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情動-09

 大粒の涙が、どんどんとミラージュの頬を伝い、彼女の顔を濡らしていく。


 それを抑えようとして手を目に当てても、涙は手を濡らすだけ。



「う、うぅうう……っ、!」


「なぜ、お前が泣く。お前が見たのはオレの深層意識にある根幹だ。それに心を動かされるべきは、オレである筈だろう」


「だって……だって……ッ! 私、やっぱりお前に、酷い事してた……ううん、違う。してた、だけじゃない。しようとしてる……っ!」



 クシャナとて、理解していたのだ。


 フェストラという男が、クシャナという女の隣にいる事が、新たな幸せになっていたのだと。


 だからこそフェストラは、クシャナの隣に立つべき男になろうとしたのだと。


 理解していながらも——クシャナはフェストラを、否定した。



「ああ、だから言っただろう。オレがもし狂っているのだとしたら、そうさせたのはお前なのだと」



 分かっていたつもりだったのだ。クシャナが「あの言葉」をかけた事で、彼が変わってしまった事を。


 しかしその言葉を告げた自分には、フェストラを止める義務があるとは思っていても、それが自分の罪であるなんて思いもしていなかった。


 けれど——今の光景を見た上で、そんな事を言える筈もない。


 王になる事が使命であり、幸せであったフェストラという男。


 そんな彼の前に現れ、彼と共に在ろうとする、人ならざる存在・クシャナ。


 フェストラは彼女と肩を並べて戦える事に、これから肩を並べて生きていける事に、もう一つの幸せを見出した。


 ラウラの生み出した犠牲により、フェストラは自らが王となる未来を選べなかった。けれど、共に在ろうと誓ってくれたクシャナが王となる道はある。


 クシャナを王とし、彼女を支える存在に自らがなろうとしたフェストラという男は——しかし本当に、彼が勝手に狂ってしまっただけと言えるだろうか?



 少なくとも、クシャナには言えない。


 クシャナだって、彼と共に在ろうとした言葉を、生半可な気持ちで口にした覚えはない。


 これから先の未来、彼がどんなに苦しんでいても、共に隣で助け合っていきたいという誓いを込めて、願ったのだ。


 そんな気持ちを受け取って、フェストラという男がどれだけ心の中で喜んでくれたのか。クシャナという女に対して、純粋なる幸せを求めてくれた、不器用な男の気持ちを、知ってしまった。


 なのにクシャナは、そんな彼を否定した。それが、酷い事でなくて何という?



「今から、ズルい事言う。——もしお前が、本当にオレを狂わせてしまったのだと、それを後悔するのなら、もう一度オレの元へ来い。また、肩を並べてくれ。それだけでいい。それだけでいいんだ」



