アマンナ-10
ファナ・アルスタッドがもつれる足で聖ファスト学院へと向かっていくが、その背後からカシャカシャと甲冑が僅かに揺れる音を鳴らしながら、近付いてくる三体の魔術兵がいる。
フェストラが呼び出したその三体は、バスタードソードを放棄した状態で少しずつ、ファナとの距離を埋めていた。
「は、はぁ……っ!」
元々ファナが運動の苦手な少女という事もあるが、今の彼女はマナを極度に消費した状態で、無意識的な身体強化も出来ずにいる普通の女の子でしかない。
故に三体の魔術兵から逃げる術も無いのだが、フェストラに呼び出された兵達は、彼女を傷つけないという目的から、ファナが体力の限界を迎えるまで下手に彼女へと手を出す事はせず、追いかける事にのみ。
だがそれでも、自分の力が及ばない存在に追いかけられているという恐怖は、ファナの心を蝕み……その足取りも更に覚束ない。
「あ、っ!」
今、前へ出そうとした左足が右足に当たり、ファナは前のめりに転んでしまう。
膝を擦りむいた痛みに悶えながら、しかしファナは小さく「イタイノ、イタイノ……トンデイケ……っ」と呟きながら、勢いよく立ち上がろうとするが……しかし、そんなファナの前へ、一人の男が立ち塞がっていて、ファナは彼の胸板で顔を打った。
尻餅をつき、自分がぶつかった男を見据える。そこには出会った事のない男の顔があったけれど……しかし、男の雰囲気と能力を知るファナは、困惑顔で問いかけた。
「め、メリー……さん?」
「ええ。……ファナ様、追いかけっこは終わりました。さぁ、お手をどうぞ」
優し気な言葉遣いと表情、そしてファナの目線まで腰を落としながら、手を差し出した男……メリーに、ファナは手を差し出しそうになった。
けれどその寸前、普段より口調が丁寧である事に対し、何か嫌な予感が胸に渦巻き、ファナはメリーから逃げるように立ち上がろうとする。
だがそれを許さないと言わんばかりに、一体の魔術兵が既にファナの逃走ルートに回り込んでおり、立ち上がったファナの腕を強く引いた。
「い、いやッ! 放して!」
我武者羅に身体を動かして、捕縛から逃れようとするファナだが、しかし既に彼女の周囲を他の二体も囲んでいる。逃げる事は出来ないと誰もが理解できただろう。
メリーもため息をつきながら、足掻く彼女に対して言葉をかけ続けた。
「諦めて下さい。我々としては、ファナ様の御身は大切です。クシャナ様と同じく、我々にとっての神たる貴女を無事に帝国城へお連れする事が、フェストラ様に与えられたご命令なのですから」
「い、意味わかんない! ファナ様って何!? クシャナ様って何!? アタシたち、そんな偉い人じゃないもん! みんな、なんかおかしい!」
「おかしい? ――いいえ、おかしいのは世界の方だ」
ファナの両肩を掴んで捕縛する魔術兵二体と、そんな彼女を前にする、メリーと残り一体。
メリーはファナの前に片膝を付き、微笑を浮かべながらも……しかしその眼は笑っていないと、ファナは感じた。
「……世界が、おかしい……?」
「ええ。そもそもアシッドという力を、まるで悪魔の力であるかのように扱う事が、どれだけ愚行であるか――勿論、私もこの力に身を浸した者、危険性は重々承知です」
自らの左腕、その肉が柔らかい部分に歯を立て、噛む事によって肌と肉を喰い破るメリー。その結果、少量の血がファナの顔に付着するけれど……しかしメリーは肉を噛み進め、飲み込んだ後、彼女の顔に付いた血を指で拭き取った。
「しかしね、どんな力だって使い方を誤れば兵器となるものです。火は人類に変革をもたらしましたが、しかし扱いを間違えれば全てを燃やし尽くす事が出来る。アシッドだって同じです。使い方を誤ったから、ラウラは罰せられなければならなかった」
「……なら、帝国の夜明けがやってた事は……正しい事だって、そういうんですか……!?」
ファナは、メリーの率いていた【帝国の夜明け】という組織が犯してきた非道を忘れない。
何の罪も無い人間が、アシッドによって喰われていた事も、帝国の夜明けに属する人間がアシッドとしての力を得て、自らの姉によって喰われた事も、ドナリアやアスハが殺した人達の事も。
「いいえ。我々が果たしてきた事は、大義の為ではありますが、しかし正しき道ではありませんでした。それを正当化しようなどとは思いません。罪を償う方法があるとしたら、その贖罪に身を捧げる所存であります」
「じゃあ何がしたいの!? お父さんを倒して、お父さんの野望は食い止めたんでしょ!? 何でフェストラさんとアマンナさんが戦わなきゃいけなくて、アタシはこうして捕まってるの!?」
「これこそがまさに、我々【帝国の夜明け】による贖罪なのです。……貴女様とクシャナ様を神として称え、祀り上げ、その末にこの国は再生を果たす。ラウラという悪業を討伐し、崩壊するこの国を立て直す為に」
「意味が……意味が分かんないよ……っ」
それはそうだろうと、メリーも想いながら息を吐いた。そもそもファナに説明した所で、彼女が受け入れてくれるとは思えない。
