アマンナ-09
「そら、他に何か質問はあるか? ……もうお前にとってのオレは、とんだ悪業に名を刻んだ存在だろう? 少しでもその償いが出来るのなら、何だって答えてやろうじゃないか」
「なら……どうして、そこまで……お兄さまは、この国の変革に……こだわるの、です……? ご自身が、悪業と分かっているにも、関わらず……何故そんな悪業に身を投じるのです……!」
僅かに、身体が動く様になってきた。腕を使って這いずりながら、フェストラの足元に手を伸ばし、その裾を握りしめるアマンナに……フェストラはまだ、何も言わない。
「お兄さまに、とって……確かに王となる事……王となり、この国を導く事は、大切だったのかも、しれません。けれど、それは誰かにそう、願われたから……!」
「そうだ。お前がオレを守る為だけに生きていたように、オレという男は、この国の王として生きる事だけを願われてきた」
「お兄さまにも、何か無かったのですか……っ!? 国を統治するだけじゃない……もっと、お兄さまの幸せが」
「無いんだよアマンナ。……オレには、誰かを幸せにするという使命しかない。自分の事や、自分の未来、自分自身の幸せを考えたって、何にも思い浮かばないような……そんな底が浅くて、冷たい男なんだから」
底が浅くて冷たい人間――フェストラは自身の事を、そう罵りながら、表情を俯かせる。
「オレよりも、よほどラウラの方が人間めいているよ。奴は、アルスタッド家の家族を……自分にとっての幸せの象徴を守る為に必死だった。その善悪についてはさておき、奴は自分の幸せを求め、結果として他者の幸せを求めた」
「……けれど、それは」
「ああ、確かにそれは自分勝手な祈りだよ。自分勝手な願いだよ。けれどなアマンナ、自分の願いを尊べないような男は、決して強く等無い。自分の意志を、願いを、祈りを押し通す事の出来ない人間こそが……人を、自分自身でさえも数字で計り、大を生かす為に小を殺すなんて、無慈悲な事を行えてしまう。それがオレなんだ」
腰を下ろし、アマンナの頬を撫でて、そっと頭に触れる兄の手は……温かかった。
「アマンナ――お前には、オレみたいに何もない人間にならないで欲しいと願ってた。でも今のお前は、自分の望みも、自分の想いも、大切な仲間もいる。それが、とても嬉しく思っているよ」
アマンナはその手に自分の手を重ねると、ボロボロと涙を流しつつ、ふるふると首を横に振った。
「何にもなくは、ありません」
「……そう、だろうか?」
「ええ、そうです。お兄さまは、わたしの事を、皆の事を、ずっと思ってくれていた……それが、お兄さまにとっての幸せ」
人は別に、生き方を誰かに委ねたって構わないのだ。
別にアマンナが、フェストラという男に対して妄執的であっても構いはしなかったように、ただ、その想いが本物であればいい。
本物でない願いを、本物であるかのように自分自身を偽り、傷つく事こそが、愚かしい事であるだけだ。
「例え自分自身の事を、愛せなくても……自分以外の誰かを愛する事で、人らしく生きる事が出来るのなら……それはとても、尊ばれるべき願いです」
アマンナは、フェストラと同じ位に、大切な仲間を見つけ出し、フェストラと同じく皆を守るという願いに気付く事が出来たからこそ、こうして彼の前に立ちはだかった。
フェストラだって、自分の望みを見つける事が出来ずとも、崩壊したこの国を再建させたい、その上で多くの民を救いたいとする想いは、本物の筈だ。
――ならばその願いは、何もない等と言われる筋合いはない。
「……でも、わたしは、お兄さまの願いを、認められません」
「アマンナ」
「クシャナさまと、ファナさまの幸せを、守らなきゃいけない……それは確かに、そうです。けれど、それだけじゃない……幸せになれないのは、あの二人だけじゃなく……その悪業に身を染めようとする、お兄さまもそうだから……ッ!!」
自身の右目に、マナを籠める。
フェストラとの会話をしながら、徐々に体内のマナ貯蔵庫へと溜まっていったマナ、その量は全体から見ればほんの僅かしかないが……しかし、一秒ほどの時間を止め、その上でこの場から離脱する位の体力は回復した筈だ。
時間停止の魔眼が発動し、アマンナは自分の身体へ突き付けられている、魔術兵のバスタードソードを一本奪い、三体の身体を斬り裂いた後、残された時間を使ってフェストラに背を向けながら駆け出そうとする。
――しかしそこで、アマンナの身体が何かにぶつかった。
本来何もない空間に存在する、透明の壁にも似たもの。
それが翻って退散しようとするアマンナの身体にぶつかると、アマンナは背中から地面に倒れた。
バタリ、とアマンナの身体が倒れた瞬間、時間停止の魔眼がマナ不足で発動を停止。
