夜明け-03
アスハがファナ・アルスタッドの軟禁されている部屋の前に立ち、扉をノックする。
小さいノックの音が恐らく扉の向こう側で立っていた帝国軍人に聞こえたのか、ドアがゆっくりと開かれて、男が一人顔を出す。
「ファナ様の様子はどうだ?」
扉が開かれると共にそう言葉をかけると、帝国軍人の一人は「落ち着いていらっしゃいます」とだけ述べながら、アスハの身体検査を行う。
武器や危険物を持っていない事を確認した上で、アスハを部屋の中に招き入れると、彼女は目を閉じてベッドの上で横たわるファナに近付いて、彼女の頬を撫でる。
「お前達はいい。退室しろ」
「それは、致しかねます」
二人に退室を命じるも、しかし伝えづらいと言わんばかりの声色で、一人がアスハの命を拒否した。
「フェストラ様の命令でありまして、指示があるまで、例えアスハ様やメリー様であろうとも、ファナ様と二人きりにしてはならない、と」
「……そうか、分かった」
なんの意図を以てフェストラがそんな命令を下しているのか――それは今のアスハにとっては明白だ。
そしてそんな、意図の分からぬ職務にでも忠実に守ろうとする気概は兵士にとって必要な事だ。だからこそアスハはそれ以上何を言う事も無く、目を開く。
補助能力によって塞がれていた視界が得られ、可愛らしいファナの顔が見えるようになる。
盲目だった彼女に、能力での付与とはいえ視力が宿ってから、これまで多くの人間を見てきたわけではない。
が、愛らしさで言うとファナ以上の少女は見た事がない。整った顔立ちというのもそうなのだが、女であるアスハの庇護欲を掻き立てる小ささ、そして何よりも普段の彼女を知るからこそ、その愛らしさが何倍にも引き立てられているように思う。
ファナの頬を撫でていた手を、彼女の唇へと持っていく。柔らかな唇に触れた瞬間、ファナが僅かに身体を震わせた事に気付く。
――やはり、今のファナは寝たフリをしているだけだ。
アスハは帝国軍人二人には聞こえぬよう、小さく言葉を溢す。
「……聞こえるか、ファナ。聞こえれば、私の手に体重を預けろ」
その言葉に、少しだけ迷うような表情を浮かべたファナだったが、しかし彼女の表情はアスハの背によって隠れている為、帝国軍人達には、彼女の逡巡が見える筈も無い。
そうした二人のやり取りに気付かず、ただ眠っている少女の寝顔を見ているだけと思われているアスハの手に、ファナは頭を動かし、頬を強くアスハの手に押し付けた。
「蘇生魔術を、一回だけでも使えるか知りたい。もし、お前が使えるというのなら、寝返りを打て」
そこには、僅かな葛藤があったようにも思えた。
三秒ほどの沈黙、ファナが思考を巡らせると共に、自らの体調や状況を鑑みて、悩むような顔をしたと思った次の瞬間――ファナは、寝返りを打ってアスハの手から自分の頭を退かした。
「……了解した。しばらく、毛布を被って耳を塞ぎ、ここで待っていろ。すぐに、迎えが来る」
アスハが何をしようとしているのか、ファナには詳細までは理解できない。
しかし、彼女を信用に値すると認識するかの如く、ファナは毛布を深々と自分の身体全体に被せて、少し暑さを感じながらも、両手で耳を塞ぎ、押し黙った。
「いい子だ」
突然、ファナがアスハの接触を拒んだかのように見えた帝国軍人二人は、彼女の反応に訝しみながらアスハへと近付いた。
だがその瞬間、アスハは自身の腰に手を伸ばした。
突如、彼女の手に収まる一本の剣。それが見えた時、アスハへと近付こうとしていた兵士二人がギョッと意識をかき乱される。
自分たちも剣を抜くべきという事態に際しても、しかし突然の事に身体が追いつく筈も無い。
二者が手を、腰に備えるバスタードソードに添えようと意識が出来る時点では、既にアスハの身体が動いている。
内一人の顎に向けて、素早く剣の柄を叩き付けるアスハ。彼女の素早い動きに合わせ、ハイ・アシッドの力強さも兼ね備えた一撃は男の顎を軽く小突いただけでも脳をグワンと揺らし、彼の意識を途絶えさせる。
一瞬の事過ぎて、何が起こったかを上手く理解できないままバスタードソードの柄に触れ、抜き放ったもう一人が、アスハに警告の言葉を唱えようと口を開きかけた時、その時にも既にアスハは行動を終えていた。
彼の足を自分の足で掛け、前のめりに倒れさせるアスハ。しかしそれだけでなく、地面に向けて倒れ込もうとする彼からバスタードソードをひったくり、安全な状況を作り上げた上で、ひったくったバスタードソードの柄で、彼の首筋を軽く叩く。
それにより、意識を飛ばされた彼の身体がバタリと倒れた事を確認し、アスハは彼らの懐から緊急拘束用の手錠を取り出し、それぞれの身体を柱に預けさせた後、両腕を柱の後ろに回した所で手錠をはめさせる。これで、目を醒ましても手錠外しが出来ない限りは動けない筈だ。
「すまない。しばらく、そうしていてくれ」
聞こえているわけはないが、一言謝罪の言葉だけを述べたアスハは、ファナの部屋を出て真っ先に、フェストラが以前から現在に至るまで、執務室として用いている帝国城内のフォルディアス家邸宅へと向い、彼の部屋にかかっている鍵を破壊しながら侵入する。
