アマンナ-08
メリーがいる事自体に、大した疑問は無い。彼はフェストラの下に就き、彼に付き従う事を決めた筈だ。
だが、彼が動ける状況であるのならば、ファナの確保に全力を注ぐか、もしくはフェストラと協力してアマンナと相対するのが筈だ。
フェストラの振るう金色の剣、それがアマンナの握っていたバスタードソードへと叩き付けられると、バスタードソードにヒビが入り、叩き折られる。
ソードの柄を手放し、即座にフェストラの右手首を捻りながら足を払い、彼の顎を地面に叩き付ける。
フェストラの髪を乱雑に引っ張り、その首筋にナイフを突き当て、深く刺し込む。それにより、肌とナイフの隙間から血が噴き出し、アマンナの顔を濡らしてく。
「あ、ガァァアッ!」
フェストラの絶叫、アマンナは突き刺したナイフでそのまま彼の首を斬り落とそうとするが、しかし彼の強固な骨が、ただのナイフでは切れぬと分かりに、引き抜いて今一度突き刺そうと振り上げる。
だがそれでも――メリーはただジッと、見ているだけだ。
(何故? 何故お兄さまは、メリーに決して手を出させない……? お兄さまは何が……っ!)
振り上げたナイフをこのまま振り下ろすだけで良いのだろうか?
フェストラが今、何を考えているか分からない。そしてメリーも、何時動くかも分からない。その状況でフェストラの首を落としたら、二人はどうするというのだ?
何も考えいない筈もない。フェストラがそんな、甘い男な筈はない。
そんな思考の乱れが脳を混乱させる中で、しかし冷静な部分が、フェストラの首をまず落とす事だけに集中すべきだと、結論付ける。
だからこそ、フェストラの首筋に今一度、ナイフを振り下ろしたアマンナ。
しかし……その振り下ろしたナイフの切っ先がフェストラの首に刺さるよりも前に。
「ゴル……タナ、起動……!」
フェストラが小さく、放ちにくそうな言葉で、そう声を発した瞬間――彼の首筋に突き刺そうとしたナイフは、硬い外壁に弾かれ、強度に耐えきれず折れてしまう。
「っ、ゴルタナ……!?」
フェストラの全身に展開されるゴルタナ、その漆黒の鎧が纏われると、アマンナの力ではフェストラを抑え込む事が出来ず、腕を離してしまう。
振り向き様に肘をアマンナの顔面に叩き込むフェストラ。その力強い一撃に、アマンナは瓦礫の上を転がりながら、痛みに悶えた。
「が、ぐぅ……!」
ゴルタナの有する堅牢さ、そしてゴルタナに後押しされる力強さを込められた一撃が顔面を通じて脳を揺らし、アマンナは立ち上がる事が出来ずにそのままうつ伏せた。
対してフェストラは、ゆっくりとではあるが立ち上がって、アマンナの前に立つ。
「グ、ム……随分、痛いな。脊髄付近の負傷は……」
首の後ろに手を回し、未だ痛みが全身を劈くと言わんばかりに言葉を濁らせるフェストラ。
しかし数秒程の時間が経過すれば、脊髄に走った亀裂も再生を果たしたのか、その言葉にも余裕を感じる事が出来る。
「しかし、上手くいくものだな。こうまでお前の思考を、乱す事が出来たとは」
「ぃ、な……何故、メリー、が」
「手を貸す事も無く呆然と立っているか、か? まぁ良いだろう、教えてやろうじゃないか」
フェストラが手を掲げると、建物の屋上に足を乗せていたメリーが「お役御免か」と言わんばかりに頷き、頭を下げながらどこかへと去っていく姿が、アマンナには見て取れた。
「オレがお前と戦う目的は、何だ?」
「……ファナさまの、捕縛」
「いいや、違う。ファナ・アルスタッドの身柄確保については確かに必要だが、安全さえ確保されていれば、可及的速やかに必要ではない。あの娘はオレという男を止められる人材ではないからな」
「では何故、ファナさまを……!」
「お前ならばあの娘を守る為に、オレの前に立ちはだかると信じていたからな。そして、その立ちはだかるお前を降し、捕縛する。それがオレの最優先事項だ」
今一度、パチンと指を鳴らしたフェストラ。その音に合わせて出現した、三体の魔術兵達が、バスタードソードをアマンナの身体に切先を向け、動くなと警告する。
少しでも動けば、殺しはしないが痛めつけるという意味を込められていると分かり、アマンナは歯を鳴らした。
「順を追って説明してやろう。まず、オレの目的はお前を配下に収めるか、敵対するお前を降し、捕縛する事。これは分かるな?」
返事はしない。ただ、アマンナはフェストラを睨むだけだ。
「昔のお前ならばいざ知らず、今のお前はシックス・ブラッドとの関わりによって、オレという男に必ずしも従うとは限らない。むしろ敵対する可能性が高いと踏んでいた」
それは、これまで彼が放った言葉で何となく、そう考えていた事も理解できる。
「そこでお前がオレと敵対した場合、必ずネックになるのは、お前の持つ時間停止の魔眼だ。アレばかりはオレも防ぎようがない。オレがお前を降し、勝利する事が出来るのは、マナと体力を使い果たしている今しかあり得ない」