止まった時の中で行動し、フェストラの目にはいつの間にか消滅した魔術兵達と、先ほどまでうつ伏せ状態だった筈が、今は仰向けになって倒れる妹のアマンナ、という光景が広がっているにも関わらず……彼は驚く事無く、ため息をついた。
「無駄だ。……お前の行動は、オレにとって全てお見通しだよ」
アマンナが身体をぶつけた、何もない空間にある壁。それはフェストラがアマンナと会話をしている最中から展開していた空間魔術による透明な壁。侵入も脱出も、フェストラが許可せぬ限り果たせない、アマンナ封じの術と言っても良い。
「お前のマナが少しずつ回復していた事も、お前が今もし時間停止の魔眼を使えるとしたら、何よりも逃げるという選択をするというのも……全て見通していた。だから、オレは呑気にお前とお話し出来ていた、というわけだよ」
とは言え、話したくなかった、というわけではない。兄として、妹であるアマンナと可能な限り、語らっていかったという、有限の刻に対するジレンマもある。
けれど、時は未来に進むと、時を止める事も、時を戻す事も出来ないと、誰もが知り得て、納得しなければならない事だから、納得するだけの事だ。
フェストラはアマンナの頬を今一度撫でながら、その指を彼女の額へと伝わせていく。
「アマンナ。最後まで迷ってくれて、ありがとう」
「……まよ、う……?」
マナが枯渇しかかっていた状態で、時間停止の魔眼を無理矢理稼働させたものだから、アマンナの体力は殆ど枯れていると言ってもいい。
放っておいても、このままアマンナは衰弱に身体が耐えきれず、眠っていく事だろう。
「お前は、オレを殺す事を、オレの首を落とす事を、最後の最後、深層意識の中で迷ったんだよ。……例え殺せなかったとしても、時間が停止している中でオレの首を落とせば、それだけで逃げる時間が稼げたのにな」
それはアマンナの思考が至らなかったからじゃない。きっと、彼女は見て見ぬフリをしたのだろう。
フェストラは簡単に首を落とさせてはくれないと、きっと逃げる方が成功率は上がると。
そんな風に自分を偽り、心の奥底で――フェストラという兄に手をかけたくないという想いがあったのだ。
だから、この重要な盤面で、兄の首を落とす事に対し、先延ばしをしようとした。
その結果が生んだものこそが、今この状況だと言える。
――アマンナは、最後の最後まで、フェストラという兄との心理・知略戦に、負け続けたのだ。
「……お、兄……さま」
意識が遠のいていく。それは恐らく、疲労による睡眠への移行だけじゃない。フェストラがアマンナの額に、何か温かさを持つ術を投じている事が、何となく理解できる。
昏睡魔術……解除術式を投じられない限り、目を醒ます事なく眠り続ける術で、きっと事が全て終わるまで、アマンナを眠らせておくつもりなのだろう。
けれどその前に……言わねばならない事がある。
「わたし、だけじゃ、無い……あの、人も……お兄、さま……止め、る」
最後まで言う事は出来なかった。目が完全に閉じて、既にアマンナの意識は微睡を通り越し、夢を見る事も出来ない程、深い意識の底へと潜っていく。
しかしアマンナが言いたい事は、フェストラにも理解できる。
――アマンナだけじゃない。彼女もきっと、フェストラを止める為に、動く。
そう、アマンナは宣言したかったのだろうし……その事は誰よりも、フェストラが理解している。
愛らしい妹の寝顔、その頬に触れながら、フェストラは笑みを浮かべる。
だが、そうしてゆっくりともしていられない。けれど大切な妹を他の誰に任せる気にはなれず、フェストラは眠るアマンナの身体を抱き抱えながら立ち上がった。
「メリー」
「ハッ」
いつの間にか、自分の背後にいたメリーに声をかける。いた事に気付いてはいなかったが、きっといるのだろうとは思っていた。
「ファナ・アルスタッドはお前に任せる。あの娘もそろそろ体力が限界だろう。魔術兵には無理な追跡をしないように命じてあるから、お前が確保するんだ。傷一つ付けるなよ」
「畏まりました、我が王」
「……その言い方は止めろ」
頭を下げながらどこかへと向かっていくメリーの背中は、数メートルほど離れるとフェストラには認識が出来ぬようになった。
ハングダムの認識阻害術、その一つが手中にあって本当に良かったと噛みしめながら……フェストラは抱き抱える、幼い妹を連れて、歩き出す。
「しばらく眠っていろ、アマンナ。……お前が目を醒ました時までに、お前がただ一人の女の子として、どんな生き方だって出来る世界を……お前にとっての幸せを、作っておくから」
――その幸せの中に、兄であるフェストラがいられない事に、少し寂しさはあるが。
そんな事を想いながら、フェストラはアマンナの身柄を帝国城まで連れていき、厳重な警備が成された一室に寝かせた。
次に彼女が目を醒ますのが何時の事になるか。
それはまだ、誰にも分からない。