 二人は別に、愛し合っているわけじゃない。


 恋心なんて甘酸っぱい気持ちもない。


 何なら、互いの嫌な部分に目がつき過ぎて、今更そんな気持ちを抱く事だって出来る筈もない。


 けれど、互いに理解し合って、思い合って、助け合って——そんな関係を構築して、共に在る事は、互いにとって苦痛ではない。



 また、そんな関係になりたいと、手を伸ばすフェストラ。


 その手に、クシャナだって手を伸ばして、手を取りたい気持ちは十分過ぎるほどにある。


 それだけでも、クシャナはそれなりの幸せを、掴める筈だ。


 誰もクシャナを咎めはしない。



 だけど——それでも。



 クシャナは、ミラージュは、首を横に振るって、胸に手を当てる。


 溢れて止まらない涙を抑えるのではなく、胸の鼓動を抑えて、彼と戦わなければならないと、理解しているから。


 それでも……胸の鼓動は、鳴り止まない。


 そして、彼に対する想いも、言葉となって止まらない。



「ごめん……ごめんな、フェストラ。でも、でも私は、やっぱり認める事が出来ない。アシッドなんて力が、この世界を変えてしまう事は、どんな事があっても……っ」


「——そうか。そうだよな」


「許されないって、分かってる。私がどれだけ、自分勝手な事を言ってるのか……お前にどれだけ、酷な事を言っているか、分かってる……っ」


「ああ、オレにだって分かっているさ」



 嗚咽を溢すように涙し、彼に懺悔するクシャナとは異なり、フェストラはまるで、憑き物が落ちたように爽やかな笑顔を見せた。



「オレが言ってるのは、やはりズルい事なんだよ。お前が共にあって欲しいと思うからこそ、お前の想いを、言葉を借りて、お前に罪の意識を根付かせようとした。それで、お前がオレの隣にいてくれるのなら、それでも良いと……そんなズルい考えを持ったオレに、謝る必要なんて、ないんだ」



 普段のように不敵めいた笑顔ではない。声もそうだ。まるで泣きじゃくる子供を落ち着かせるように、落ち着いたトーンで諭すのだ。



「オレ達は道を違えた。けれど違えるまでの間に、オレ達は多くを手にする事が出来たじゃないか。それだけで——オレにとっては十分過ぎる程、お前と肩を並べた価値があったのさ」



 だから、と言いながら、フェストラはそれまで開かれていたわずかな距離をさらに開くように、一歩一歩確かにクシャナから——ミラージュから遠ざかって、地面に落ちていたゴルタナを拾い上げた。



「さぁ、遂に終幕だ。——お前は別に、涙を流しながらで良い。それでも、決着だけはつけるぞ」


「——うん」



 彼の言葉通り、涙は流れたままだ。


 けれど、ミラージュはゴルタナを構えるフェストラと同様に、アシッド・ギアを一本取り出し、そのコネクタをブーステッド・ホルダーへと挿入。



〈Acid Gear-Convert MODE Start.


 one,two,three,four,five,six,seven,eight……OK.〉



 ミラージュの内部に蓄積される、アシッド因子より作り出されるエネルギー。そのエネルギーの循環が彼女の体へ苦痛を巡らせるけれど、しかし彼女は涙と共に、その痛みを受け流す。



「ゴルタナ、起動」



 フェストラの声に合わせ、彼の体へと纏われていく黒の魔術外装。それによって彼の顔は覆われ、見えなくなるけれど——しかし彼の瞳は、ただミラージュの事を見据えている。



〈EIGHT Factor Rising.〉



 顎を引き、それと同時に放出される、赤に可視化された力場。その力場によってミラージュの頬を伝う涙が空を舞い、舞い上がった雫は、朝日の輝きに照らされ、煌めいた。


 カツン、と一回その場で踏みつけた左足の音と共に、彼女の足元よりブーステッド・トラッキングが出現。それが彼女の意思に従うかの如く、ひとりでに宙へと舞い上がると、四本の刃に分離して、彼女の周囲を駆け巡る。


 だが、それだけじゃない。今一度ミラージュは、地面を軽く打ちつけるようにヒールで叩く。今度は、ブーステッド・トラッキングでもパニッシャーでもなく、彼女の愛剣とも言える黒剣が姿を表し、それがまた宙に浮いた。


 しばしの間、二者はそのまま動かず、ただ息を吸い、吐き出しといったプロセスを感じていたが——宙に浮いたままだった黒剣が、重力に従い地面へと向けて落ちていく。


 その剣が地面に接地し、カラン、カランカランと無機質な音を奏で、やがてその音さえも消えていく。


 そうして——二人の世界に、音が消えた。



 瞬間、フェストラが駆け出した。


 出現する六体の魔術兵。フェストラは魔術兵の壁に隠れ、どこにいるかは目で確認などできない。


 だがそれでも構わない。ミラージュはブーステッド・トラッキングを稼働させ、四本の刃がそれぞれ一体ずつ、つまり四体の魔術兵に襲いかかり、その動きを抑制させている間に、残り二体の魔術兵に向けて、赤い力場を纏わせた全身を駆け出させ、一体に殴りかかる。


