夜明け-04
言葉の通りに、フェストラの拳が幾度も幾度も、クシャナの顔面を殴打する。
その都度、彼女の綺麗な顔は変形し、血を吐き出し、五発目の拳が頬を捉えた時には、歯が五、六本程飛んでいく光景までが映った。
――それでも、クシャナは自分の胸倉を掴むフェストラの左手首を、精いっぱい握り絞め、何とかその拘束から逃れる事だけに集中する。
「こひゅぅ……こひゅぅ……ッ」
「……強情だな」
「そら、そうらろ……っ」
殴られ過ぎて、言葉さえろくに放つ事さえ出来ないクシャナ。しかし屈服する様子のない彼女に、フェストラは冷や汗を一筋、流した。
だからこそ、フェストラはクシャナを殴る為の右腕を左手と同様に胸倉へとやり、彼女の拘束を強めた上で、問いかける。
「お前はどうしてそこまで強情になる? ……ああ、確かにオレの望んだ世界では、お前に百の幸せを与えられないかもしれない。けれど、それでも五十の幸せを与える事は出来ると思っている」
クシャナは、アシッドという力が人の世に関わるべきではない、としていた。
その意見に、フェストラも同感だ。しかしだからこそ、フェストラはクシャナやファナという少女だけを活用し、残る全てのアシッドを人の世から遠ざけようとした。
「象徴としての帝国王という存在になったとしても、お前は民に寄り添える優しい王となればいい。そうすれば、何時だって街に遊びに行ける。ファナ・アルスタッドと共にな。その位の自由は与えるさ。それが、お前の望みならな」
ヴァルキュリアも、フェストラも、アスハも、メリーも、残るアシッドの力を有する者は、全て手中に収め、人の世に関わらせない。
ヴァルキュリアとアスハには、帝国王を守る為の剣として君臨させ。
フェストラとメリーは、国の全てを裏から操る為に暗躍する。
むしろ人の世に関わる事が出来るという点においては、クシャナとファナの方が自由でいられる可能性はあるかもしれない。
「クシャナ、頼む。オレは、お前をただ傷つけたいわけじゃない。お前が望むモノを与えたい。お前が望んでいる事をしてやりたい。この想いに、嘘は無い」
フェストラが目指した未来は、そんな世界だ。
この国を再建させ、混乱した国内情勢を早急に治める為には、アシッドの力が絶対に必要である。
けれど、ただアシッドの力を振りかざせばいいというわけじゃない。
クシャナとファナ、二人の優しき王が国の中心となり、彼女達を民が愛している裏で、フェストラ達が平和を創る。
「お前達を幸せにし、ラウラによって失墜したこの国を再建させる。その二つを共に行える唯一の手段であり……今この機を逃してしまえば、二度とチャンスは訪れないんだ」
もし、彼女達がその未来を否定すれば……この国はどうなっていくか、誰にも分からない。ただ一つ言える事は、フェストラの望む世界よりも、良い形になる事は確実にない、という事だけ。
どうにか再建させる事は可能かもしれないが、既に地の底を抜けた評価を民から下されたグロリア帝国という国が、新たな王を制定して帝国主義を貫いた所で猛反発が起きる。
さらに言えば、ただ民主主義国家へと舵を取っただけでも同様であり、長期的に見れば勿論好ましいのは確かだが、短期的に再建を図りにくくなるだけだ。
「オレは本当に、お前と肩を並べて共に在りたいと願った。お前もそうであって欲しいと願った。その想いを、何故理解してくれない……!?」
その叫びは、まるで慟哭のような叫びだった。
――オレをこんな風にしたのは、お前の言葉だ、と。
そんな想いを込められた叫びに、思わずクシャナも手に込めていた力を緩め……ただ、呼吸を求めるように息を吸い込む。
「……違うん、だ」
言葉を連ねるフェストラの想いに、吸い込んだ息を吐き出し、再生を始めて先ほどよりも顔の形が戻りつつあるクシャナが、答えるかのように呟いた。
「違うんだ、フェストラ……私は、正直……諦めるべき、なのかなとか……思ったんだ」
フェストラに殴られ続けた顔が、少しずつ再生されていく。しかし、それでも喋り難そうに話す彼女に、フェストラは耳を傾けている。
「分かってる……お前が、正しさを求めて……私の、事を……利用しようとしただけじゃ、ないって……私の言葉が、私の願いが……お前を変えてしまったんだって、分かってる……っ」
クシャナはフェストラと肩を並べて戦いたいと願った。
フェストラは、そんな彼女の想いを受け止めて、クシャナと共に肩を並べる男になろうとした。
共に肩を並べてくれるクシャナを、可能な限り幸せにしたいと、願ってくれたのだ。
そして――それと共に、自分がこれから壊す世界を、壊す前よりも良い世界にしようと。
「だから、私は……お前に対して、責任を取らなきゃ、ダメなのかなって、諦めなきゃ、ダメなのかなって、思った……お前を変えてしまった、私が……お前を否定するのは……酷く、惨い事だって、分かってるから……!」
でも――と、クシャナの言葉は、そう続いた。
「でも……違う。私は、お前を止めなきゃいけないんだ……大人らしく、諦めて……お前と肩を並べるだけじゃなくて……お前が、間違ってるって、私自身が思ったなら……ちゃんとお前を、止めてやる。それが、共に肩を並べる私の、するべき事だ……っ!」
