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ヴァルキュリア-05

 クシャナの頬を撫でた手が、彼女の首筋から耳元へと伸び、フェストラは彼女の耳へ、自らの唇を近づける。



「何でも言えばいい。オレはお前を苦しめよう等と思っていない。例えオレの身を引き裂いてでも、お前が望むモノを手に入れる為に動いてやるさ」


「……なら、まず一つ」


「何だ?」


「今すぐ離れろ、不愉快だ。……私は、男が嫌いなんだよ」



 本当に、心の底から不愉快だと言わんばかりの冷めた視線が、クシャナからフェストラに向けられた。


彼女がそれだけ怒りというより不愉快を表情で描くのは久しぶりかもしれない。


 フェストラは彼女の視線と自らの視線を合わせ、離れる事は無かったが、しかし時間経過と共に彼女の殺気が強くなり続けている事に気付いたからこそ、手を離した。



「お前は、随分と男を嫌っているな」


「女の子の方が可愛くて魅力的だからね」


「男に対し嫌悪を募らせる理由にはならん。……アカマツ・レイ時代に、妙な男と交際でもして、痛手でも負ったか?」


「……そんな甘酸っぱいものじゃないさ。それに、アカマツ・レイの時代じゃなくて、プロトワンだった時代に、だね」



 自らの唇を指で拭いながら、クシャナは先ほどまでの冷たくて殺気のこもった瞳ではなく……昔を懐かしむような瞳をフェストラに垣間見させた。



「聞いてもいいのか?」


「お前らしくなく、遠慮がちだな」


「人様の傷口を抉って面白がる男でいたつもりでもないさ」


「まぁ、別にいいよ。そんなに面白い話でもないけど。……簡単に言えばハイ・アシッド同士、最後に殺し合った男がいて、私はソイツの事が、嫌いじゃなかったってだけさ」



 名前はプロトスリー。プロトワンと同様に、成瀬伊吹に生み出されて秋音市に放たれた後、自我が無い頃から栄養価の高い同族を喰らう事で、早急に自我を得た個体だった。



「頭が良くて、それなりに性格も悪く無くて、他人想いの奴だったよ。ハイ・アシッドの中でも戦闘力が高くて。でもアイツはその内、人間の女を、好きになって……」



 ブルリと、身体を震わせたクシャナに、フェストラが彼女の手と自分の手を重ねようとする。


しかしその手の軌道を読んでいたように、クシャナは彼の手を払いのけた後、続きを話し始める。



「……プロトスリーは、食人衝動を抑え込む事に成功した一体だった。けれど、それは興味の無い相手に対してだけ」


「愛した女の身体を喰らいたいという欲求には、抗えなかったというわけか」


「うん。その内、アイツは私の事を喰らいたいという欲求を持つようになった。……私の事を好きになってくれた、大切な仲間。けれどアイツは私の事を好きになってくれたからこそ……喰らおうとしたって事さ」



 しかし当時のプロトワンも、生きる事に必死だった。


まだ自分は幸せじゃない。誰かに喰われて生涯を終えてたまるか。


そんな欲求からプロトスリーと敵対し、彼を討ち……彼の血肉を喰らう事で、秋音市に解き放たれた、総計三十四体のアシッドを、プロトワンを除き全て、討伐を果たしたというわけだ。



「お前が男を嫌うのは、経験から来る自己防衛の為か?」


「……近い、のかもね。そのトラウマもあって、男が苦手になったって事は本当。そして、女の子の方が可愛いし、お話ししても楽しいし、エッチとかも下手な事気にしなくてもいいし……色々と楽だったから、そっちの趣味に走ったって感じかな」



 元々同性と共にいた方が楽しかったり、性欲の解消という手段に対して楽である事の方が好ましい、という省エネ主義な部分はあったのだろうと思う。


けれど男性嫌悪については……そうしてプロトスリーに喰われかかった経験から来る防衛本能が合わさり、男という存在に対して嫌悪感を抱く様になったのかもしれない。



「……お前は本当に、色んなものを失ってきたんだな」


「そうだね。アシッドという存在として生まれた事で、プロトワンという怪物の全てを……赤松玲という女の一生を壊されてきた。クシャナ・アルスタッドとしては、違う人生を歩んでやろうと思ったのに……ここに来て、こうだ」



 アシッドという存在であるからこそ、クシャナは再び死ねない存在としての自らを利用される。


これでは、プロトワンだった頃と、赤松玲として生きていた頃と、何ら変わらない。


赤松玲に「君は君だ」と決別を下され、クシャナも同様に、新たな人生を歩んでいこうとする決意を固めたというのに、だ。



「……クシャナ。オレは、お前を確かに利用するつもりだ。しかしお前から自由以外を奪うつもりなんて無い。お前がこれまで失ってきたモノを、オレはお前に与えたい。それが、なんであろうとな」