 彼女の拳が触れた瞬間、その威力を十全に味わうよりも前に、衝撃によって掻き消されていく魔術兵の一体。


 残るもう一体に対しては、足を止めながら腰を捻り、右腕のエルボーを叩き込む事で、それもまた威力が完全に叩きつけられるよりも前に、衝撃だけで掻き消えていく。


 四本のトラッキングも、それぞれ疾く空中を駆け、魔術兵を順当に消していく中で——その影に隠れるようにしていたゴルタナを装備したフェストラが、ミラージュへと向けて金色の剣を抜き放ち、その首筋に向けて素早く、力強い一閃を振るおうとする。


 だが——それよりも前に、ミラージュは動いた。


 足元に落ちていた黒剣。その柄を足で持ち上げると、その刃が眼前へと浮かび、彼女はそれを手に取った。


 フェストラの全力を込めて振り込まれた刃の一閃。それは通常なら、ただ黒剣が叩き折られて終いだった筈。


 しかし、今は違う。彼女の体内に内包されたエネルギーを受信する黒剣は、フェストラの振るった刃を受け止めるだけでなく、互いの剣を打ち砕きながら、消滅していく。


 ゴルタナで見えないフェストラの表情が、わずかに驚きに染められた。


 けれどそれはミラージュに見えない。彼女はブーステッド・トラッキングに命じ、四本の刃がその命令に従うよう、ミラージュとフェストラの周囲に展開され——その刃が、ゴルタナを展開するフェストラへと襲いかかった。


 魔術外装として機能するゴルタナは、その刃をフェストラへと通さない。しかし四本の刃が有する、エネルギーを内包した威力はゴルタナの防ぐ事が出来る想定を遥かに超えた。


 トラッキングを跳ね返すと同時に、ゴルタナが展開を強制解除する。しかしそれにより、フェストラ本人には大きく衝撃を受ける事なく、彼は目の前にいるミラージュの胸に向けて、左腕を強く叩きつける。


 その衝撃を受け、ミラージュも同様に変身が強制的に解除される。


 だがそれでも——ブーステッド・フォーム時に受け付けた因子のエネルギーは、彼女の中に残っている。



「これで——終わりだッ!!」



 フェストラの叫び。それと共に彼はクシャナの首筋に向けて口を大きく開け、その筋を噛みちぎるように喰らい付いた。


 ミシ、ブチュ、と音を奏でながら、千切られる首筋。吹き出す血と共に、クシャナは実感する。再生されている様子はない。つまり——フェストラはクシャナの再生能力に対し、平伏能力を用いた。



「こっちの——台詞だッ!!」



 だが、クシャナはそこで慌てる事なく、再び首筋へと噛みつこうとしたフェストラの口に、自らの左腕を押し付け、その歯が左腕の肉に喰らい付いた瞬間、痛みに耐えながらポケットの中より、残されたアシッド・ギアをもう一本、乱雑に取り出して、自分の胸元に押し付けた。



「な」



 それにより、体内へ侵入する新たな因子。その因子は彼女の体を蝕むだけでなく——力を与えてくれるのだ。



「は——アアアアアアアッ!!」



 噛み付かれ、肉を抉られる左腕の関節部に向けて、クシャナは右腕の手刀を振り下ろす。


 それによって、関節部が折れて骨が肌や肉を突き破り、さらには手刀の鋭い一打が、彼女の左腕を完全に切り裂いた。


 フェストラとクシャナの間に、触れ合うものはない。クシャナは涙を流したまま、彼に向けて右腕を構え直し、その腰を捻りながら——彼の胸元に突き出した。


 鋭く、力強い拳の一打は、フェストラの胸筋を突き破り、背中から顔を出す。


 クシャナが地面を蹴る事で彼の体を地面に叩きつけながら——彼の首筋に、自分の顔を近付ける事で、彼女は確信した言葉を口にする。



「——私の、勝ちだ。フェストラ」


「……ああ。オレの、負けだ」

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