夜明け-10
メリー・カオン・ハングダムは、まだ日も昇っておらず全体的に薄暗い首都・シュメルの、高層建築物の屋上に身体をうつ伏せさせながら、空を見据える。
首都と首都外を分ける壁や、その奥にある山に隠れているが、僅かに太陽の光が差し込んでいる。これから一時間もしない内に、夜明けの日差しが首都を照らす事だろう事は分かった。
SV-98・ボルトアクション式狙撃銃のスコープを覗き、低所得者層地区方面から歩いてくる、二人の人影を認識した。
一人は、フェストラの有する平伏能力が解除されたのか、幻想の魔法少女・ミラージュ-ブーステッド・フォームへと変身を果たしているクシャナだ。その表情は鬼気迫るものがあり、彼女がどれだけの決意を胸に、これからの戦いへと出向こうとしているかが読み取れるだろう。
そして、そんな彼女と隣接しながら剣を抜き放ち、既に臨戦態勢を整えているのが、アスハ・ラインヘンバーだ。
二人との距離はおおよそ一キロ程度、まだこちらを認識できていない事は明白であるし、スコープを覗くメリーにも、二人の姿は小さく、狙撃能力にもそこまで長けていないメリーには狙い撃てる距離ではないが……しかし、しばし待てば、狙撃は可能となるだろう。
メリーは携帯電話型通信機を取り出しながら、自分の耳にBluetoothインカムを付けて、携帯とペアリングを行う。その上でアスハの有する端末へと電話をかけると、彼女も既にインカムとペアリングを済ませていたのか、耳のインカムに手を当て、通話に応じた。
「やぁ、アスハ」
『メリー様。ご迷惑をおかけしております』
「気にしないで良い、と言いたい所だが、そうもいかないのが現状だね」
メリーからの通話があった事を察したミラージュ。しかし彼女はそちらに気を向けている余裕もないと言わんばかりに周囲を警戒しているようだが、アスハもミラージュも足を止めず、そのまま突き進んでいく。
それで良い。現状の距離が開いている状態より、ある程度距離が縮まった方が、メリーとしても狙撃しやすいからだ。
ボルトを持ち上げ、装填。何時でも狙い撃てるようにトリガーに指をかけているが、まだ、まだ時間はある。
「最後通牒だ、アスハ。クシャナ様にも伝えて欲しい。今すぐ抵抗を止めるんだ。フェストラ様も今なら、まだお慈悲を下さる筈だ」
メリーはこの時、何を思ってこれを問うたのか、それを自分自身理解していなかったと言っても良い。
『それは、出来ません。我々はフェストラ様の理想を阻む為に、ここにいるのですから』
アスハにこう返される事を彼自身、内心で理解していて、驚きもしないにも関わらず、思わず下唇を噛みながら声を荒げる。
「確かにフェストラ様の理想は、全ての存在に『正しさ』を提供するものじゃない。だが、それでも全ての人間にとって『間違いではない道』を提供するものではある筈だ。それを、君もクシャナ様も理解できるだろう?」
『……ええ、理解しています。それは、あの幼いファナでさえも理解してくれた事です』
「ならば抵抗する理由は無いハズだ! ――アスハ、お願いだ。私の言葉を、聞いてくれ」
トリガーを遊ばせる指が、僅かに震えている事に気付いたメリーは、一旦トリガーから指を離す。まだ、距離はある。まだ言葉を交わしていても良い筈だ。
「私は、君以外の全てを失った。ドナリアも、ルトもそうだ。もう私には、君しかいないんだ。重いかもしれない。鬱陶しい男と思われるかもしれないが、私にとって、今の君が全てなんだよ」
一聴するだけでは、愛の告白にも聞こえるかもしれない言葉。しかしそこに、親愛や友愛はあっても、劣情は無い。
「私は元々、自分の事なんて眼中に無かった。ただ、強い国としてこの国を生まれ変わらせたい――国土防衛という視点だけでなく、私のような苦しみを抱く人間が、もう二度と生まれない、優しくて強い国へと、変革させたかっただけだ」
幼い頃から、顔面が奇形した状態で生まれた事で、周囲から疎まれ、誰もがメリーと目を合わせようとせず、実の父親さえ「奇形遺伝子」として彼を蔑んだ。
それを辛いと感じた事はあれど、復讐をしたいと願った事はない。
ならば何を心に抱いたか――それは「自分のような辛い想いをする人間が、二度と生まれて欲しくない」という願いだった。
「そんな国を作り上げたいと願えたのは、仲間や家族がいたからだ。……けれどもう、私には君しかいない。ドナリアも失い、ルトも失い、ルトの娘であると分かったアマンナ君も、我々を拒絶した。だから私は、君にだけは理解してほしいと願っている。君には、君には……っ」
彼の嘆きが、どれだけアスハの心に刺さってくれているだろうか。それは分からない。けれど、自分の想いは十分言葉に乗せた。
