情動-06
自らの子供に対し、父の方が立場も体の作りも上なのだと、暴行を働く姿は、ミラージュにとっても気持ちの良い光景では無い。
だが、当の本人である今のフェストラは、そんな光景に目を逸らすでもなく、むしろ懐かしさすらあると言わんばかりに鼻で笑うのだ。
(お父様は元々、次期帝国王であるという誇りを以て他者と関わるスタンスを持っていたが、アマンナの母であるアンスに騙された事をキッカケにして、変わってしまった。謀られたという屈辱、そして第六世代魔術回路の子供を二人も生産し、フォルディアス家の名を轟かせようとした計画が水泡と化し、自尊心を甚く傷つけられたからだろう)
幾度も蹴られ、全身にアザを作り、身体中の傷から血を流そうと、フェストラは呻き声も泣き言も、許しを乞う事もなく、ただ耐え続けている。
(ボクはお父様の事を、このウォリアという男の事を、尊敬はしない。尊敬に値する器じゃ無い。この男には、民を律する為に必要な思考を持たないからだ)
尊敬に値しない男の暴力に、決して屈する事はできない。その信念が込められた瞳を見て、ウォリアは自らの子供であるフェストラが、何か恐ろしいモノにでも見えたのだろう。
彼はしばらくすると、フェストラに何かを言うことは無くなった。もし何かを伝える時は、フェストラの母であるセインツ・フレンツ・フォルディアスを経由して伝えられた。
『フェストラ。この年まで良く、あの男のやり方に耐えてきましたね』
またも、景色が移り変わり、場所はおそらくどこかの一室。
広々とした空間だが、部屋自体は日本の和風な雰囲気が近しく、フェストラともう一人、彼と向き合う女性は、素足の状態で座布団の上に正座している。
その女性こそ、フェストラの母親であり、ウォリアの妻である、セインツ・フレンツ・フォルディアスだ。
(反してお母様は、尊敬に値する器だ。常に理知的に物事を考え、自尊心に凝り固まらず、他者を動かす事に何の躊躇いも無い。ボクの魔術指導に、かの有名なシガレット・ミュ・タース様を充てがってくださったのも、お母様だ)
フェストラは父親であるウォリアと相対する時は、常に気を張っているように思えた。彼に敵意を向け、いつでも殺せるのならば殺せると、そう感じさせるような視線があった。
けれど、セインツを前にした彼は違う。少しだけ気恥ずかしそうに、けれどそうして褒められる事が喜ばしいと言わんばかりに、年頃の男の子らしい態度で『滅相もありません』と、頭を下げた。
しかし、そうして頭を下げたフェストラに対し、セインツは手に握っていた扇子を閉じながら、左掌に叩きつけるようにして、パン、と綺麗な音を鳴らした。
『フェストラ——頭を下げるんじゃありません』
『え』
『あの男、ウォリアは確かに小物です。あの男が第六世代魔術回路さえ持っていなければ、私もあんな男に体を許しませんでした』
子供を前にして、随分と生々しい事を言うとクシャナは思ったが、だがフェストラは当時から人の生殖機能については知り得ている。問題は特に無いと、セインツも判断したのだろう。
『ですが、正しい部分もあります。貴方が頭を下げるべきは、自らより位の高い存在であるべきです。つまり今の世で貴方が頭を下げ、相手の名を敬称でお呼びするべきは、現帝国王であるラウラ様と、次期帝国王候補であるウォリアだけ。私と言う女に頭を下げる必要はないのです』
『しかし、お母様はお母様で』
『王というのは常に、王でない者よりも上の立場にいるべき存在。いずれ貴方はこの国において、誰よりも高い位に腰掛ける事となる。私はそんな貴方という王を産み、育てる事が仕事であり、それに対し感謝される必要はありません。——まぁ、尊敬の念がある事は結構ですが、それを口にしてはなりません』
王となる人間は、王でない人間と対等である事は出来ない。
それが仮に、父であろうとも、母であろうとも、妹であろうとも。
セインツはそう語りながら、フェストラの頬に触れる。加齢によって皺が増えているものの、まだまだ綺麗な女性であるウォリアの言葉を受け、フェストラは寂しそうな表情を浮かべた。
『そんな顔をするものじゃありません。王である前に、男でしょう?』
『……男は、寂しいと感じてはならないのですか?』
『……いいえ。寂しいのなら、どれだけでも誰かの胸に癒されなさい』
体を前へと出し、フェストラと距離を詰めるセインツは、まだまだ小さな体のフェストラを抱き寄せ、その豊満な胸に顔を埋めさせる。
頭を撫でて、彼に体温を伝え、寂しい気持ちを紛らわせるようにして。
しばしの間そうしていると、フェストラは段々と眠くなる感覚を覚えたが、そこでセインツが口にした言葉により、目が覚める。
『フェストラ。明日よりウォリアと私、アンスさんの三人で向かう東方国・ニージャとの貿易同盟締結会談——恐らく船に何か仕掛けられ、沈む事でしょう』
何を言っているのか、フェストラには理解できなかった。
