情動-02
轟音と共に、背中を爆風に焼かれながら吹き飛ばされるアスハ。メリーの着地した建造物を飛び越し、さらに隣の建造物まで飛んだアスハの体が胸から落ちて、彼女は湧き上がる息苦しさに咳き込んだ。
「ごほっ、ぐ……っ!」
立ち上がらなければならないと、必死に両足を動かそうとする。しかし、焼かれた背中に合わせて爆風の衝撃で体の節々に限界が訪れたのか、アスハは立たせようとした両足がガクガクと震え、まともに歩く事さえ出来ない状況である事を悟った。
「どうだい。私もなかなかやるだろう?」
まだ、声は遠い。しかし先ほどまでとは異なり、通話ではなく実際の声を用いた言葉に、アスハはそちらを睨んだ。
「確かに、私の実力は君やドナリアには遠く及ばない。しかし、状況を有利にする事くらいは出来るのさ」
最初にスタングレネードを用いてアスハの眼と耳を封じる作戦は、彼女の実力を封じる目的だと考えていたし、実際にその狙いが九割を占めていたに違いない。
だが、メリーの狙いはそれだけではなく、アスハの眼と耳が不調の状態時に小型爆弾を設置、後に彼女の眼と耳がある程度回復するようになった時、彼女を誘き寄せる事で至近距離で爆発させる。
もし彼女の耳が不調状態のままであれば、容易く彼女を誘き寄せる事もできなかっただろうし、できたとしても、爆弾に気付かない事で動きを止めず、突然の爆発にも対処できていた可能性は捨てきれない。
多少、耳と眼が復活したタイミングに合わせて接近させる事で、爆弾から僅かに漏れる電子音と、その小さな爆弾の姿を見る事により、動きを抑制する事ができたのだ。
今のメリーは、アスハがダメージを負っているからと近づきはしない。一つ隣とはいえ、隣の建物の屋根に立ち、普段彼が用いるベレッタM9を構え、トリガーに指をかける。
「ぐ、」
「おっと」
アスハが、そんな彼に対抗しようと、地面に落ちた自分の剣を拾おうと手を動かしたが、しかしそれを予見していたと言わんばかりに、ベレッタの銃口から火花が二回、散った。
一発は剣の柄に当たる事で剣を転がし、手の届かない所へと。
もう一発は、アスハの伸ばそうとした掌に撃ち込み、貫通しながら地面を貫いた。
「諦めてくれないかい? 私は、美しい君を傷つけたいわけじゃない。君が綺麗な体のままでいてくれるのなら、それが一番好ましい」
既に全身は銃弾の痕が残り、背中は焼け爛れている状況だが、それでも彼は、アスハの現状を「美しい」と表現する。
「……美しい、ですか」
距離が離れている中で、アスハの声が届くかどうかは気になったが、しかしメリーは元々内偵を主な職務とするハングダムの人間だ。耳は非常によく、彼女の声も問題なく聞こえている。
「メリー、様は……私の事を……美しい、と?」
「ああ、美しいよ。君はこれまでの人生で、多く人の顔を見ていない。だから美醜の概念をよく知らぬだろうが——私にとって君は、まさに女神と評するに相応しい美しさだ。どれだけ銃弾を撃ち込まれていようが、どれだけ身体を焼き焦がそうが、君の美しさは変わらない」
アスハは、少しでも体を動かせば、その度に動かす箇所を撃たれるという現状で、ただ表を上げる事で視線をメリーと合わせる。
補助能力の影響で、アスハの眼には視界から得られる情報が、数学情報として認識される。簡単にいえば、その目に映る造形も性質も、全てがアスハに見通された状態、あらゆる干渉から逃れた姿が映る。
つまり——本来は彼の固有能力によって、顔の形が本来とは異なる姿で見える筈なのに、アスハにはメリーの歪みきった素顔が見えている、というわけだ。
「見えているだろう、この醜さの体現であるかのような顔を。私は、美しい君とは異なり、醜さと共に生きてきた」
リンパ線の膨張により、生まれた時から顔の形が変形していたメリー。自らも他者と比較したし、彼の父さえも周囲と自分を比較して、彼の事を「奇形遺伝子」と呼んだ。
父だけじゃない。彼の周囲にいる者たちは、メリーという男から遠ざかり、彼の事を嘲笑ってきた。
望んでこうした顔に生まれたわけでもない。何であれば、産んでくれと望んだ覚えもない。
ただ親の都合で産み落とされた命が、自分の望まぬ顔であったからと罵倒し、周囲もそんな彼の思いなど知らず、自分達と違う顔だからと差別する。
「自分がこうした顔を以て生まれたからこそ言える。醜さは罪だ。醜いというだけで、生まれた事が罪となり、生きる事が背負いし罰である」
生まれを呪われ、生きて石をぶつけられる。そんな世界で生き続けた彼にとって、生まれは罪、生きるは罰という価値観を植え付けられるに十分な時を過ごしたのだ。
——そんな幼少期を歩んできた彼が、やがて「美しさ」そのものに嫉妬し、恨むようになる事など、想像するまでも無いだろう。
「けれどね、アスハ。私は、君に嫉妬を覚える事など出来なかった。君に恨みなど抱けなかったんだよ。——君が、あまりに美しかったからだ」
