ヴァルキュリア-02
既に涙さえ枯れてしまったと言わんばかりに、無表情のまま言い切ったシガレットに、ファナは言葉を失う。
先の言葉通り、ファナはシガレットを許すつもりなど無い。
ガルファレットの策略によるものが大きいが、しかしそれでも、彼女はファナにとっても心の拠り所でもあった、ガルファレットという尊敬に値する教師を殺めた。
彼女が元々、そうして自分の信念を果たす為に人を殺める事さえいとわない人間であれば、むしろファナは彼女の事を嫌えたに、そうでは無かった。
彼女はむしろ、自分の望みを強く持たず、状況に流されながらも、その中で皆が幸せになる事を望み、人の死を嫌った。
人の死を嫌う事について、ファナも同感だ。しかしならばこそ、メリーの言う通り、彼女は戦いに参加するべきでは無かったのだ。
彼女が中途半端に事態へ感心を以て関わった結果……戦場が混沌に陥り、ガルファレットがそんな彼女を止める為に死んでしまった事も、事実なのだから。
「……ファナちゃん、止まって」
考え込むファナの足を止めさせる為、そう声をかけた彼女の言葉が、上手く聞こえていなかった。シガレットの身体に軽くぶつかり、ファナは鼻を押さえながら足を止め、何があるかを見据えるが……何もない。
一本道が分岐し、左右の分かれ道があるだけだ。しかしシガレットはその細い通りでガルファレットの大剣を抜き放つと、そのままファナの身体を守る様に構える。
だが……その通りから姿を出したのは、敵じゃなかった。正確には【敵だったモノ】と言うのが正しいだろう。
ファナやシガレットから見て左側の通路から、一体のアシッド……それも既に首は無く、身体だけとなった存在が投げ飛ばされて来た。
それはしばし身体をビクビクと動かしていたが、しかし痙攣を終わらせると二度と動かなくなり……今、その身体に突き立てられていた一本の刃がひとりでに動き出し、元々来た通路へと戻っていく。
そして今、ファナとシガレットにも届く、強い熱風が二人に汗を流させた。
「女人、問うぞ」
通路の先、少女が一本の剣を構えて、シガレットとファナの前に姿を現す。
「伝え聞いた特徴から、貴女をシガレット・ミュ・タースとお見受けするが、正しくあるか?」
その手に握っていた剣を、腰の帯に備えていた鞘へと戻すも、しかしその手に高熱を迸らせながら殺気だけは、シガレットに向ける、橙色の髪をポニーテールでまとめている少女。
「……ええ。私がシガレット」
「ではシガレット殿に二つ、問おう。――返答次第では速攻斬り伏せる事を、先んじて伝えておくのである」
彼女について、ファナもシガレットも、間近で見た事は一度ない。だがファナは情報として知っていて、そしてシガレットは遠巻きで拝した事はある。
煌煌の魔法少女・シャイン――ヴァルキュリア・ファ・リスタバリオスがマジカリング・デバイス【シャイニング】を用いて、変身を遂げた少女の姿だ。
「一つ、何故ファナ殿を連れている。貴女は元々ラウラに属していた筈であろう」
「……ヴァルキュリアちゃんが聞いているかどうかは分からないけれど、色々と企てているフェストラ君からファナちゃんを守る為よ。そして、貴女に託そうと連れてきたの」
「そうであったか。ならばひとまず、その話は信じるとしよう」
とは言いつつも、シャインはその両手に纏わせる豪炎を消さない。
むしろ燃え盛る炎に加え、シャインの放つ覇気のようなものがシガレットを襲い、思わず一歩だけ足を引いた。
「しかしまだ、質問がある。……その構える剣は、拙僧の記憶違いでなければ、ガルファレット教諭殿の剣である筈だ」
何故、お前が持っていると。
「そもそもガルファレット教諭殿は……貴女に殺されたと聞いた。つまり、拙僧にとって貴女は敵でしかないと分かっているであろう?」
何故、ガルファレットを殺した筈のお前が、彼の愛剣を我が物顔で所有していると。
「答えよ。……返答によっては、ファナ殿の前であろうと容赦はしない」
そんなお前が何故、ファナを守ろうとするのか。
その全てに納得がいかなければ、炎がお前を焼き尽くす事だろう。
そんな想いが込められた殺意に対して、それでもシガレットは口を閉ざした。
「……言い訳はせぬ、という事と、解釈して良いのであるな?」
スゥ――と、大きく息を吸い込んだシャインが、吸い込んだ息を全身から放出する様に力を込めると、その右手に注ぎ込まれたエネルギーが炎に変換され、先ほどまで彼女の手を覆う程度だった豪炎が、彼女の肩までを覆う程の大きさに変貌。
あまりの熱量にシガレットとファナの全身から、大量の汗が噴出した。
「その心意気や良し。そしてファナ殿を守ってくれた事には感謝の意を表する。しかし、それとこれとは話が別だ――覚悟せよ、シガレット・ミュ・タース殿」
まだ数十メートルは離れている筈のシャインが放出する熱量を、間近で受けた場合にどうなってしまうか、それを予想さえ出来ないファナじゃない。
