アマンナ-04
フェストラは、随分と素直に物事を口にするようになったと思う。
昔の彼であれば、こんな事は絶対に口に出さなかった筈だ。
だがそれも、当然の事かもしれない。
フェストラは、産まれながらにして、王となる事を強制されていた男だ。
王となる未来が確立していた筈の彼にとって、自分以外の存在は下であると、王である人間はそれ相応の振舞いをと、要求される。
それも彼が着任する筈であったのは、ただの国王ではない。他国にその名を轟かせる事で権威を示す帝国王だ。
自分と同じ位に無い者と共に在る事は許されず、普通の人間として生きる事さえ許されない存在こそが帝国王という存在であり、民からそうした在り方を願われると知っていたからこそ――フェストラは王となる前から、家族であっても一定の距離を置いていたのだ。
しかし今、彼はそうしたしがらみから逃れたばかりか、今度は彼が影としてこの国を支える存在になると決めたのだ。
そうなれば、今まで抑圧していた家族への心情を、素直な言葉にしても良いだろうと思っても不思議ではない。
『オレはな、アマンナ。お前という妹が、自分の意志で行動出来る人間に育ってほしいと願った。シュレンツ分家の人間としてとか、妹だからとか、そんな約定や常識なんて放り捨ててくれて構わない、自分の意志を示せる人間になってほしい、とな』
だが、そんなフェストラの願いとは裏腹に、アマンナという妹は、兄であるフェストラに妄信した。
否、違う。
『妄信した』ではない。
『妄信するしかない』程に、彼女はフェストラという人間しか、与えられてこなかったのだ。
自分の生きる理由を。自分が生きて果たさねばならない使命しか与えられず生きてきた人間に、それ以上を求めるのは酷な事だっただろう。
そんなアマンナ・シュレンツ・フォルディアスという人間を、フェストラ・フレンツ・フォルディアスという人間を、変えてくれた存在がいた。
アマンナにとってそれは、ヴァルキュリア・ファ・リスタバリオスという少女であり。
フェストラにとってそれは、クシャナ・アルスタッドという少女であった。
『オレの願いは叶った。お前はオレに妄信するだけじゃなくて、お前自身の事を願ってくれる仲間を、慈しむようになった。……しかし、そのキッカケになったのは、不本意ながらリスタバリオスと、あの庶民だったわけだ』
「……わたしは、お兄さまの事を今でも、お兄さまとしてお慕いしています」
『だが今のオレを慕い続けるべきなのか、迷っている。……そうだろう?』
――それもまた、その通りだ。アマンナは目を閉じ、唇を噛みしめた。
『良いんだ、どれだけでも迷えばいい。その度に自分で悩み抜いて、道を決めればいい。それが誰しもに与えられた生き方だから』
これまでの戦いで、アマンナは悩む事を覚えた。
兄を守るという使命だけを与えられてきたアマンナが、その使命から脱し、自分が何をしたいのか、何をしなければならないのか、その選択が、出来るようになった。
悩みながら、悔やみながら、それでも選択を出来るようになったのだ。
例えば、結果としてアマンナの選択が、シニラという子供を守る行為が、母であるルトを殺してしまった事もある。
けれど、そうして選択した事を、母は、ルトは褒めてくれた。
自分にとって正しい事を成そうとしたアマンナを、自分で正しさを求めようとした娘の行動を、ルトは「嬉しい事だ」と、頬を撫でてくれたのだ。
それが成長と言わなければ……むしろルトは、母は悲しむだろう。
『お前はもう、オレが守らなきゃいけないような妹じゃない。もう、自分の力で前を向いて、自分の為に生きる事が出来る女になったんだ。これから先の未来も、お前が決められるさ。……ルトもアンスも、お前がそう育ってくれて嬉しいと、笑ってくれているよ』
二人の母親。アマンナにとって数少ない、かけがえのない家族が喜んでくれていると断言したフェストラの言葉に……アマンナは噛みしめていた唇から歯を離し、前へと歩み始めながら、問いかける。
「お兄さま、ルトさまは……ルトお母さんはどうして、わたしが娘である事を、黙っていたのですか?」
『ルトの望みだった。その真実は墓場まで持っていくと、お前にとっての母は、アンス一人で十分だ、とな』
アマンナが歩き出す音に合わせ、携帯電話の収音性が優秀であるが故か、フェストラが歩き出したような環境音も聞こえる。
きっと彼も、アマンナが歩き出した事を察している事だろう。
「お母さんは、アンスお母さんは、どうして……ルトお母さんの冷凍卵子を使って、わたしを?」
『理由は二つある。一つは、子を欲しがっていたルトの願いを親友として叶えてあげたかったから。そしてもう一つは、アンスも不妊症で、子を産めなかったから』
アンス・シュレンツ・フォルディアスが不妊症であった事は、アマンナも知らない事実だった。
フェストラはこれまで語れなかった事を悔やんでいるのか、それとも良い機会だと思っているのか、それとも別の理由か、そのまま語り続けた。