 触れる事は許されないのだろう。だからこそフェストラは、クシャナに対して手を伸ばした。



「オレはプロトスリーなんて奴とは違う。オレはお前を喰おうとはしない、お前を苦しめたくはない。……オレには、お前が必要だからな」


「だからお前って男を好きになれ――とでも言いたいのか?」


「難しいだろうがな……そんじょそこらの男を好きになるよりは、容易いんじゃないか?」


「ならお前は……私の事を、好きになれるのか?」



 押し黙るフェストラ。手は下ろされないが、しかしその手をクシャナが取る事は無いと、彼も気付いている。



「お前の言う通り、私は確かに、色んなものを失った。私の男嫌いは、プロトスリーって存在のせいで狂ってしまった結果かもしれない。……けれど、もしその傷を癒す為であっても、お前を好きになる事なんて、絶対にないよ。お前もそうだろ?」


「ああ――そうだな」



 容易く認めるフェストラに、クシャナも大きく息を吐き捨てた上で、ベッドから身体を起こして、素足で床に降り立った。


少しだけ冷たい床の感触を楽しみながら、クシャナは同じくベッドから降りて立つフェストラと向き合い、想いを告げる。



「確かにお前は、優しい男だよ。自分の全てを犠牲にしたって、自らが束ねるべき民を一つにする為、玉座っていう頂を簡単に捨てられる、アシッドなんて存在にもなれてしまう、強い男だと思う。……だけど私は、そうしたお前だから、キライなんだ」


「オレもそうだ。この身になったから気付く、強い衝動へ抗い続ける、お前の屈強な魂は買っている。しかし何時だってお前は、その在り方に自らを置き続ける為だけに……お前は自分を、脆い存在であろうとさせ続けてきた。そんなお前の弱さが……オレはキライだ」


「結局、私達は何もかもが違い過ぎる。そんなお前と私が同族になったからと、好き合える筈も無い。愛し合える筈も無い」


「まぁ、分かっていた事だ。しかしお前の心に巣食う闇を払えるのなら、オレの嫌悪など捨て置き、お前に身体を委ねるのも一つの手かと思っただけだ」


「……互いに愛の無い身体の交わり程、虚無な事は無いだろう?」


「お前は初心だな。……人はそうして、虚無である筈の事を好むんだよ」



 つまるところ、相も変わらずクシャナはフェストラの計画に乗るつもりはない、という事だ。


しかしそれも、ファナの身柄を確保すれば状況は一変する。


ファナ・アルスタッドは、誰かの心を守れるのならば、誰かの傷を癒せるのならば、どんな在り方だって許容できる少女だ。


そんなファナの在り方をクシャナは否定できない。そして否定できないからこそ、彼女の掛けようとする座へ、クシャナが代わりに腰掛けようとする。


このロジックは、変わらない。フェストラの計画は、問題無く動き続ける。


 ならばその時まで、クシャナを逃がさぬよう見張っている事が最善手である筈だ。フェストラは先程腰掛けた椅子に再び腰を下ろし、クシャナはどうせ逃げられないのならばと、ベッドの端に座り込んだ。



「アスハさんとヴァルキュリアちゃんが……戦うの?」


「さて、な。リスタバリオスについてはアスハに一任した。アスハが奴を言いくるめ、こちらに味方する事も」


「無いでしょ」



 断言したクシャナに、フェストラもしばしの沈黙の後にクククと笑みを浮かべながら、頷いた。



「ああ、無いだろうな。あの女がそう容易く味方になってくれるものかよ」


「ていうか、アスハさんみたいな口下手な人が、気難しいヴァルキュリアちゃんを言いくるめる事なんて出来る筈がない。それを分かっててアスハさんに行かせたのか?」


「そうだ。……アスハは、まだ迷っている。オレやメリーに付き従うべきか、否かをな。お前も気付いていただろう?」



 きっと、アスハ自身もクシャナの狸寝入りには気付いていた筈だ。


しかしそれを指摘する事なく、クシャナの事をただ監視するだけで、フェストラに対してクシャナの事を言わずに出ていったのだ。


そこには、フェストラに従うべきか、クシャナのように彼へ反旗を翻すべきか、悩んでいるという意図があるのだろう。



「……なぁ、フェストラ」


「なんだ」


「お前、本当は――」



 続く言葉が、クシャナは出せなかった。


フェストラがただ目を閉じて、静かに呼吸をし始めた。眠ってはいないのだろうが、しかし意識を可能な限り身体を休める事に向けているのだろう。


こうした彼に問うても、きっとまともに答えてなどくれないだろう。



それに……問おうとした言葉に、何の意味もない。


もし本当にクシャナが思った通りであっても、彼の望む未来に嘘は無いだろうし、そこに嘘が無ければ、彼の目指す未来を望むモノと、望まぬモノの戦いが起こる事に、違いはないのだから。



ため息をつきながら、クシャナはベッドに再び身体を倒して……目を閉じる。


その日、既に何度目になるか分からない、どこの誰かも分からない者の深層意識を見て目を醒ますまで……数分と時間がいらなかった事だけは、記しておこう。

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