ファナは慌ててシガレットの腕を払いながら彼女の前へ飛び出して、その細い両腕を精いっぱい広げた上で、叫ぶのだ。
「ダメ、ヴァルキュリア様ッ!」
大声を挙げたファナ、しかしシャインの発している豪炎によってか、空気が薄くなっている。彼女は叫んだ後、ゴホゴホと強く咳込んだが……しかし腕は広げたままだ。
ファナに対して呼吸がしづらい状態を継続するわけにはいかない。シャインは目を細め、そしてシガレットを見据えた上で、彼女がファナに被害を及ぼす気配を見せなかった事もあって……炎の出力を弱めた上で豪炎によって焼かれながらも行われていた腕の再生が終わるのを待ち、変身を解除。
シャインからヴァルキュリアへと姿を戻した彼女は、自身の眼前へと出現したマジカリング・デバイスを空中で掴むと、息をしやすくなったのか大きく息を吸い込んだファナへ問いかける。
「何故、ダメだというのだ、ファナ殿」
「は……っ、はぁ……っ! だって……だってシガレットさんにとって、死は……救済、だから……っ」
ファナの言葉に、シガレットは思わずだろうか、ピクリと身体を震わせ、そしてその動きをヴァルキュリアは見逃さなかった。
「シガレットさんは……ガルファレット先生を、殺した事……後悔してる」
「拙僧らにとってもそうだ。ガルファレット教諭殿の死は必要など無かった、無為な死であろう。それをもたらしたシガレット殿を、許す事など出来ない」
「そう、許す事なんて出来ない! でも、シガレットさんにとって、死ぬのは罪悪感から逃れる事が出来る、唯一の方法なんですっ!」
ファナという少女は、何時だって他者を許す事の出来る、優しさに充ち満ちた少女であると、ヴァルキュリアは理解している。
「アタシは、この人がそんな風に救われる事を許さない。だからアタシもシガレットさんを殺さないし、ヴァルキュリア様に殺される価値もない。……生きて、その罪悪感と一生、向き合って貰うんだ」
そんな彼女が、シガレットという女性に対して……深い怒りと悲しみを抱いているからこそ、彼女を殺さず、生かした上で苦しんでほしいと願っている事を、他者の想いに鈍感なヴァルキュリアであっても、理解できた。
「ええ。私もむしろ、ヴァルキュリアちゃんやファナちゃんに殺されるなら、全てから解放される。それを望んでいないと言えば嘘になる」
握っていたガルファレットの剣を逆手持ちで握り直し、投擲の要領で腰を捻りながら、ヴァルキュリアに向けて投げるシガレット。
ヴァルキュリアはその大剣が縦向きで投擲される事を理解した上で僅かに身体を横に向ける事で避ける。
すると、ヴァルキュリアの背後から静かに迫ろうとしていたアシッドの一体が、巨大な剣の圧力に潰され、しかし死ねぬからこそ身体に突き刺さった剣から抜け出そうと、藻掻いていた。
「けれどそれは、許されない。私は、この若く蘇った命が再び死ぬその時まで……ガルファレットの死を、ずっと後悔し続けないといけないみたい。剣は、それを絶対に忘れないっていう、誓いにして、形見なの」
誓いにして、形見。
その言葉にはヴァルキュリアも何か思う事がある様に、自身の鞘に納めているグラスパーに手を触れ、頷いた。
「なるほど、理解した。生きる事そのものが贖罪になるというのなら、拙僧も殺そうとは思わん。むしろ一秒でも長く、ガルファレット教諭殿の死に対して懺悔し続けるが良い」
「……貴女達らしくない事を言うわね。仇とは言え、誰かが苦しむのを願うなんて」
「自覚している。しかしそれだけ、ガルファレット教諭殿は、拙僧ら子供にとって立派な大人であったという事だ。……残念な事に、子供が本気で尊敬の念を抱ける大人というのは、ほんの一握りなのだから」
マジカリング・デバイスを再び起動し、シャインへと変身するヴァルキュリア。その上で彼女は溶解炉マニピュレータを起動し、その燃え盛る右手で未だガルファレットの剣が突き刺さったままのアシッド、その頭に触れる。
首から頭にかけてまで、展開される熱の膜。その膜内で生じる最大摂氏三千度の超高熱を受け、頭が蒸発。
そうしてトドメを刺し終わったシャインは、変身状態を保ったまま、地面に両足を付けてハァ――と深くため息をついたファナに手を伸ばす。
「それで、シガレット殿はこれからどうするつもりであるか? 拙僧は、しばし残党のアシッドを処理する為に行動するが」
「こっちの台詞でもあるのだけれどね。ヴァルキュリアちゃんは、フェストラ君の野望に反対? それとも……彼に加担するつもり、ある?」
もしそうなら――と、シガレットがファナの手を取るシャインを見据えているが、彼女は首を横に振った。
「分からぬ。そもそもカルファス殿に説明を受けたのだが、拙僧はあまり頭が良くない故、フェストラ殿の理想によってどう世界が変わり、クシャナ殿やファナ殿がどうなるか、等が理解できていない。ただ内心、あまり好ましくは聞こえなかった、というだけである」
「……意外。随分と冷静なのね」
「結論を先延ばしにしている、とも言えるであろう」





