クシャナ・アルスタッドという女-01
アタシはファナ・アルスタッドと言います。
現在はグロリア帝国国営・聖ファフト学院魔術学部の三学生で、十五歳です。
私には二つ上の、クシャナ・アルスタッドっていうお姉ちゃんがいます。
このお姉ちゃんが……何と言うか、少し変わっているんです。
達観しているというかなんというか……十七歳のハズなのに、既に四十年くらいは生きてそう、というか。
朝、グロリア帝都・シュメルの郊外にある自宅、リビングに設けられた棚の上に祀り上げられた、フレアラス教祖様の小さな像。
アタシとお母さんの二人は、朝食を食べる前に必ず五分間、像の前で両手を繋ぎ合わせて胸元に置き両ひざを地面につけ、朝の祈りを行うのですが、お姉ちゃんだけは椅子に座ったまま両手を合わせ、二分くらい黙祷したかと思えば、悠々と朝食に口を付け始めます。
「頂きます。……はむ。うん、固いパンをオイルで湿らせて食べるこの感じは、何歳になっても好ましいね。まぁ欲を言えばふんわり柔らかいパンもたまには食べたいけれどね」
しっかりと表面に焼き目の付けられたパンを千切り、口に入れて咀嚼するお姉ちゃんの表情は、少し退屈そうにはしているけれど、しかし妹のアタシが見ても、綺麗な顔立ちはしていると思う。
薄いピンク色のアタシと違う、薄い朱色の髪の毛、アタシは肩程まで伸ばして両側頭部でまとめているけれど、お姉ちゃんは首元程度で留めて乱雑に切り、サラリと流した、男の人にも見えなくもない髪型。
そして、アタシよりもお姉ちゃんだからというのもあるのでしょうが、全体的な顔立ちは大人びています。目元にクマがある事によって不健康的な印象こそありますが、アタシの覚えている限り、お姉ちゃんが風邪を引いた事は一度も無かった気がします。
「お姉ちゃん! ちゃんとお祈りしないと、フレアラス様に失礼だよ!?」
「いいや、違うよファナ。旧約聖書の十二章一項には、要約すると『いつ如何なる時も健やかであり、無病である事を誉れとするべし』とある。つまりはこうして、しっかりと朝食を摂り、健康である事、無病である事、あろうとする事に務めていれば、フレアラス様は時間や祈りの姿勢に拘りなく、お許し下さる筈さ」
お姉ちゃんの反論に思わず口を結んでしまった。正直、アタシは新約聖書も旧約聖書も覚えきれていないから、上手く言い返す事も出来ないのだ。
そんなアタシへ「そもそも」と口にしながら、お姉ちゃんはカップに注がれたスープを飲み、ホッと息をついた。
「フレアラス教祖様への拝礼に必要なのは時間じゃない。あくまで個々の崇拝精神さ。ならば拝礼の時間を短くし、フレアラス様の教えに背かぬよう務める事こそ、教徒の使命であるべき、という事さ」
「じ、時間をかけて礼拝する事も必要だと思う!」
「それだけの時間に相応しい内容を、祈りに籠める事が出来るのならばね。しかし祈る時間が長いという事、即ち『良』ではない。短く礼を行いながらも、その短い時間にどれだけの信仰を注ぐ事が出来るか、それも重要なのだからね」
つらつらと言い訳のような言葉を言いながらも、次々に朝食を片付けていくお姉ちゃんが立ち上がった。
そのアタシよりも頭一個分大きな身体には、女性的な魅力もある。お母さんに似て、お姉ちゃんは女体的なのだ。
対し、その点に関してアタシはお母さんに似ず、小柄でチンチクリンになってしまった。
「ファナ、朝の祈りが終ったらすぐに朝ごはんを食べなさい。遅刻してしまうよ?」
「こ、子供扱いしないで! アタシだってもう三学生なんだから!」
「ふふ、そうかい。私にとって、ファナはまだまだ可愛い妹だからね。ついつい世話を焼いてしまうのさ」
アタシの顎を軽く持ち上げて、瞳と瞳を合わせるお姉ちゃん。顔立ちが良いモノだから、つい恥ずかしくなってしまうけれど、お姉ちゃんはそんなアタシの事など露知らず、右の頬に口づけをして微笑みながら、お母さんに「行ってきます」と言葉にし、去ってしまう。
「お母さんっ! お母さんもお姉ちゃんに言ってやってよ! お姉ちゃんってば大人になってもアレコレ言い訳して……っ」
「まぁまぁ。あの子にはあの子なりの在り方って言うものがあるのよ」
お母さん……レナ・アルスタッドが、祈りを終わらせて椅子に腰かけ、今一度軽くお辞儀をしてから、朝食を口にしていきます。
「それにクシャナの言葉も正しいわ。祈りはあくまで信仰心こそが必要であり、祈りの時間を無意味に定めるべきじゃない。私は朝の祈りを五分程度としているけれど、子供にそれを強制するつもりはないし、あの子もファナへ、あの子のやり方を強制しないでしょう?」
「それは……うん、そうなんだけど」
確かにお姉ちゃんの言葉も、別に間違っているわけではないのだけれど、でもあの人には何と言うか……熱意が無いのだ。