アスハは物分かりの良い女性だ。だからこそ、それだけの言葉があれば、十分理解をしてくれるはずだと、そう信じて唱えた言葉は事実……彼女に届いていたと言っても良いだろう。
『……ありがとうございます。メリー様』
優しくて、憂いのある声であったと、メリーには感じた。Bluetoothインカムの集音性と音質の悪さが憚られる。彼女の美しい声を、もう少し鮮明に聞きたいのは山々だったが……しかし、彼女の想いは聞き取れる。
『ですが私は……クシャナとファナの二人が、傀儡となってしまう未来を、認める事は出来ません』
「それが君にとっての幸せになる! そして、クシャナ様やファナ様にとっても、間違っていない結論である事に代わりは無い! ――誰にとっても幸せな結末等、あり得ない。けれど、可能な限り最良に近付ける事は出来て、フェストラ様の計画は、その最良に近い形なんだと、何故理解してくれないんだ……っ」
『理解はしています。その未来で、クシャナもファナも、ある程度の結果は得られるでしょう。それは、二人も理解していました』
「ならば何故」
『それでも……二人はそんな未来を認めたくないと言ったのです』
メリーが、アスハという一人の幸せを願い、彼女の為に動く事を決めたように。
アスハもまた、クシャナとファナという二人の少女が、この先に待つ未来を認めないとする願いの為に、戦うと決めたのだ。
『我々は大人です。そして私は、かつて子供の時を大人の傀儡となって過ごしました。それによって何も得られなかった、私は何になる事も出来ず、ただ大人達によって操られる事しか出来なかった。そんな辛さを、あの子達に背負わせたくない。……メリー様と、想いは同じなのです』
その答えが返される事は、少しでもアスハを知れば、分かっていた事だろう。
「……私は、君がそうして私を否定するのだということを、分かっていた筈なんだ」
アスハが幼い頃から大人達に利用され、傀儡となった過去に対して思う所があった事を。
その過去を持つからこそ、二度と他者の思い通りにはならないと、自分の想いや願いを以て行動すると固く誓っていた事を思えば、そう結論付けないと考える方が不自然だ。
けれど、それでも……メリーはアスハがどんな時でも、自分の想いを理解し、認め、受け止めてくれるものだと、思っていた。
「分かっていたハズなのに……私は君の心を、見て見ぬフリをしたんだ。君に、拒絶される事が……怖かったから」
『……私は、メリー様を否定しません。ただ、道を違えるだけです』
「そう、そうだ。私達は……互いに否定なんてしない。でも、それでも……君と道を違える事だって、私にとっては辛いんだ」
流れる涙が地面に落ちて、けれどメリーはスコープを覗く視線を閉じはしない。
距離は充分に近付いた。狙い撃つには絶好の位置に、二人が来た。
「アスハ……私は、君を殺す。君を殺して……君が最も幸せになれる世界を、作ってみせる」
『ええ。……メリー様にはもう、その道しか残されていませんからね』
SV-98に再度指をかけ、狙いを定めていたミラージュの顔面に向けて、トリガーを引いた。
銃声と共に射出される弾丸は、彼が風速や風向き、そして重力や運動エネルギー等を加味した上で計算した軌道通りに空を駆けていき、一秒と時間経過する事無く、ミラージュの美しい顔を吹き飛ばす筈だった。
しかし、トリガーを引いたとほぼ同タイミングでアスハがミラージュの前に飛び出し、彼女目掛けて飛んだ弾丸に向けて剣を縦に一閃。
それにより銃弾は真っ二つとなり、また刃によって軌道が変わりそれぞれがアスハやミラージュに着弾する事なく逸れ、周囲に小さく火花を散らした。
『っ、アスハさん!』
『クシャナ、お前は走れ! ――メリー様は私が喰うッ!!』
狙撃の射線から、メリーの位置を大まかに見抜いたアスハが、そうミラージュに声をかけ、地面を強く蹴りつけてこちらへと迫ってくる様子が見て取れた。
それもメリーは計算している。それまでうつ伏せ状態で見つからぬようにしていたが、ある程度の位置を察せられたのならば、姿を隠す意味はない。
纏っていたミリタリージャケットに供えられたベレッタM9を抜き、装填を確認しながら傍に置いていたAK-47のグリップを握り、かつ肩にショルダーベルトを通した状態で、自らのいる屋上より飛び降りた。
落ちていく彼の身体は、身を隠すに最適な裏路地に落ちる。着地した上で周囲の気配を察し、アスハから距離を開くように裏路地を駆けながら、彼は耳に続いて入る言葉を聞く。
『メリー様。戦いの前に、最後に一つだけ、言い残した事があります』
「何だ」
『私は、メリー様とドナリアの事を……愛していました。この想いに多分、嘘はありません』





