ファナ・アルスタッドという妹-07
――コイツは、感付いている。
先日私が語らなかった、私と言うアシッドが何故、食人衝動を抑えて生き、平然としているのか。
「お前にはまだ隠している事がある」
「……ああ。けれど隠すという言葉は適切じゃないな。聞かれれば答えていたよ。それに、どう答えていいか、その答えが正しいか、そもそも役立つかも分からないからね」
「そうかよ。ならば聞くが、アシッドにはお前のように、食人衝動を抑える事が出来る個体――つまり、ある程度の自我を、自制する心を有した個体も存在する。間違いないな」
「うん、まぁ、そうだね」
フェストラならば、その内聞くと思っていたから、少し答えるのは億劫だけれど、正直に話すとする。元々聞かれたら答える主義の人間だしね、私ってば。
「貴様は自分で討伐したアシッドについて、リスタバリオスにこう言っていたな。『自我を有していたから、それなりに栄養を補給していただろう』……とな」
あの時コイツはいなかった筈なのになんで知ってるんだ。私かヴァルキュリアちゃんのどっちかに盗聴器でも仕掛けられているんではないかと邪推してしまう。
「先日、アシッド討伐の後に集い場と呼ばれる薬物取引の現場を見たが――正直死体を見慣れたオレでさえ思わず口元を抑えた程に、阿鼻叫喚な状態だった。今日の会合でコレを伝えなかったのは、リスタバリオスに悪影響を与えかねないと判断したが故だ」
印刷された現場写真が数枚、私に差し出された。私はそれを眺めながら――懐かしささえ覚える惨殺現場に、ため息をつく。
「死者十二名。男も女も関係無く、全てが肉体の何処かを食い千切られた上で、出血多量により死んでいた。逃げる事の出来た連中は捕らえたが、ショックのせいかまともな証言も得られなかった」
「まぁそうだろうね。少しでも理性があれば、人の肉を生きたまま喰らう化け物が目の前にいれば、卒倒していてもおかしくない。むしろ逃げる事が出来ただけ御の字だろう」
「だがこう証言した者もいる――『奴は【肉、肉】と呟きながら人に襲い掛かった』、と」
なるほど。私の言葉だけじゃなくて、周りの証言からも先日私が倒したアシッドが言葉を喋る個体であった事を確認した、と。
「つまりアシッドは、ある程度の動物性たんぱく質を補給出来た場合、思考を働かせる事も出来る、という事だな」
「そうだよ。何かおかしいか?」
「参考程度に聞くが――お前は、それほどまでの自我を有するのに、どれだけ人間を喰った?」
置かれたフォークに触れ、美しい焼き目の肉に遠慮する事なく突き刺したフェストラは、そのフォークごと、私に渡してくる。
ため息をつきながら、しかし喰わねばきっとこいつは納得しないだろうと判断。大きく口を開け、その肉汁溢れるステーキへ豪快にかぶりつき、吸い込むように口の中へ押し込んでいく。
モニュ、モニュ、と音を奏でながら噛み千切られていく肉は大変柔らかく……そして私としても初めての味わいだった。
「一つ、誤解を解こう。私は人を喰らった事は一度も無い」
「ならばお前はどのようにしてそこまでの自我を有するに至った?」
「簡単だ。私以外に生み出されたアシッド、計三十四体中の半数を私が喰った。人間の肉より圧倒的に栄養価の高いアシッドの肉を、一片も残す事無く、その溢れた血でさえすくって飲み干した」
それがアシッド・プロトワンとして成瀬伊吹に生み出され、肉体が成熟しきった十五歳位の頃。
食人衝動を抑える事が出来ずに人里へ放たれた同胞たち。
私も例外じゃなかったけれど、私は本能的にか、闇雲に人を襲って肉を喰らうより、栄養補給を済ませる事の出来たアシッドを襲い、喰らう事がより効率的で高い栄養価を補給する方法だと考えたのだろう。
結果として私は、何の因果かヒトを一切喰らう事無く、同胞であるアシッドを喰らう事で、自我を有するに至るまで進化を果たした。
そして私を参考にして、私の様に自我を有したアシッドも幾体か誕生し……最終的に私たちは殺し合い、勝利したのが私一人だった。
「私と、創造主である成瀬伊吹は、そうして進化した……確立した自我を有する個体を【ハイ・アシッド】と呼んでいた」
「ハイ・アシッドか。そこまで至る事が出来たならば、食人衝動を抑える事が出来るようになる、という事だな」
「ああ。先日、ヴァルキュリアちゃんと遭遇した個体はもう少し人間を喰っていたら、ハイ・アシッドへの進化に至っていたかもしれない」
だから、昨日戦う前にアイツが喋った時……私はちょっとだけ悲しかった。――昔に戻ったような気がして。
「私はね、かつて同胞を殺し、喰らい、生き残ったんだ。生きたかったわけじゃない。ただ本能に従い、喰らう事を優先しただけ。……結果として自我を手に入れ、死にたいと嘆くとは皮肉な話だけれどね」
「なるほど。貴様が肉を喰わない理由は、本当に菜食家へと転身したからか」
「うん。食べられないわけじゃないし、必要があれば食べるけど……お肉を食べるとね、つい食い殺しちゃった仲間の事を、思い出しちゃうからさ。……仲が良かった子も、いたし」
これで分かって貰えただろう。私がどうして自我を有するまでに至れたか、食人衝動を抑えられるようになったかを。
そうして強い自我を……自殺願望を有するようになったから、肉を食わず弱体化する事を選び、赤松玲は最終的に死し、クシャナ・アルスタッドとして生きても尚、肉を遠ざけていただけだ。