「クシャナ……ッ!」
フェストラの両手がもたらす力が、僅かに緩んだ。クシャナは背に付けていた壁を蹴り、フェストラを押し倒した上で、彼の手を振りほどいて胸倉を掴み、彼の眼前で、想いを叫ぶ。
「お前を変えてしまった言葉だとしても、何度だって言ってやるッ!! 私はお前と、肩を並べて戦いたいと願った! 不器用だけど優しい、誰よりも優しいお前と、私は共に戦いたいって! この言葉だけは、どんな事があっても絶対に曲げない……っ!」
「っ、もう戦う必要など無いと言っている! これから先の未来で、何と戦うと言うんだ!?」
「私が変えてしまったお前とだ――その責任を果たす為に、私は戦う」
今まで、どんな言葉を以てクシャナがフェストラを否定した時よりも、フェストラは戸惑っていたと表現してもいい。
目を見開き、何を言おうとしても口が、喉が、思ったように動かない。
クシャナの中にある、絶対的な信念のようなモノが見えたからだろう。
――クシャナは、フェストラと戦い、彼を止める事で、責任を果たすと言った。
それはつまり、戦わない事には決着など無いと、どんな言葉よりも重い否定が含まれている。
そんな心からの強い否定を放てる者が、理屈っぽい言葉や暴力に惑わされ、屈服する事なんてあり得ない。
けれど……何故だろうか。
不思議とフェストラの中で、彼女がそう言うとは理解できていたのだ。
そして、彼女が簡単に屈服出来る筈がないと、そうなってしまう事が、当たり前なのだと、そう自分の中で、予め整理がついていたかのような。
「ク……クハハハッ、ハハハッ」
「……何がおかしい」
「ハハッ。ああ、おかしいな。何でオレは……こんな清々しい気持ちでいるんだろうなぁ?」
ひとしきり笑った後……フェストラは息を吐いて気持ちをリセットしたかのように、目を細めながら口を大きく開き、目の前に迫るクシャナの首筋に、歯を思い切り立て、首の肉や筋、血管をブチブチと食い千切った。
突然走る激痛に、クシャナが思わず身悶える。その隙を見計らい、フェストラが彼女の腹部を蹴り付け、彼女の身体を地面に転がせた。
「だが、おかげでスッキリした。お前を玉座に掛けさせる事が出来ないのならば致し方ない。お前の代わりに、ファナ・アルスタッドを玉座に腰掛けさせるさ」
「っ、私は、どうするつもりだ……?」
「オレを止めるという事は、オレを喰うつもりだろう? それをさせぬ為に――オレもお前を喰うだけだ」
互いに、心は決まった。
クシャナはフェストラを喰らう。
フェストラはクシャナを喰らう。
獣同士の短絡的とも言える目標が定まった所で……しかしクシャナは立ち上がって傷口に手を当てながら、冷や汗を流す。
(やっべ、フェストラ怒らしちゃったなァ……どうしようかな。フェストラから逃げるには、手が足りないよね)
どれだけアシッド・ギアによるドーピングを受けようとも、変身が出来ないクシャナに出来る手は限られる。
このままではフェストラに勝てる手段はない。つまり現時点では逃げるが勝ちなのだが、逃げる為の体力もクシャナには残り少なく、またファナが捕らわれている筈なのに、彼女を置いて逃げる事も出来る筈が無い。
逃げつつ、ファナを回収し、一時退散。そしてどうにかして体力の回復を行いつつ、全力を以てフェストラに再び挑む事が必要なのに、それを行える手が思いつかない――
そんな風に思考と混乱を束ねつつ、如何にして逃げ出そうかの算段を立てようとしていたクシャナの耳に……一発の銃弾が貫通した。
「い――ッ!?」
突然、耳たぶが破裂したかのような痛みに悶えるクシャナだったが、それだけじゃない。クシャナと顔を合わせて向き合っていたフェストラの顔面に、クシャナの耳を貫通した一発の銃弾が撃ち込まれたのだ。
フェストラは凶弾によって後ろのめりに倒れたが、しかし僅かに霞む意識を何とか保ちつつ、声を荒げさせる。
「――アスハ、っ!」
フェストラの言葉通り、銃弾を放ちながらクシャナとフェストラの下へと近付く女性は、アスハ・ラインヘンバー。
彼女はグロック26の小さな銃を構えながら、クシャナに向けて容赦なく発砲する。
否、正確に言えばクシャナを貫通した先に居る、フェストラへと向けて、だ。
「クシャナ! 私の目を見ろ!」
「あ、っ……アスハさん……、っ!?」
銃弾を受け、それが何発も貫通し、痛みに悶えながらも、クシャナはアスハの真意を問う。しかし、その問いに答えている暇など無いと、アスハは声を荒げた。
「良いから、私を信じろ!」
銃弾から逸れるように身を動かすクシャナ。そうすると、銃弾は全て一直線にフェストラへと延びて、彼の身体を撃ち抜いていく。
最初は頭を狙った正確な射撃であったが、今は彼の腕や足に対する射撃を行う事で、その動きを抑制している。
そんな彼女が腰に手を回し、剣をどこからか顕現したタイミングで――クシャナと目を合わせ、彼女に【命令】する。
「――どんな妨害があっても、ファナの下へと全速力を以て向え。それで、お前への命令は解除する」





