夜明け-01
アスハ・ラインヘンバーが拘束し、連れてきたファナ・アルスタッドを、帝国城の一室に閉じ込めてから数時間ほどの時が流れた。
既に日も落ち、街灯の光が無ければ何も見えない中、非常用電源機能が残されている帝国城と聖ファスト学院の窓から出ていく光だけが、首都・シュメルを照らしている。
ファナ・アルスタッドは不気味な程に落ち着いた様子で、背中を押すアスハに導かれて入った一室に用意されたベッドに身体を横たわらせ、目を閉じた。
部屋の中は圧迫感を感じぬように広々と設計されているが、窓は風通しを良くする小窓以外は魔術的な施錠で開ける事は出来ず、また扉の前に生き残りである帝国軍人を二人配備する事で、彼女が逃げ出す事は出来ないようにしている。
「……アスハ、どういう事だい?」
メリー・カオン・ハングダムが突然、アスハの部屋へとやってきた上で、彼女へとそう問うてきた。
アスハは今、彼女の休憩所として利用している部屋で椅子に腰かけていた。幾ら死なない存在・アシッドへと覚醒しているとしても、身体の疲れは残る。そしてそれを回復させる為には安静にしている事が一番であるのは、メリーも理解している筈だ。
しかし、メリーはそれでも聞かねばならないと言わんばかりに、普段の落ち着いた声色を僅かだが荒げさせ、アスハへと問う。
「ヴァルキュリア君の事だ。何故、彼女の身柄を確保・拘束しなかった?」
「……彼女は、今回の件に関わりの無い少女です」
「いいや、彼女は損得勘定が、理知的な思考が出来ない少女だ。フェストラ様の計画に一度逆らうと彼女が決めた以上、今後もフェストラ様の首を狙う。そして、彼女が対アシッド、つまり我々に一番適した存在であるとも、理解している筈だろう?」
メリーの言葉を聞いても、彼女は目を合わせようとさえしない。まるでこれまで酷使してきた目を休ませるように、目を閉じているだけだ。
「……シガレット・ミュ・タースについてもそうだ。あの死人は危険すぎる。彼女を今一度あの世へ叩き返しておかなければ、どんな脅威として立ち塞がるかも分からないんだぞ? 何故、何故君は」
アスハの肩を掴み、彼女の真意を聞き出そうとするメリーだったが、しかしその為に伸ばした手は、アスハの無意識的な反応なのか、それとも意識的な反応なのかは分からないが、叩かれ、その手がアスハの肩に触れる事は無かった。
「失礼しました。つい」
「……いや、私の方こそ、すまない。けれど、問いには答えて貰う」
フェストラの計画は、ここからが正念場だ。
既にヴァルキュリアとアスハが動いた事により、首都・シュメルを徘徊するアシッドの数は残り数体に満たない。この状態ならば発見次第すぐに、メリーかアスハによる対処も可能だろう。
ならば聖ファスト学院へ避難した民や、首都外への避難を行った民の解放、及び国内機能の復旧は速やかに行われなければならない。
その為にフェストラは明日の正午にでも、新たな帝国王であるクシャナの選出を公表し、同時に帝国主義からの脱却を図っている旨を示し、民の混乱と暴動を治める予定だ。
だが、ヴァルキュリアやシガレットという不確定要素がこちらの手に及ばない範囲にまだあり、何時彼女達がフェストラの首を狙うか分からない状況では、計画を根本から覆されかねないだろう。
その意味をアスハが理解していない筈はない。
何故、ヴァルキュリアと捕え、シガレットを殺さないのか、その意味を言うのだと圧をかけるメリーだったが……そこで、部屋の扉をノックする音が響いた。
『アスハ、メリー。ここに居るか?』
フェストラの声が聞こえ、メリーは思わず「ハッ」と声を挙げる。まだアスハの真意を聞けてはいないが、しかし彼の呼びかけに応じないわけにはいかないという心理が働いたのだろう。
扉が開かれ、フェストラが欠伸をしながら入室。扉を閉めた後、椅子の一つへ乱雑にだが腰掛けた。
「メリー、あまりアスハを責めるな。自分の思うように行動しろと命じたのは、オレだ」
「……どういう事でしょう?」
「どういうもこういうも無い。アスハは随分、オレ達のやろうとしている事に消極的だったからな。……お前という男が気付いていないとは、思ってなかったが?」
その言葉には若干の嘘がある。確かにフェストラが、アスハの心に迷いがあった事を、消極的だった事を察していた。しかし、それにメリーが気付いているなんて欠片も思っていない。
今のメリーに、他者の想いや感情を理解できる程に、余裕があると思えない。
それだけ、今の彼はフェストラという男しか見ていないのだから。
「そしてアスハの考えも一理ある。リスタバリオスを捕らえたとしても、奴の戦闘能力はオレ達三人を遥かに超える。下手に捕えて帝国城内部で大暴れされる危険性を鑑みれば、手を出さずにいる方が賢明であるかもしれん」
「ですがまだ彼女の反乱は十分にあり得ます」