アシッド・ギアが保管されていれば、という望みを込めて行われる空き巣行為だが、しかし分かっていた事だが、どれだけ探してもアシッド・ギアはない。
そもそもフェストラはアシッド・ギアの封印処理を行うと言っていた。彼の言う封印処理がどういったものかは分からないが、魔術的な封印となれば他者が一切立入の行えない閉鎖的空間に、物質を封じ込めておく事を意味する。
ならフェストラに渡したアシッド・ギアがあるのは、彼の展開できる空間魔術内と思われる。あそこならば、他者の立入は原則あり得ず、彼のみが空間を展開できる。
「つまり残ったアシッド・ギアは――メリー様に与えられた五本のみ、という事か」
フェストラは恐らく、アスハが彼の計画に反抗する旨を理解していた筈だ。そうでなければ、彼と別れ際にした会話の意味が成立しない。
これまではアスハが心の赴くままに行動する事を、彼も認めてくれていたし、これからもアスハの心を否定するつもりはないのだろう。
しかし、既にアスハの真意を理解し、彼女が反抗を決意した瞬間から、彼にとってアスハは味方ではなく、敵になっている事だろう。
つまり、フェストラが封印したアシッド・ギアをアスハに寄越すような事はあり得ない。
そもそもフェストラがアスハの敵対を想定しながら、それを回避する為に動かなかった理由は知りたいが、今はそれを気にしている余裕もない。
アスハは滞在時間僅かに二分でフェストラの部屋を後にし、クシャナが眠っている筈の帝国城内最深部へと向かっていくが……しかしそこで、激しい戦闘の音が聞こえ、思わず柱の陰に隠れながら、目を閉じて耳を研ぎ澄ます。
元々盲目であったアスハの耳から入る情報は、常人の数倍は多い。目を閉じて意識を音に集中させるだけでも状況の把握は可能であり……そして理解したからこそ、彼女は陰に隠れる事は止め、クシャナの下へと駆けていく。
アスハにとっても想定外、と言ってもいい。
クシャナは既に、行動している。
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クシャナとフェストラ、二者による争いが行われた場合、どちらが総合的に考えて有利になるか。それは間違いなく、フェストラという男に軍配が上がる事に間違いはない。
そもそもフェストラの力量は、バケモノ揃いと言ってもいいシックス・ブラッドや帝国の夜明けの面々に比べれば低い方、という程度の力量であり、彼自身は聖ファスト学院の中でも指折りの実力者でもある。加えて遺伝子の後押しとも表現出来得る、最上位に近い第六世代魔術回路の持ち主であるが故に、大魔術に近しいレベルの魔術も短縮発動が可能な魔術師だ。
対してクシャナは、帝国の夜明けや多くのアシッドとの戦いを経験してきたとは言え、総合的な実力はシックス・ブラッドや帝国の夜明けの中でもワーストに食い込む程度の実力しか持ち得ない。さらに言えば彼女の実力を後押ししているのは間違いなく、彼女に与えられたマジカリング・デバイスの効果であり、変身して幻想の魔法少女・ミラージュへと成る事で、ようやく真価を発揮できるというわけだ。
つまり――クシャナとフェストラの二者による戦いが、対等なモノになる筈はない。
クシャナが乱雑に振り込む拳の連撃。しかし、格闘技のイロハも知らない彼女の放つ拳は力任せでこそあるが、だからこそ軌道を読む事など容易い。
フェストラは彼女の拳が自分へと叩き込まれるよりも前に手首を叩く事で受け流し、全ての拳を避け終え、彼女の身体が僅かに前のめりに揺らいだ所を狙うように、顔面を右足で蹴り付けた。
蹴り飛ばされ、三回ほど転がりながら何とか失速したクシャナ。鼻から溢れる血に不快感を覚えながらもすぐに立ち上がろうと顔を上げた瞬間、フェストラが既に目の前で足を振り上げ、クシャナの後頭部を踏みつけた。
「どうした? オレもまだ本気を出していないぞ」
「ぎ、ィ――ッ」
地面に顔を預けながら、何とか抵抗できないかと踏ん張る。
勢いよく顔を上げれば、もしかすると拘束から逃れる事が出来るかもと、淡い期待を込めて両手と首、そして背筋に力を込めて勢いよく顔を上げようとした瞬間、フェストラの足も同時に離され、ギョッとしたタイミングを見計らったかのように、フェストラの足がクシャナの胸を殴打する。
「ごほっ、おほっ」
「催眠魔術、というのを知っているか? 平たく言えば、他者の意識や行動を操る事の出来る魔術だが、アスハの支配能力とは異なり、術者の力量に応じて催眠の適応可能範囲が異なってくる」
クシャナの首を掴み、勢いよく持ち上げた後、彼女の頭を壁に強く叩き付ける。
彼女の頭がぶつかった個所を中心に、小さなクレーターが出来上がる程の威力。クシャナも思わず意識がトビかかったが、しかし激しい痛みによって意識は何とか保たれた。
「オレはそほど、催眠魔術が得意でなくてな。相手が屈服していればいる程、操り易くなるんだが」
「……誰、が……屈服なんて、するもんか……ッ!」
「ああ、そうかよ。なら趣味じゃないが……もっと痛めつける必要がある、という事だな」