それは、姿だけの事を言うんじゃない。彼女は、その障害に苦しむべきであった人生を、決して恨む事なく、決して嘆く事なく、ただ生き続けたのだ。
アスハ・ラインヘンバーとしても。
山口明日葉としても。
辛く、苦しい時もあっただろうと思う。
目が見えぬのは、他者と美醜を共感出来ず、関わりが失われる事を意味する。
触れても何も感じぬのは、他者と触れ合えず、関わりが失われる事を意味する。
そうして他者との関わる方法を、生まれた時から失っていた彼女は——それでも、前へと進み続けた。
目が見えなくても、言葉を交わす事は出来る。
肌で伝わらずとも、ただ手を繋ぐ事は出来る。
そんな自分の中にある「当たり前」を信じる事で、彼女は前を向く。
なんて強い少女だろうと、メリーは嫉妬さえ覚える事も出来なかった。ただ、感嘆の声を上げ、彼女を信仰する事しか出来ずにいた。
メリーには、アスハよりも多く他者と関わる術を有していた筈だった。
どれだけ外見を罵られようとも、けれどそれだけで、他者と関わり合うという事において、アスハよりも満たされる事はできた筈なのに——他者との関わりを意図して排し、逃げたのだ。
「その事実に気付いた時、私は自らが、心まで醜くなっていた事を理解したんだ。……外も内も醜い、醜悪の塊とも言うべき私には、自分の幸せを求める権利など、無いとね」
だからこそ、それまで他者を呪い続けた自分が、せめて他者の、これまで呪い続けてきた、美しさを有する者への幸せだけは、願えるようになりたいと誓ったのだ。
——結果として幸せを願った相手のほとんどは、この世にもういない事が皮肉めいた結果を示しているのだが。
そう苦笑したメリーの表情を見て、アスハは何を思ったのだろう。
ただ彼女は、顎を引いて何か決意したかのように……その這いずる両手と両足に、力を込める。
「メリー、様……一つ、教えて、下さい」
メリーは、彼女が何をしようとしているか、それを理解できない。
既に立ち上がっても満足に動く事も出来ない満身創痍の状態で、再生も果たせない彼女が、この状況を打破出来るはずもない。
事実、彼女は幾度も立ち上がろうとして両手に込めた力が途中で抜け、両手を滑らせながら顎が地面に落ちた。
「っ、……美しさ、とは……どんな事を、言うのでしょう」
「……それは、私に対する嫌味かな?」
「いいえ……私には、美しさ、というのが、何か……良く、分からない」
初めて見る景色は、ミハエル・フォルテに立ち向かう為、開眼した瞳で見た草原だった。
それから色んな戦いにおいて、色んな景色を目の当たりにし、全てが彼女にとって新鮮な景色であり、美しくないものなど、何もなかった筈だった。
「初め、て……見た物や、人に……心が、動く。そんな感情を、抱くようになる事が……美しさを感じる、という事なのだと、思っています」
「概ね間違いはない、と思う」
「ならやはり——私は、メリー様のお顔も、美しく、思います」
眼を見開き、呆然と口を開き、彼女の言葉を、脳に反芻させる。
「メリー様の、お顔を見ると……私は、胸の奥底から、何か湧き上がるような感慨に、身を浸せるのです……ええ、わかります。これは、嬉しいんです……蘇ったドナリアの最後を、この目で見る事が出来た時と、同じで、見る事は出来ないと思っていた、貴方のお顔が、私にとっては何よりも、美しいものにしか、見えないのです」
「それは、違う。雛鳥が、初めて見たモノを親と認識するように、私の顔が美しいと、そう刷り込まれただけの事だ。でなければ、でなければ」
「私が、初めて見た男は、ミハエル・フォルテです。でも、あのお男を見ても、何の感慨も、湧きませんでした。勿論、初めて見た人の姿が、新鮮であった事は否定しませんが」
「嘘だ! 君は、君は同情でものを言っているのだろう? そうでなければ、そうでなければ……私を、他者と比べて美しい等と、思える筈も無い!」
アスハの言葉を信じられないと言わんばかりに、幾度も首を降って銃を構えるメリー。しかし、アスハはそんな銃に恐れる事なく、既に幾度も失敗しているにも関わらず、両手に再び力を込めて——今度こそ、立ち上がる事に成功した。
「ええ……メリー様は、確かに顔の形などは、他の人と異なるかも、しれません。でも、どれだけ他者と、異なっていても、それがメリー様のお顔なのでしょう?」
「ち、違う……違う筈だ! 君は、そう。きっと君の能力は不完全なんだ。私の顔が、正しく認識できていない。今、私の能力を解こう!」
一度、アスハから顔を隠すようにする事で、自身の能力を解除するメリー。しかし、アスハはそんな彼の顔を見た上でも、首を横に振った。
「変わりません。メリー様は、メリー様の、ままです」
「……それでも、私の顔が……美しいと?」
「ええ。私にとって、メリー様のお顔は……美しく、心を洗い流してくれるようです。……許されるのならば、ずっとお側に居りたいと、そう願える程に」





