アマンナ-05
今、携帯電話を降ろし、通話を切って、恐らくガルファレットとシガレットによる戦いが行われたのだろう大広間跡まで踏み入った所で……小さな人影がこちらを見て、表情を明るくした光景を目にした。
「あ、アマンナさん……っ」
薄い桃色の髪の毛をツインテール状にまとめた少女、ファナ・アルスタッドは、その煤や埃、砂で汚れ、かつ疲労困憊と言った様子でふらつく足を動かしながら、アマンナへと駆けよろうとしている。
けれど――ファナはそこでふと、足を止めた。
アマンナだけじゃない、まだ別の気配を感じ取ったからであり……そしてその人物は、アマンナがファナへと向ける視線の先、ファナの後方より歩む男。
――フェストラ・フレンツ・フォルディアスだ。
「奇遇だな、アマンナ。ファナ・アルスタッドに何か用か?」
「……お兄さま、こそ」
あっけらかんとした語調で、そう問うたフェストラ。
フェストラの言葉に返しつつ、表情をしかめながら懐に手を忍ばせるアマンナ。
そんな二者に挟まれ、何故フェストラとアマンナの二人が、自分を探しているのか、それを疑問に思うかのようなファナ。
ファナはキョロキョロと二人の顔を交互に見つつ……どこか空気が重苦しいと気付き、声を放つ。
「えっと、その……戦いって、終わったんです、か……?」
まだ戦いがどのような結末を迎えたかさえ知らず、ただ逃げ遅れた人がいないか探していたファナの問いに、フェストラが返答をした。
「ああ、戦いはオレ達の勝利に終わったよ。……ガルファレットの事は、残念であったが」
「……はい」
ガルファレット・ミサンガの死については、アマンナも一応聞き及んでいる。フェストラも同様に、状況は理解した上で、彼の死を目の前で目撃したファナへと「残念であった」と語る。
「しかし、だからこそ果ててしまった命を無駄とするわけにいかない。死者は言葉を語らない。語らないからこそ、その命の意味は、生者であるオレ達が見つけてやるのが何よりの手向けだ」
歩みを止めないフェストラとアマンナの二人に挟まれる形であるファナは、二人の様子がおかしいと気付き、言葉を強くして、再び問うた。
「え、戦いは、終わったんですよね……っ!?」
「そうだ、終わっている」
「……ええ、終わってます」
「なら、ならなんで……二人ともそんな、怖い顔をしてるんですかっ!?」
彼女の叫びに、アマンナが顎を引きながら駆け出した。
まだ僅かにふらつく体、しかしその手に握るゴルタナを放り投げ「ゴルタナ、起動」と口にする事で、ゴルタナが彼女の身体へと展開されようとしていく。
しかし――その寸前、フェストラがアマンナの放り投げたゴルタナの方へと左手を伸ばす事で、その正方形型の個体が溶け、アマンナの身体へ展開されようとしたゴルタナが、不意にキューブ型へと姿を戻していく。
(これが、お兄さまの、ハイ・アシッドとしての能力……っ!)
だが、ゴルタナが展開出来ない程度が何だと言わんばかりに、アマンナは足を止める事無く、足音さえ残さない瞬歩でファナの眼前まで駆け寄ると、彼女の身体を抱き寄せ、バックジャンプ。
フェストラから距離を離したが……しかしフェストラは無理にその距離を縮めようとしているようには思えなかった。
「お前はやはり、その道を選ぶか」
「……幻滅、されたかも、しれません」
「するものか。通信で語っただろう。オレはお前がどんな選択をしようと構わない。オレがお前の敵対を想定していなかったとでも思ったか?」
むしろフェストラという男は、アマンナの行動に喜んでいるかのように、笑みを浮かべてクククと声を漏らす。
「……ごめんなさい、ファナさん。イザコザに、巻き込んで、しまって」
「あの、何が……アマンナさんとフェストラさんに、何があったんですか……!?」
「それは、後でご説明します。……わたしが、お兄さまを止めた後で」
抱き寄せ、フェストラから離れさせたファナに謝罪するアマンナ。ファナを降ろし、自分の背中で隠すようにして……アマンナはフェストラと、相対する。
「オレを止める、か。大きく出たなアマンナ。オレと敵対するかを悩んでいた筈のお前が、そう思考を至らしめた理由を教えてくれ」
「……その前に、問わねばならない事があります。お兄さまは何故、ファナさまの身柄を確保しようと?」
何が起こっているか、理解していないファナ。
フェストラが何故彼女を狙うのか、アマンナとしてはそれを、問わねばならない。
「ファナ・アルスタッドは第七世代魔術回路を有した特別な存在だ。この情勢不安の状況において、どんな輩がその小娘を狙うか分かったものじゃない。身柄の確保は最優先で行われるべきだと判断したまでだ」
「……それだけが理由じゃ、ない。お兄さまは、ファナさまが敵に回るよりも前に、自分の手中に収めておきたかった……違いますか?」