「……で、だ。フェストラ、お前はこんな事を聞いて、何が知りたいんだ?」
ここまで語り、奴が聞きたい事はまだ半分程度だろう。
むしろコイツは私が、ある程度こうした事を語ると予想していたから、護衛も付ける事無く私に肉を差し出す事にしたのだろう。
「庶民。お前は確かにアシッドの中では特殊な存在かもしれない。しかし既にお前という存在を生み出す為に必要なプロセスは解明されている」
ピクリと、思わず私は眉を動かしてしまう。それは私もあまり想定していなかったが故だが……もしかして。
「お前まさか、野に放たれているアシッドたちは……最終的にハイ・アシッドを作り出す為の餌にされる予定かも、と言いたいのか?」
「もしくは、野に放たれている奴らがハイ・アシッドに至る事を目的として放牧しているか、判断はし辛いがな」
例えば私はかつて、同胞を喰らう事でハイ・アシッドへと覚醒し、後にハイ・アシッド同士で食い殺し合い、最終的に私が生き残って、成長を果たした。
この世界でアシッドの因子を手にした何者かが、そうした進化へ至るプロセスを知っているとすれば……確かに色々と仮説を立てる事も出来る。
「庶民。お前はエンドラス・リスタバリオスや、奴の膝元で育てられた帝国軍人たちが提唱する理論を知っているか?」
「えっと……何だっけ。確か【汎用兵士計画】……とかいう名前の」
「正確には【汎用兵士育成計画】と呼ばれる、幾世代にも渡り実行されるべきと提唱されている遺伝子理論だ。簡単に言えば、遺伝子改良によって優れた兵士を育成しようというもので――ヴァルキュリア・ファ・リスタバリオスは、間違いなくこの理論の体現と言っても良い」
遺伝子改良というと聞こえは悪いかもしれないが、競馬におけるサラブレッドの様なものだ。
優秀な遺伝子を持つ者同士をツガイにし、産まれた子供に英才教育を施す事で、二者の優れていた技能を組み合わせたサラブレッドを育成する、というもの。
遺伝子そのものを書き換えるわけではなく、あくまで人間が出来る範囲で優秀な存在を排出しようとするだけの事で、どんな世界でもある事だろう。
「汎用兵士育成計画は、優れた遺伝子や魔術回路を持ち、魔術と剣術を習得した兵士の生産を、国ぐるみで行おうとする計画の事だ」
「なるほど。これまで一族が率先して行ってきた施策を国ぐるみで行う事で、より多く優秀な兵士の生産を進めるというものだね」
「問題は一部の人間だけとはいえ、父母共に自由恋愛を禁じられるだけじゃなく、兵士として生きる他に選択肢の与えられない子供を生み出す施策を、今の国が認可する筈も無い、という事だな」
国際社会化に向けて方針転換をしているグロリア帝国が、旧帝国時代のような軍事国家を作るという事なら別だが、個々の自由を制限する政策を掲げられるわけがない。
その一族が勝手にやっている事ならともかく、国がそうした動きに賛同してしまえば、必ず大きな反発が起こるだろう。それも国内だけじゃなく、諸外国からの反発が一番大きい事は間違いない。
「結果として前帝国王・バスクも、現帝国王・ラウラも認めず、認可は降りなかった。汎用兵士育成計画は頓挫したが、今でもこの理論を提唱し続けている軍人家系は多い」
そしてそれは、ヴァルキュリアちゃんの産まれたリスタバリオス家も例外じゃない。
ヴァルキュリアちゃんは汎用兵士育成計画を体現する程に、魔術と剣術の双方に優れ、汎用状況に適用できる能力を持ち得ているにも関わらず――彼女は将来を期待されておらず、あくまで次世代に血を遺して行く為の繋ぎとしか見られていない。
それはそうだろう。彼女が如何に理論を体現しても、例えば彼女が未婚で、子供を産まずに死んでしまったら、如何に彼女が優秀でもリスタバリオスとしては不本意な結果になる。
あくまで彼女に求めているのは――今後幾代にも渡り実現される、長期的な計画の礎になる事であるのだから。
「この理論を念頭に置いた上で、参考程度に聞かせろ。『例えば』、『もし』の話だが……アシッドの因子をヴァルキュリア・ファ・リスタバリオスに埋め込み、アイツをアシッドにした上で……他のアシッドを喰った場合、どうなると思う?」
「お前、何を言っているんだ」
「例えばの話だと言っているだろう」
何を言いたいか、聞きたいか、どんな答えを返すべきかどうかも、分かっている。
けれど、やはりこの例題は、嫌悪感を抱いてしまう。
あの無垢で穢れの知らない真っすぐな少女が――私のようになってしまう事など、想像もしたくないのに。
「……もし仮に、ヴァルキュリアちゃんがハイ・アシッドになったらだなんて、最悪な状況だよ。手が付けられない」
「今の技能を引き継いだままアシッドとしての身体能力を会得し、そして自我も有している状況だと言いたいんだな?」
「ああ。考えられるか? 今の彼女を単純に四十八倍強くすればいい。魔術回路の品質もそれだけ向上するだろうからね」
「文字通り、怪物になるというわけか」
フェストラが何を言いたいか、どんな仮説を立てたか、ようやくわかった。
コイツは元々、一部の軍拡支持派がアシッドを製造して野に放っていると仮説を立てていたが、加えて『最強のハイ・アシッド兵士集団を製造する事』も想定しているんじゃないか、と言いたいのだ。





