アマンナ-06
「ほんの、些細な事です。お兄さまがもし、ファナさまやクシャナさまにとっても、尊ぶべき未来を作ると仰るのなら、それを受け入れもした事でしょう」
けれど、フェストラの作ろうとする未来は、違う。
「誰もが幸せになれる未来、誰もが安寧の下で生きる事の出来る未来。ええ、それは、きっと正しい。けれどその未来にクシャナさまとファナさまにとっての幸せは、どこにあるというんです?」
「二人にとって、オレの選択した未来が幸せでないと、誰が決めた?」
「もし、お二人を幸せに出来ると断言できるのなら……今ここで、ファナさまを前にして、自らの計画を、口になさってください。ですが、嘘偽りも、誤魔化す事も許されません」
アマンナの背に守られているファナと、フェストラの目が合った。
しかしフェストラはファナに何という事も無く、ただ口を閉ざして押し黙っている。
「……分かっているのでしょう? お兄さまの望む未来に、ファナさま達の幸せなどないと。それを口にすれば、クシャナさまだけでなく、ファナさまにも拒絶されると、理解している。だから彼女に、何を言う事も無い」
フェストラが作ろうとする未来で、ファナがどんな役割を果たすかは分からない。
しかしファナも、元々ラウラの遺伝子情報を基に生み出された子供であり、新種のアシッド因子を持ち得る死ねない少女だ。
クシャナと同様にラウラを討つ為、シックス・ブラッドという組織で戦い、仲間を癒し続けたという功績を称えられ、もう一人の神とでも称して、クシャナ共々、神王の座に掛けさせる事もあり得るだろう。
けれど、クシャナはそんな未来を、拒絶した。
「クシャナさまは、お兄さまの望む未来を拒絶したと、聞いています。そして、クシャナさまの選択が、未来でどんな結果を産む事になろうとも、アルスタッド家の家族は、受け入れてくれる」
クシャナは、人間社会に、世界にアシッドなんて存在が関わるべきじゃないとした。
だからこそ、ラウラの野望を認める事が出来なかった。だからこそ彼女はフェストラの考えも拒絶し、彼の言葉を受け入れる事は無かった。
――崩壊に突き進むグロリア帝国を守る事が出来る唯一の手段だと、フェストラが選択した道を拒んだとしても。
――その結果に、この国がどんな惨状を引き起こす事になったとしても。
――アルスタッド家の家族は、その結果を笑顔で迎え入れてくれる筈だ。
――家族が決めた事ならば、それを受け入れようと努める彼女達の事を、アマンナは嫌という程、良く知っている。
「お兄さま、わたしは、クシャナさまやファナさまに……沢山、助けて貰いました。お兄さまの事も、わたしの事も」
「ああ、そうだな」
「わたしは、その恩返しがしたいし、お二人から自由を奪うような事は、したくない。しちゃいけない。本当は、戦いなんて知らない筈のお二人に、これまで多くを助けて貰った御恩を、蔑ろになんて出来ない」
「だから、オレと敵対する道を選んだ、と?」
「ええ。――それに、メリーに決意表明を、しましたので」
メリーに決意表明。その言葉には、フェストラも首を傾げた。
「……お兄さまのやり方が、間違いだと、わたしが心で感じた時……わたしが、お兄さまを殴ってでも止める……それが私にとって、お兄さまに出来る事だって、信じていると」
どこからか引き抜いたナイフが、両手に二本ずつ構えられた。そして彼女の力強い視線に込められた殺気が、フェストラの背筋にゾクゾクとした寒気を誘うと、彼は僅かに身体を震わしながら、尚も笑みを溢れさせた。
「……ククッ、本当にお前は、変わったな」
「皆さんの、おかげです」
「ああ、そうだ。シックス・ブラッドの面々を集めて、本当に良かったよ。誰か一人でも欠けていたら、きっとお前はそうして自分の意志を見せる事なんて無かっただろう。オレに敵対する事を、選べもしなかっただろう。……それだけお前を変えさせてくれた者達へ、兄として礼を言いたい」
だが――フェストラもアマンナの決意を認めはしているが、自分の意志を曲げるつもりはないと、そう言わんばかりに右手を高く掲げた。
その掲げた右手に、いつの間にか顕現した金色の剣。そして、抑える事が難しいと言わんばかりに浮かべていた笑みが、剣を握ると共に失われ……フェストラはアマンナへと、殺意の視線を投げ返す。
「オレは兄という立場から、アマンナという妹の自主性を重んじた。しかしその末に、影の王として君臨するオレを、お前は止めるというのだな?」
「……はい」
「ならばこれから先は戦いしかあるまい。オレはお前を降し、ファナ・アルスタッドの身柄を確保する事。お前もオレを止めるか、殺す事が出来れば勝利だ。……それが出来るのならしてみせろ。兄として、試す程度の戯れは、許してやろうじゃないか」
「では……その心遣いに、感謝を。そして」
僅かに、アマンナの右足がズリ、と瓦礫を踏む音が鳴り響いたと思った瞬間。
フェストラは、信じられない光景を目にした。