『オレ達にとっての親父……ウォリアは第六世代魔術回路の子を作る事に躍起となっていた。オレの母上であるセインツとお前の母親であるアンス、二人の第五世代回路、そして自分の第五世代回路を配合させる事で、それぞれ性質の異なる第六世代回路の子を作り出す予定だった』
「けれど……アンスお母さんは、不妊症だった」
『そうだ。親父は何としてでも、第六世代回路の子を生み出そうと必死だった。だからアンスに多額の金を費やして不妊治療を施したが……残念な事に、効果は思ったよりも見込めなかった』
「アンスお母さんは、だから……ルトお母さんの卵子を、欲しがった……?」
『否定はしない。その想いがあった事に違いは無い。どんな形であれ子供が欲しいと願い、本来はルトの卵子であっても、自分が産み落としたいと願ったのは事実だろう』
フェストラの周囲に、一瞬風が吹き荒れるような音が聞こえた。アマンナの身にも、風が吹きつけられた。きっとフェストラも帝国城から出て、自分と同じ、首都・シュメルに立ったのだろうと分かる。
『だが同時に、ルトの事を想ったのも事実なんだ。あの二人は幼い頃から互いに切磋琢磨し、ハングダムの技術を高め合った親友だと聞いている。長い時を共に歩み、怒り合ったり、苦しみ合ったり、笑い合ったり……そんな時間を共に過ごしたルトの願いを叶えたい、そして自分の願いも叶えたいと、藻掻きながらも求める彼女の事を、オレは尊敬さえしている。強い女性だよ、お前の母親達はな』
その言葉に嘘は感じられない。むしろ彼の苦笑めいた言葉は、己がどれだけ矮小な人間なのかと、自分を卑下する意味さえ込められているような気がした。
「……お兄さまは、それを何時知ったんです?」
『オレ達が八歳になる前の事だ――アンスとルトの二人から聞いた』
「それは」
『ああ。オレ達の親父が……そしてお前の母親であるアンスと、オレの母上であるセインツが死ぬ、数ヶ月前だ』
フェストラとアマンナにとっての父、ウォリア・フレンツ・フォルディアス。
フェストラにとっての母、セインツ・フレンツ・フォルディアス。
アマンナにとっての母、アンス・シュレンツ・フォルディアス。
三人は、東方国・ニージャとの貿易同盟締結に向けて出航した船の沈没によって、命を落とした。
『あれは貿易同盟締結を阻もうとしたニージャによる暗殺だったとか言われているが、そんな事はどうでも良い。アンスは自分の死期を悟っていたかのように、ルトとオレを呼び出し、真実を語ったんだ』
「……何故、お兄さまにだけ?」
『さっきも言ったが、ルトがお前に真実を語りたがらなかったからな。そんなルトの想いを無下にする事は出来ないとしたアンスは、けれどせめて、真実を一人でも多く知っていて欲しいと願い……オレに語ったんだ』
フェストラが八歳になる前、まだ七歳という幼子へ語るには、早すぎるようにアマンナは思えた。
しかしフェストラは、当時から賢い子供だった。人間の生殖についても既に知り得ていたし、そもそもアマンナが何故第六世代回路を持たないのか、その原因を探求さえしていた程だ。
むしろ彼から、アマンナの真実を知りたいと望んでいた。そう言っても過言ではなかった。
『オレも、真実を知れて良かった。二人には感謝してもし切れない』
「……何で、真実を知れて、良かったと、言うんです?」
『大好きな妹の事を、一つでも多く知れたんだ。兄として、こんなに嬉しい事は無い。むしろ、何でもっと早く言ってくれなかったんだと、憤慨した位だ。……妹馬鹿のクシャナをバカに出来んな。大概気持ち悪い奴だ、オレという兄貴は』
けれど、それがフェストラという兄の本心だったのだ。
大切な妹、幼い頃から自分が守らなければならないと誓えた存在、そんな彼女の事を、一つでも多く知っていたいと、フェストラは願っていたのだ。
『アマンナ。お前は、お前が大切に想った皆から、愛されて育ったんだよ』
「……はい」
『でも同時に、お前がオレへ執着したのは、オレ達の罪だ。お前を愛していたからこそ、お前への想いを、真実を告げる事が出来なかったからこそ、お前を一人にしてしまった。オレを守るという使命しか、お前に与える事が出来ずにいてしまった』
「いいえ……いいえっ、罪なんかじゃ、ありません。あってたまるものですか……!」
『お前がそう言ってくれて、嬉しい。けれど言わなきゃならないんだよ。……本当にゴメン。そして、ありがとう、アマンナ。
オレは、ルトは、アンスは、アマンナの事を誰よりも愛している。お前がどんな未来を選択したって、オレ達はお前を愛し続ける。それだけは……伝えたかった』
彼の本心を。
母親達の想いを。
三人の心を。
アマンナは、最後まで聞き続けて……その上で、枯れるほど泣いたと思った瞳に、また涙が潤んだ。
けれどアマンナは――前を向いて、歩みを止めずにいる。