それを心苦しく思わないと言えば嘘になるけれど……しかしメリーは彼女へそれ以上言う事は無いと言わんばかりに、彼女の意識を失わせようと、その頭に触れようとする。
その時だった。
突如、メリーは謎の殺気に見舞われ、立ち上がりながら後ろへと跳ぶ。
そんな彼の目で捉えたのは、上空から射出された、光の槍にも似た何か。
光の矢はファナを捕える二体と、先ほどまで自分に隣接していた一体の魔術兵を、頭部から足元まで貫いた。
それにより、魔術兵は消滅。ファナは突然の事で、何が起こったか理解できないという表情を浮かべていたが、突然の殺気を受けて後退していたメリーは、その全貌を理解していた。
急ぎ、右足のホルスターに備えていたベレッタM9を抜き放ち、安全装置を解除しながら構えるが、しかしその手に握る巨大な大剣を構えたある人物が、メリーの身体へと叩き付ける。
僅かに回避が間に合い、右腕を犠牲にする事で圧死(とはいえメリーは死なないが)を逃れた彼は、血を吹き出す腕の切断面を押さえ、青白い表情を浮かべ歯軋りしながら……ファナの眼前に立つ女性を睨みつけた。
「……ファナちゃんは、貴方達の好きに、させないわ」
女性の身長以上の長さを誇る大剣。それは重量だけで数トンはあるだろう事が目に見えて明らかであるにも関わらず、女性は片手で難なくそれを持ち上げ、自分の肩に長い柄を乗せる。
「邪魔を、するというのですか……!?」
「……今更、私が何を言っているのかって、罵られるかもしれないけれど」
「その通りだ。貴女が、貴女が今更何を言うのです。……ガルファレット・ミサンガという、誇り高き騎士の命を奪った、罪深き死人が、何を……っ!」
女性は、シガレット・ミュ・タース。
ガルファレット・ミサンガとの激戦の末、彼の命を殺めてしまった、最強の魔術師であり、ラウラによって甦らされた、死人である。
**
カルファス・ヴ・リ・レアルタは、聖ファスト学院の講堂に設けられた緊急避難所の隅で、毛布一枚を膝にかけながら、上半身だけを起き上がらせているヴァルキュリア・ファ・リスタバリオスに、全てを語り終えた……筈だ。
ヴァルキュリアはエンドラスとの戦いの後、長らくこの避難所で気を失っていたが、先ほど意識を取り戻し、そんな彼女にカルファスが見舞いと称し、これまで起こった全てを伝えたのだ。
ラウラとの戦いが終わった事も。
フェストラが新たに立ち上がった事も。
――ヴァルキュリアの父、エンドラスの最後も。
その証明として、そして遺品として……ヴァルキュリアの両手にはエンドラスの遺した剣・グラスパーが握られていた。
「父上は、最後にクシャナ殿を、守ったのだな」
「……うん。立派だったよ」
「そう、であったか」
不思議な感覚だった。父が……エンドラスという男が死したというのに、ヴァルキュリアは泣きたい気持ちも、悲しみも怒りもあるのに……その「立派だった」とするカルファスの言葉だけで、そのゴチャゴチャとした感情が全て消え、父の最後が華々しいものであったのだと理解できたのだ。
ヴァルキュリアは、自分の胸に手を当て、堅い板のようなモノ――マジカリング・デバイスを確認すると手に取り、カルファスへと視線を向け、彼女もコクンと頷いた。
「既に拙僧は……アシッドとなったのだな」
「……うん。その内、固有能力も目覚めて、自覚できるようになってくると思う」
「これ以上の力も、それはそれで考え物であるが……しかしまぁ、受け入れねばならぬのだろうな」
毛布を退かし、立ち上がったヴァルキュリア。
彼女は眠っている最中に再生を果たした傷の有無を確かめるように軽く身に触れていくが、しかし何の異常が無いと本能で理解しているからか、それ以上は何をいう事も無く、腰の帯にある自分の鞘に、父の遺品であるグラスパーを差した。
「まだ、アシッドは街に残っているかもしれぬのだろう? ならば、その全てを討つのも、拙僧の仕事だ」
「……フェストラ君の事は、どうするの?」
「さて、それは後々決める事としよう。……拙僧は阿呆故、フェストラ殿の行動が正しいか、今はまだ分からぬからな」
ゆっくりとした歩みで講堂から出て、グラウンドにも居る避難民たちの波から外れ、帝国警備隊の静止も聞かず、ヴァルキュリアは聖ファスト学院の外へと出て、そのまま先の戦いにおいて、ヴァルキュリアが向かう事の無かった工業区画の方面へと歩んでいく。
「……だが、心が決まれば、また戦いになるのだろう」
マジカリング・デバイスを手に、ヴァルキュリアは工業区画の奥へと進んでいき……今、全身を血で塗れさせた、一体のアシッドを発見し、その側面にある指紋センサーに、指を乗せた。
〈いざ、参る!〉
「変身」
〈いざ、変身! 現れよ、魔法少女ォ!〉
煌煌の魔法少女・シャインに変身を遂げた彼女は、父の遺した剣を抜き放ちながら――アシッドへと斬りかかっていく。
彼女の放つ煌きは、ただ闇を照らしていくのである。