ラウラとの戦いにおいて、確かにフェストラも疲弊している。しかし同時に、アマンナも時間停止の魔眼を酷使し、フェストラ以上に疲弊している。このタイミングを逃せば、アマンナは体力とマナの回復に努め、フェストラという男の寝首を掻く事が何時でも可能となってしまう。
「とはいえ、元々お前はオレをも上回る逸材だ。そう簡単に降せる筈も無ければ、戦いという対等な立場に置かせる事も難しい。お前はオレと真正面に立って戦う理由はなく、オレの首さえ切れればそれでいいわけだからな」
アマンナという少女の手法は、何と言っても暗殺や暗躍。
ヴァルキュリアやガルファレットのように敵を真正面から叩き潰すような、騎士道に則った戦法ではなく、卑怯汚いと罵られようが、勝つ事が最優先とされる暗殺者の戦法だ。
そんな彼女の前に立ち、何の策も無く戦いを挑んだ所で、早々にその場を離脱されて、後日体調を整えたアマンナに寝首を掻かれるのがオチだろう。
「だから……ファナさまを、利用し……わたしがお兄さま、と……正面切って戦う、舞台を整えた……!」
「そうだ。お前が戦う為の舞台として、ファナ・アルスタッドは最適だ。あの娘をオレが狙っていると分かれば、お前は彼女を逃がす為の時間稼ぎで、こうして相対してくれると考えた」
そして見事に、アマンナは術中に嵌ったというわけだ。
自分の身を捕える為に構えられたバスタードソードに斬られてみようかと考える程、追い詰められているアマンナは、握り拳を作りながら……しかしそこで、少しずつ自分の意識が、ハッキリしていると感じ取れた。
――これは、もしかしたら。
そう考え、しかしまだ、まだ時間が足りないと、アマンナは問い続ける。
「では何故、何故メリーを、戦線に加えたり、ファナさまの捕縛に、動かさなかったのです……!? それに、魔術兵も、最初から六体、動かす事も出来た……」
「分からんか? お前を惑わし、思考を鈍らせる為だよ」
「……どういう」
「お前は少しでも自分に不利な状況となった場合、ある程度遠くへファナ・アルスタッドを逃がす事が出来れば、自らも逃げる事の算段を付けていた筈だ」
確かにアマンナは、ファナを逃がす為にフェストラを引き付けていて、彼を十分足止めが出来れば、すぐに離脱してファナをピックアップ、どこかへと逃亡する事を考えていた。
一度逃亡してしまえば、アマンナの行方を追える人材など限られる。そしてその人材は、ルトが死亡してしまっている現状、メリーしかあり得ない。
そしてメリーがもし、アマンナの追跡を行おうとしても、彼の技量はある程度知り得ている。一日程度逃げ切り、ファナの蘇生魔術を施して貰うまでの時間稼ぎは出来る筈だ。
「だからこそ、メリーへオレに加勢するなと伝えていた。もしメリーが加勢すれば、その時点でお前は離脱していただろうからな」
つまりフェストラは、アマンナとの戦いにおいて彼女を降す事が出来、かつアマンナにも勝機があるという状況を作り出していた、という事だ。
勝機があるという状況であればある程、アマンナにとって今すぐ逃げなければならないという逼迫感は薄まる。だがあまりに手を抜き過ぎれば、それはそれで狙いに気付かれ、早々に逃げられる可能性もあった。
正に絶妙なバランス調整の上に成り立つロジックだと言えるが……しかしまだ、腑に落ちない事もある。
「……メリーの、姿を……晒していたのは……!?」
「違和感だよ。――お前がおかしいと思うだろうピースを三つ用意した」
その際たる例が、メリー・カオン・ハングダムが、手を貸すでもファナの捕縛に動くでも無く……ただこちらを傍観している、という光景だ。
「三つの違和感が、何か分かるか?」
「……展開しないゴルタナ、六体顕現可能にも関わらず三体しか行わない魔術兵の顕現、メリーの傍観、ですね」
「正解だ。それぞれはなんて事の無いピースだが、三つそれぞれがある事により、お前へ強烈な違和感を埋め込み、無意識的に動きを曇らせる」
そう、それぞれ一つずつだけであれば、そう強烈な違和感ではない。
例えばフェストラがゴルタナという魔術外装の展開をなかなか行わなかったのも、よく考えれば緊急時にカウンター目的として用いた方が、アマンナとの戦いにおいては優位性があるから等の理由が思い浮かぶし、そもそもその疑問をアマンナは持ちさえしなかった。
例えば魔術兵を三体しか顕現しないのは、先ほどアマンナが思考したように、ファナの捕縛だけであれば三体も居れば十分。残り三体分のマナと魔術回路については温存している、と仮説を立てられるだろう。
だが、この二つの謎と同時に、三つ目の謎……加勢や別行動が可能なはずのメリーが、ただ傍観しているだけ、という光景は、どう言い繕った所で、正当な理由など考え付かない。
そこでようやく、フェストラの残す三つの違和感・ピースは有効的に機能し……アマンナは動きと思考を鈍らせざるを得なかった、という事だ。