一瞬、まばたきをしたタイミング、僅かに視界情報がなくなるも、しかしすぐに視界が戻った時には、アマンナの姿が無く、アマンナの背中で隠されていた、小さいファナ・アルスタッドの姿が見えたのだ。
ファナも突然いなくなったアマンナに驚く様に口を開けたが、しかし驚いたと思った次の瞬間には、フェストラの事を見据えて――否、違う。
フェストラの背後へと回っていた存在に、驚愕の表情を浮かべた。
「お覚悟を、お兄さま」
アマンナの声が、耳元で聞こえ、フェストラは慌てて身体を振り回したが、しかし喉元に突きつけられた刃が既にフェストラの首を斬り、彼は声にする事も出来ない悲痛の叫びをあげながら、アマンナの身体を遠ざける。
アマンナは、フェストラの振るった腕から避けるようにバックステップを行うが、しかし血を噴出して僅かに思考能力を失っているフェストラの身体を、一瞥。
血の付いたナイフは投棄、別のナイフを取り出すと、彼女は目にも留まらないスピードで右足の爪先、膝、太腿に向けて三本投げ放った。
軌道は読めていたフェストラは、左足を軸に右足を動かす事でナイフを避けるが、しかしナイフを投げたと同時に再び動き出していたアマンナは、片足を動かして一本足で姿勢を整えているフェストラの肩に左足を乗せながら、右足で彼の顎を蹴り付けた。
「ふ、ぐぅ――ッ!」
顎を強打した衝撃で、一瞬意識を失いかけたが、首の裂傷が生み出す痛みで意識を揺り戻された。
右手の指を鳴らし、出現する六体の魔術兵。バスタードソードを構えた白いコートの魔術兵達が一斉にアマンナへと襲い掛かろうとするが、しかしアマンナは足を乗せていた兄の肩を蹴り付ける事で跳び上がり、再びファナの前に着地した。
彼女は突然、見知った男の首が斬り裂かれた光景に青い顔色をより青白くさせていたが、アマンナが彼女の胸を押す事で、その意識を戻す。
「ファナさま、聖ファスト学院へ、逃げて下さい」
「あ、あの、フェストラさん、大丈夫」
「良いから逃げてっ!」
「ひゃ、は、はいっ」
アマンナらしからぬ大声に、混乱する頭を働かせる事が出来ず、ファナは未だふらつく体を何とか制御しつつ、学院の方へと向けて駆け出していく。
アマンナは、こちらへと向かってくる魔術兵の振るう剣を全て避けながら、そのすれ違いざまに構えたナイフを突き刺していき、順々に消滅をさせていく。
「……全く。お前ほど、敵になると恐ろしい奴もいない」
喉の再生を少しずつ進められ、喋る事が出来るようになったフェストラの言葉。それと共に、今六体目の魔術兵を消滅させたアマンナは額を腕で拭う事で、汗を払った。
「見当違いだったか、お前の体力もマナも枯渇している筈だと」
「いいえ、そほど見当違いであるわけじゃ、ありません……マナはほぼ、使い切ってます。体力も、そう多くあるわけじゃ、ありません」
アマンナが採用している戦闘方式は、あくまで人間が極める事の出来る身体能力の応用だ。魔術的な身体強化もほとんど行っていない。
一瞬の内に消え、フェストラの背後に回ったように見えたのは、それこそ目の錯覚であり、実際には背後に回るまでの間、二秒程の時間経過が存在する。
あくまでアマンナはフェストラのまばたきが行われるタイミングに合わせて彼の視界と認識埒外に退避し、そして彼に気配を悟られぬよう背後へと周り、彼に「一瞬の内に背後へと回り込まれた」と錯覚させる為、耳元で言葉を呟いただけに過ぎない。
足音を鳴らさぬように動くのも、瞬時に人の目に留まらぬスピードで駆け出すのも、シュレンツ分家の人間やハングダムの人間ならば十代で習得を行う【瞬歩】という歩行術であり、ルトやメリーであれば、彼女の動きや行動パターンを予測し行動する事が出来ただろうし、例えばアマンナの行動を未熟者のシニラが視たとして、瞬歩によるものだろうと判断はしただろう。
「……なるほど。暗殺術の恐ろしさを体感させる事で、敵に根源的な恐怖を植え付ける。古典的ではあるが、しかしだからこそ、絶対的な戦闘方式だな」
何せ、人間の有する認識範囲から突如として姿を消し、そして何が起こったかを頭で整理する暇もなく認識埒外から攻撃を与えられるのだ。
その恐怖と合わせ訪れる【死】への恐怖、それが二重に襲い掛かる事により、根源的な生への欲求が全身に伝播し……思考回路を麻痺させる。
「ええ。これまで、思考の伴わなず肉体も強化されたアシッドや、盲目故に様々な感覚を利用し認識範囲の拡大を図ったアスハが相手では、どうしても、時間停止の魔眼に頼らざるを得ませんでした。けれど」
そう――フェストラは違う。
アスハのような認識範囲の広い歴戦の戦士、通常のアシッドのように恐怖心さえ感じる事のない思考の殆ど伴わないアシッドと異なり、彼は認識範囲も常人と同程度である上に、人としての感覚も、思考回路も有する。
なまじ頭の回転が速いからこそ、恐怖心も人一倍強い部分もあり……彼は今、ハァと深い息を吐きした瞬間、大量の汗を噴出した。