「どうだろうな。リスタバリオスは元々、対エンドラスに加えて大勢のアシッド残党狩りを行っていた。加えてアスハとの戦いがあったんだ。体力やマナの回復を果たそうとしている間に、オレ達の計画が成就しているだろうし、もし回復を果たさずに来ても、十分オレ達で対応できるさ」
フェストラ達の計画は、始まる前に止める事が必要だ。何せ多くの民にとって、フェストラの望む未来……つまり表向きの民主化は民衆にとっても都合がいい事を、彼女も理解しているだろう。
そして一度民主化が行われた後に、全てが瓦解すれば――その時こそ、この国は本当に終わる。それを理解できていないヴァルキュリアでも無いだろう。
「……しかし、シガレット・ミュ・タースについては」
「既にアマンナやファナ様の身柄をこちらが拘束している時点で、シガレットの婆に出来る事は終わった。手を出してくるとは思えん」
この戦いは死者が関わるべき戦いじゃなく、生きる者がこれから生きる世界をどう変えていくか、変わらざるべきなのかを問う、在り方を変える聖戦と言ってもいい。
そこにシガレットが関わるべきではないと、メリーやアスハだけでなく、あのファナでさえそう言ったのだ。彼女がこれ以上、首を突っ込んでくるとは思えない。
「それに……オレとしてもリスタバリオスをこれ以上、巻き込みたいとは思わない。エンドラスを失った悲しみを嘆く時間も必要だろう。アスハが奴を黙らせてくれて、本当に助かった。礼を言う」
「……いいえ。私は、出来る事をしただけです。それに……勝ったとは思っていません」
あくまでアスハは、仲間を相手に本気が出せないと燻るヴァルキュリアの不意を突いただけだ。その勝負と言うべきではない戦いを「勝った」と誇る事が出来ないのも、彼女が誇り高い戦士だからだろう。
「だが……メリーに同意するわけではないが、確かに一つだけ、気になった事もある」
これまでアスハを庇い続けていたフェストラだが、その言葉と共に、今度はアスハに対する尋問と言わんばかりに、声のトーンを落とした。
「お前が回収していた筈のアシッド・ギアは計三十七本と報告を受けている。しかし、実際オレの下へ届けられたのは三十二本だ。……五本、足りないな?」
何故、報告と違う数を渡したのか、その意図を問うフェストラの視線は僅かに鋭い。しかしアスハは意図的に自身の【補助】としての能力を遮断しており、視界情報を断絶している。
つまり、フェストラの視線に怯える必要はなく、また彼の視線から感じる殺気も、ある程度緩和が出来る。
だからこそ、彼女はポケットから五本のアシッド・ギアを取り出し、それを膝の上に置いた。
「相手がヴァルキュリアであるというのならば、ドーピングの為に保有しておいた方が好ましいと判断したが故です。お戻し致します」
「……なるほど、その判断にも一理ある。ならば不問としよう」
フェストラはそのアシッド・ギアを回収する様にと、メリーに対して顎で指示する。メリーも僅かに不服そうな表情で、しかしアスハの膝に乗せられたアシッド・ギアを、一本ずつ回収していく。
「それと、お前に預けていたクシャナ様のマジカリング・デバイスも、メリーに渡せ」
「……何故、でしょうか」
「もう必要が無いからな。これらは今後の未来にとって強すぎる力だ。アシッド・ギアと同様に、このマジカリング・デバイスは後日、封印処理を行う。異論は無いな?」
「……かしこまりました」
目の前にメリーがいる事は分かっている。だからこそ、アスハは胸ポケットに備えていたクシャナのマジカリング・デバイスを取り出す。
それはブーステッド・ホルダーを装着した状態であり、それに触れた瞬間禍々しい気配を感じ取ったメリーは冷や汗を僅かに流したが、しかし唾を飲みながら、受け取った。
「明日の正午、計画を実行に移す。聖ファスト学院の避難命令解除と共に、帝国政府の公式発表を行う予定だ。それまで、クシャナ様とファナ様を何としても守り抜く必要がある。……とは言え、リスタバリオスが無茶をしないかだけを警戒すればいい。概ね問題は無かろう」
まず、フェストラの視線はメリーに向いた。
「メリー、お前はクシャナ様の護衛を」
「アスハではなく、私でよろしいので?」
「構わん。マジカリング・デバイスも無いクシャナ様に、お前へ抵抗する力は無いだろう。諦めの良い彼女の事だ。計画に賛同するかはともかく、逆らう気は無いだろう」
そして、と口にしながら、既に視界情報の無いアスハへ、フェストラが微笑みながら告げる。
「アスハはファナ様の護衛だ。彼女は随分、お前になついている。彼女の心を宥めてやってくれ」
「……かしこまりました」
音もなく立ち上がったアスハは、二者の間を通り抜けるようにして扉のドアノブを捻ろうとしたが、しかしそこで、フェストラがまだ伝えておくと言わんばかりに、呼んだ。
「アスハ」
「なんでしょう」
「それが、お前の答えなんだな?」
「……ご理解頂ける事を、嬉しく思います」