しかしセインツの声は、全てを悟っているかのように静かで、澄んでいて、思わずフェストラが、それを良い事であるかのように錯覚してしまう。
『……なぜ、そう思われるのです?』
だが言葉を思い返すと、不謹慎である事がわかる。母の胸から顔を離し、不安そうにそう問いかけると、彼女は笑顔を向ける事なく、まるで当たり前の事を告げるかのように、淡々とした言葉にする。
『ニージャという国にとって、グロリア帝国との貿易同盟にはほとんど利がありません。かの国は食糧も資源も他国に頼らず自国での供給で賄える。どんな国家とて五百という月日を他国の侵略や同盟を無しに発展が出来なかった中で、かの国は一千年という時をほぼ鎖国状態で立ち行かせているのですよ』
『それは、わかります』
『対して我が国がニージャと同盟締結をする事によってある利は、ニージャの潤沢な鉱物資源を唯一我が国が輸入出来る利点を活かす事により、我が国を中心とした経済圏の確立が可能と言う点でしょう』
政治的思惑についての話であるが、フェストラには彼女の言葉が、全て理解できる教養があり、彼女が一つ一つ丁寧に口にすれば、それに対して反論が何も出来ない。
『ウォリアは鉱物資源の輸入先を確保する事で兵器産業の活性化を推し進め、現帝国王・ラウラにかつて支えていた経歴を持つ、軍拡支持派の頭、エンドラス・リスタバリオスの支持と協力を仰ぎ、強靭な帝国主義国家の再建を目指す——ですが、これには国外の主要国だけでなく、国内の一部勢力も好ましく思っていない』
故に、貿易同盟締結に向けて出発した船に細工を施し、ただっ広い海の上で船を沈没させ、彼を亡き者にする。
元々ウォリアという男は、国内外に多くの敵を作ってきた。その高すぎる自尊心を誇示する為だけに権力を掲げてきた男には、確かにそんな結末が似合っているのかもしれない。
けれど——そうと分かっていながら、どうして、母も共に死にに行こうとする?
『簡単な事です。そうして彼が死してくれた方が、私にとっても都合がいい。……奴などと言う小物では、この国は繁栄を実現することなどできない。貴方という優秀な子が次期帝国王となる事で、ようやくこの国は、より良き国家として生まれ変わる事が出来るのです』
『答えに、なっておりません。お母様』
『私と言う妻も共に在らねば、ウォリアの暗殺を企てる者に「計画が読まれているかもしれない」と、警戒される可能性があるからです。私も共に死なねば——ウォリアが死なぬかもしれない。この絶好の機会に、あの男は必ず、死なねばならぬのですよ』
ウォリアという男を殺し、息子であるフェストラを次期帝国王とする。
その為にならば、自分の命さえも惜しくはないと、平然とした表情で言ってのけた母に……フェストラは初めて「怖い」とさえ感じたのだろう。
『良いですか、フェストラ。人というのは平等な存在です。唯一平等でない存在は、王たる者だけ。だからこそ王は、民を平等に愛し、平等に安寧を与えなければならぬのです』
『平等……?』
『ええ。人には誰しも、一つしか命を有さない。誰の命も平等であり、無駄に散っても良い命だって、無駄に搾取される命もあって良いはずがない——ウォリアという男に作れる国家は、どうあっても命が平等には扱われない世界でしかないのです』
セインツの願望は、酷くエゴイスティックにフェストラは思えてしまった。
けれど、彼女の言葉も正しいと、彼の中にある心が叫んでいるように感じたのかもしれない。
彼は何も言うことなく、ただ母の言葉が続くのを、待っている。
『だからこそ、貴方が王となるの。貴方が王になれば、誰にも平等な愛と安寧を捧げる事が出来る。自らを人の在り方から脱し、王という存在として君臨する事が出来る』
『……ボクが、人の在り方から、脱する?』
『ええ。王は、人として在ろうとしてはいけません。王は王、民は民。民は人である事を当たり前とし、王は人でない事を当たり前とする、歪な存在です。だからこそ——王は誰に対しても、背中しか見せてはならないのですよ』
王は、人である事を許されない者。
誰かと共にある事を許されない者。
そうして王が自らを殺す事で、初めて人に平等なる愛と安寧を振る舞い、平穏な世界が生まれると、彼女は言う。
セインツは、自らの子供を……そんな存在にさせたいと心の底から願っていたのだ。
『母は幸せです。貴方のような優秀な子なら、きっとそんな王となれる。きっとそんな国家を作り上げる事が出来る。——そんな世界になれば、私のように、無為な死を果たす者がいなくなるのですもの』
もう一度、抱かせて下さい、と。
セインツは、フェストラの体を今一度、強く、強く抱きしめた。
けれど、その瞳には涙などない。
これから死して、二度と子に会えないと分かっているはずなのに——そうして死して子の糧になる事がこれ以上ない幸せであると、彼女は信じてやまないから。