アマンナは自分の右目に手をかけ、そのまま前髪をかき分けるようにして、持ち上げた。その手にいつの間にか用意されていたピンがアマンナの前髪を頭頂部で固定し、その綺麗な瞳を曝け出す。
「今のファナさまは、ガルファレット先生とシガレットさまの戦いにおいて、重要な役割を果たした……遠隔発動による蘇生魔術の連続発動、それによるマナの枯渇……しかし、マナは一日も経過すれば、また補充がされていく。今も、後一回程度なら、発動は出来る……かもしれない」
チラリと、アマンナの視線がファナへと向けられると、ファナは僅かに表情を青くしながらも、しかしある程度は体力とマナを回復させているように思える。
アマンナの言葉通り、遠隔発動ではない蘇生魔術を、後一回程度ならば、発動可能かもしれないとアマンナは見るが……しかし、それは危険な考えだ。
マナの完全枯渇は、魔術師の生命維持や肉体の行動に支障を来たす可能性が高い。ファナの安全を鑑みれば、それは避けねばならないだろう。
「お兄さまが真っ先に動いた理由は……ファナさまの身柄を、わたしが確保し……わたしが完全に復活するのを、防ぐ為」
「何故、そう考える?」
「お兄さまの固有能力……【平伏】を唯一、破る事の出来る人間が、わたしだから。そして……【平伏】を破る事が出来れば、わたしはお兄さまの首を……獲るのが容易い事だから」
首を獲ると、アマンナは言い切った。彼女の物言いに、フェストラは今まで浮かべていた笑みをより深く、大きな音として漏らし始め、最後には我慢が出来ないと言わんばかりに、声を上げ始めた。
「ハハハッ! アマンナ、お前随分と頭が回る! いや違うな。元々お前は頭が回る子だ。これまでオレが思考を巡らせる事で、お前は自分が思考を巡らせる事に意味を見出さなかっただけ。それが本来のお前であり、今回の事態を経て、そうした成長も遂げたと言えよう!」
「お答えを、お兄さま」
「お前の言う通りだよ。お前が不干渉の魔眼を持つ限り、オレの固有能力はアマンナに対して発動しない。アスハの【支配】がお前に有効で無かったようにな」
アマンナには二つ、特殊な力が備わっている。
一つはその右目に宿る【時間停止の魔眼】、これはマナと体力の双方を極度に消費する代わり、止まった時の中でアマンナだけが自由に行動が出来るようになる発動型魔眼で、アマンナは暴発を除き自分の望んだタイミングで、時間を止める事が出来る。
止まった時の中で動く事が出来るのは、同じ時間停止能力を有する人間か、そもそも時の流れに支配されない存在と言えるだろう。しかし、そんな存在はあり得ない。
アシッドとしての力に、優秀な人間としての技術を有するフェストラを以てしても、彼女の時間停止を防ぐ手立てはない。
そしてもう一つが――【不干渉の魔眼】、これはアマンナの左目に宿る特殊能力で、左目が開かれた状態で在る場合、他者のあらゆる干渉術から逃れる魔眼であり……逃れる対象は魔術だけでなく、あらゆる能力に適用される。
例えばフェストラの言う通り、アスハの有する【支配】能力は、対象と目を合わせる事で他者を支配状態に陥れ、彼女の意のままに操る事が出来るが、しかしアマンナは左目が解放状態にある場合、彼女の能力を弾き、支配状態に陥らない事が出来る。
フェストラの有する能力【平伏】も、他者の有する力への干渉能力だ。先ほど機能を停止させたゴルタナはアマンナ本人の魔術でないからこそ平伏能力を適用できたが、しかしアマンナ本人には、平伏能力を適用させる事が出来ない。
平伏状態を適用できないという事は……アマンナが有する最も危険な力である【時間停止の魔眼】を防げない事を意味する。
「だから、お前が完全復活を遂げる前に行動を起こし、お前を捕えるか、仲間へ引き込むつもりだった。そして、お前を即時復活させる事が出来る力の持ち主、ファナ・アルスタッドも早々に手中へ納めようとした、というわけだな」
「けれどわたしは、お兄さまから離反した」
「そう、そこだよ。オレが兄として聞きたいのはな。……アマンナ、お前は何故、オレと道を別つと決めた?」
先ほどもフェストラが言っていたように、彼はアマンナが離反した事に対して、幻滅も困惑も無い。
むしろ、こうして敵対する事が分かっていたからこそ、彼は率先して最恐の存在と彼女と至らしめる事が可能なファナの身柄を確保する為に行動を開始したのだ。
だが……それでも知りたいと、フェストラは感じたのだ。
あれだけフェストラの後ろにただついてくるだけしか出来なかったアマンナが。
兄という存在に心酔し、狂信し、自分の心を決めた後も、大切な兄と共に戦う事を決意していた筈のアマンナが……フェストラという兄と敵対するに至った、心の分岐点が何であったのか。





