって得られる幸せに価値はあるのか。


 そう考えても、失われた命に対する贖罪を思えば、そんな悩みに苦しんでいる暇なんてない。


 ならば——人と時の流れに身を任せてみるのも、一つの手であるのだろうと、そう思ったのだ。



「だから……お前に負けても、何の悔しさも感じない。むしろ、こうなる事が正しかったんだと、証明出来た気もする」


「……本当に、お前は不器用だな」


「言うな。お前ほどじゃない」


「うん、そうだね」



 クシャナが笑い、フェストラは彼女の頬を伝う涙を、拭う。するとフェストラも笑顔を浮かべ、頭を下げた。



「すまない、クシャナ」


「謝らなくて良いよ。慣れっこだからさ」


「それでも、すまない。オレは、またお前を泣かせてしまう。けれど——オレはお前の涙が、好きなんだ」



 初めて見た時から、彼女の涙は誰かの為を思って流されていた。


 そうして他者の為に涙を流せる者が、弱い筈もない。


 フェストラはクシャナ・アルスタッドという女の事を嫌っていたけれど——しかし、彼女の好きであった所を語れというのなら、それは涙を流す姿であったのだろうと、今ではそう思う。



「これから、お前は多く涙を流すだろう。誰かが傷ついていたら、誰かの為に涙を流せるような奴だからな」


「まぁ、そうかもしれない」


「だが、今この時に流すお前の涙は……全て、オレの為の涙であって欲しい。それが、今のオレの願う……新しい幸せだから」


「おいおい。随分と安い幸せじゃないか?」


「そう思うのなら、オレの為に泣いてくれよ」


「……良いよ。それ位なら、してあげるさ。——私も、正直になった時のお前が、好きだもの」



 クシャナも、フェストラ・フレンツ・フォルディアスという男の事を嫌っていたけれど——しかし、彼の好きであった所を語れと言うのなら、それはきっと、彼が正直になった時の姿だ。


 ずっと、王という仮面を被り続けて、誰かと共にあろうとしないけれど、本当は人一倍、自分と同じ存在に憧れた、不器用で優しい、寂しがり屋。


 それは、これまで出会ってきたどんな男にも無い、ただ一つの魅力だったのだろう。




「さようなら、フェストラ。——お前を喰らう事が出来て、本当に良かったと思ってる」


「さようなら、クシャナ。——お前の涙を見ながら、お前の血肉になれる事を、心から神に感謝する」




 そう、フェストラはただ、死ぬわけじゃ無い。


 彼はクシャナの血肉となって、永遠の命を有する彼女の中で、共にあり続ける。


 肉体という形は失われてしまっても、クシャナとフェストラが、共にある事の証だ。


 だから——今回ばかりは、頭部だけを食らうなんて事はしない。


 クシャナはフェストラの足から順に、彼の事を喰らい始める。



 右足のつま先から下腹部までの肉を喰らう間に、フェストラが少しずつ再生することも懸念していたが、しかし彼はそれを予期していたのか、それともまた別の理由からかはわからぬが、自らに平伏能力を適用し、再生能力を封じていた。


 左足から下腹部までを喰らい終えると、クシャナは残していた骨も少しずつ折りながら、噛み砕いていく。


 骨まで全てを喰らい尽くした後、地面に残る血も少しずつ、すすりながら飲んでいく。喉に絡みつく血の香りが鼻を抜け、それさえもどこか味わい深くも感じてしまう。


 下腹部から胸元あたりにかけても、丁寧に肉と筋を食していき、次に骨を。フェストラの手と自分の手を絡み合わせ、繋げていると、一口食う度に彼がわずかに震えている事に気づいたけれど、それを口に出さずに微笑んだ。


 胸元まで喰らい進めると、次に食うのは手を繋いでいない左手から左肩にかけてまで。それも、一本一本の指を味わうように、舌を這わせながらも歯を立てて、肉だけでなく骨も含めて食らう。


 すると、左腕も無くなった。となれば、次は右手であろう。それまで繋いでいた手を離し、少しだけ名残惜しそうにしている彼の頭を撫でながら、右手から右肩までをも、食らいつく。


 この辺りで、そろそろ腹も満たされてきた感覚がある。けれど、まだだ、まだフェストラの全てを、食らったわけじゃ無い。彼の全てを、感じていない。


 胸元から首元あたりまでを食らっていくと、次第にフェストラは震えもしなくなった。目元も虚い、意識が遠のいているのかもしれない。けれど、こんな時くらい起きていてくれよと願うように、クシャナはフェストラの頬をつねり、彼を無理矢理起こした。


 わずかに痛そうな表情を浮かべたフェストラに、クシャナはまた微笑を浮かべ——彼の口に、自分の唇を、重ね合わせる。


 それはまるで、口付けのようであったけれど——そんな感慨を持つ暇もなく、フェストラの唇にクシャナは噛み付いた。


 抉られた口元、そこを中心としてクシャナはフェストラの顔を食い進めていき——最終的に、彼の髪も脳も血も、脳髄液も骨も、至る全てを喰らい終えた。


 影も形も無くなったフェストラが、ここにいると示すように、クシャナは自分の腹をさすりながら……涙を流しつつも、しかし幸せそうな笑みを浮かべていた。




「これからも、ずっと一緒だよ。——なぁ、フェストラ」




 彼女の言葉に、誰も答える事はない。


 けれど、クシャナはそれで、構わなかった。


 だってそれは——クシャナとフェストラ、二人の間に芽生えた情動の表現だったのだから。

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