本当にフレアラス様を信仰しているかどうか、それすらも怪しいという中、お姉ちゃんのやり方を簡単に認めたくないと思ってしまうのだ。
「それよりファナ、時間は大丈夫?」
「え……あっ」
時計を見ると、学院の始業時刻まで残り二十五分、歩いて二十分とは言え、朝食をゆっくりと食べている時間は無いかもしれない。
「す、スープだけ飲んでく――あっつ!」
「落ち着きなさい、ファナ」
「ご、ごめんなさい……」
慌ててスープを口にしたものだから、軽く舌を火傷してしまった。けれどこの程度は後で適当に治しておけば良いだろうし、今はとにかく急いでスープを飲む。
塩っ気の強いスープにある小さな野菜らも無理矢理スプーンで口へと放り込んで、噛み、飲み込んでから、アタシも席を立つ。
「い、行ってきます!」
慌ててドアを開け、少しだけ急ぎ足で聖ファスト学院へと向けて駆け出していく。
そんな姿に、小さく呟かれたお母さんの言葉は、もちろんアタシには聞こえていなかった。
「……クシャナは落ち着き過ぎてる子だけれど、ファナは子供っぽ過ぎる子ね」
**
私はクシャナ・アルスタッド。
十七歳のピチピチ女子高生だよ、と言いたいところだけど、どうやらこの世界においては女子高生……というか、日本のように高等教育機関という存在は無いらしい。
なので改めて、しっかりと自己紹介をしようじゃないか。
私は確かに今でこそ、クシャナ・アルスタッドという名を与えられているが、元々は赤松玲という、日本秋音市に住まう個人投資家、二十一歳のイケイケ美女だった。
しかし、私は何者かに殺害された後、このクシャナ・アルスタッドという女の子に輪廻転生していたのだ。インドとかチベットの神話辺りにありそうな感じな事が起こってしまったわけだけど、既に私は小市民の一人として、この世界で十七年生活している。実年齢十七歳、精神年齢三十八歳みたいなカンジだ。
正直な事を言うと、どうして前世の記憶を持ち得るのか、そうした所から不明なわけだけれど、あまり深く考えても仕方ないかな、なんて思って楽観していたりもする。
普通ならもっと取り乱したりするかもしれないが、私にも昔……えっと、地球にいた時の昔は色々あったし、慣れてもいる。
だから今はこの世界で、昔の私が純粋に楽しめなかった若者時代を楽しむ事にした、というわけだ。
今の所、私の人生は、クシャナ・アルスタッドという女の人生は良好と言っても良い。
私好みの美人ママであるレナさん、そしてちょっとナマイキな所はあるけれど、真面目で頑張り屋さんな可愛い妹であるファナもいて、毎日がハッピーさ。ちなみにお父さんについてはお母さんがあまり話したがらないので、深く掘り下げないようにしている。
私が今いる世界は、何という世界なのかは分からない。だが暮らしている国は、グロリア帝国という帝国主義国家だ。
国家誕生から千年以上に亘り帝国主義を掲げ、一時の勢力は社会主義国の代表格・リュナス、小国ながらも大規模な軍事勢力と豊富な資源を基にした経済基盤を持つレアルタ皇国にも勝り、私がいるグロリア帝国本土の周囲、七つの国は植民地だったが、今は属領扱いとなっている。
国際化の影響で強引な侵略等は行えなくなってしまった上に、現在の皇帝であるラウラ・ファスト・グロリアは非軍拡主義、及び帝国主義への懐疑的思想も合わさっている事から、民主主義国家への転換も念頭に置いている可能性も指摘されている……何と言うか、面倒な状況に置かれている国と言ってもいいだろう。
先ほどまでしていた、ファナとの会話を聞いていれば察しはつくかもしれないが、国ぐるみでフレアラス教という宗教に信仰しており、政教分離は行われていない。
と。政治的な話をしていても詰まらないだろうし、文化的な事を語ろうじゃないか。
この国……というより、この世界は私のいた地球とは少し、というかかなり、人類進化の在り方は異なっている気がする。
一番異なるのは、まず技術だ。
私も驚いたが、この世界にも魔法という概念があるらしい。
正確に言えば魔術と言い、星から放出されているマナというエネルギーを、体内にある魔術回路と呼ばれるマナの血管にも似た器官を通して発露する神秘なのだそうだ。
とは言っても私には魔術回路が無いので魔術は使えない。
それでも恩恵はある。レアルタ皇国と言う国が中心に開発している、魔術の素養が無くても扱える魔術機械【魔導機】と呼ばれるものが普及していて、例えば地球にあるような冷蔵庫だったり一部機材だったりは、この魔導機によって近しいものが開発されている。
私も昔地球に居た時、魔技と呼ばれる技術を見た事はあったけれど、地球は基本的に魔技は秘匿されるべき神秘とされていて人目に晒される事は無かった。
だが、この世界では違う。この世界では科学技術に代わり、魔術やマナと呼ばれるエネルギーが技術の根幹に存在する。
……故に、今から私が行く聖ファスト学院があるわけだけれど。