アマンナ-03
アマンナは永久の眠りに就く母の手を握り続けながら、兄であるフェストラの野望を、カルファスより聞いた。
不思議と、驚きはしなかった。
兄は……フェストラという男は、常に何百手も先を見据えて行動を起こす男であり、彼がラウラという敵を倒す事だけに意識を傾倒させていたわけはない。
むしろ彼は、ラウラを倒した後、つまり彼が亡くなり崩壊に進もうとするグロリア帝国という国家の再建を、如何な方法を用いても果たそうとするだろう、その方法を考えていない筈もないと、そう理解していた。
勿論、その方法……彼がハイ・アシッドとなる事で永遠の命を手に入れる事も、クシャナというラウラの娘を飾り物の王とするというやり方には心底驚きはしたものの、しかし方法に驚くだけだった。
だからこそ問題は、そこじゃない。
「……カルファスさまは、お兄さまのやろうとしている事を……止められないのですか?」
「止めようがない、が正しいかな。勿論、気分は良くない方法だけど……むしろ、彼のやろうとしている事は、表面上だけを見ると、世界的に見ても歓迎されるべきだからね」
元々のグロリア帝国という国は、その帝国主義国家としての在り方故、他国との対等な国交関係を結ぶには難しい立場にあった。
しかしクシャナがお飾りの王として君臨する事に加え、今回の事件が産むだろう国民の感情によって変わりゆくグロリア帝国の未来は、帝国主義からの脱却。
帝国王による独裁体制国家ではなく、民衆の代弁者たる議員制、国会の承認決議が必要な民主主義国家への移行という未来によって、グロリア帝国は他国との関係改善にも乗り出し、またこれまでは国勢が故に決議が出来なかった、レアルタ皇国主体の国際連合協定への加盟もあり得るだろう。
その上、民衆の投票や推薦などでどんな人間が議員として受け入れられる事になろうと、それを影で動かすのはフェストラだ。彼らならば自分の在り方を如何様にも誤魔化しつつ、他者を自分の思い通りに動かす事が出来る。
そのやり方を決して好ましいとは思わないが、しかし国際社会としてはそれを望まれ、そしてフェストラは望むように動きながら……国際社会に参画した上で、彼らを出し抜く事も出来るだろう。
「これ以上私に、出来る事は無い。レアルタ皇国のお姫様としての私は、もう手が出しようもない状況にされた。ホント、ムカつく。ムカつくけど、私には何も出来ない……!」
カルファスに出来たのは、彼女が巻き込んだレナを一旦、この場所に逃がす事だけ。
ここから先、本当の意味でカルファスはグロリア帝国の内政に関し、不可侵を誓わねばならない。
そうでなければ、カルファスが本来守らなければならないレアルタ皇国という国とグロリア帝国の関係を瓦解させる事にも繋がってしまう。
国政に関わる人間として、それだけは許される事じゃない。
「私から言えるのは、これ位。……それと、シックス・ブラッドの面々が、どうなったか」
その言葉には、アマンナも視線をルトから外し、カルファスを見た。
顎を引いて、覚悟を決めたように……反してカルファスは、表情をしかめながら唇を噛み締め、事実を告げる。
「ガルファレットさんは、死んだ。……シガレットさんに殺される事で、彼女を止めたんだ」
覚悟はしていた。けれど彼女は、その言葉を聞いて言葉を失い、何を言う事も無かった。
シックス・ブラッドの中で唯一、大人として皆を導いたガルファレット・ミサンガという男が、死んだ。
それは、シックス・ブラッドという組織における内部関係を、崩すに相応しいダメージであると言ってもいいだろう。
「ヴァルキュリアちゃんは、希釈化アシッド因子を取り込み過ぎた影響で、完全なるアシッドと化した。今は疲弊して学院の避難所で眠ってるけど、しばらくすれば目を醒まして、戦えるようにもなると思う」
机に立てかけるように置かれたグラスパーに手を当てるカルファス。そのグラスパーが誰の物か、それを口には出さなかった。
「……ファナさまは?」
「ファナちゃんは、シュメルの街を歩き回って、逃げ遅れた人がいないか探してる。けど、もう蘇生魔術を行う程のマナは無くなってる。回復には、一日は少なくとも必要だと思う」
「まだ、アシッドの生き残りがいるかもしれない……いかなきゃ」
迷いはあるかもしれない。しかし、生き残った仲間であるファナを守る為にと、ゴルタナを握りしめて立ち上がったアマンナ。
彼女はルトの亡骸、その手に軽く口づけをして……瞳から一筋の涙を再び流したけれど、すぐにそれを拭って、特殊準備棟より出て行こうとする。
「アマンナちゃん」
「……なんでしょう」
彼女を止めるカルファス。しかし、行動するなと言っているわけではなく、あくまでまだ、問うべき事があるだけだ。
「アマンナちゃんはこれから、どうするの?」
「……分かりません」
分かる筈もない。母と知った瞬間にルトを失い、信用できる大人であったガルファレットも死に、その上で兄は世界を変革させる為に行動する。
その行動が正しいものであるのか、それとも間違っているのか、それを定めるだけの知識も、代案も持たないアマンナにとって、これから先の事を考える余裕もない。
「分からないけれど、でも分からないからって、何もせずに塞ぎ込んでいるなんて……出来ない。そんな事していたら、お母さんに、怒られちゃうから」
「……そっか」
「お母さんと、レナさまを……よろしく、お願いします」
それ位は、カルファスも手助けしてくる事だろう。
アマンナはまだ僅かにふらつく体を制御しつつ、特殊準備棟から出て、外の状況を見据えた。
首都・シュメルの人間を多く招き入れ、避難所として機能している筈の聖ファスト学院だったが、しかし外はグラウンドの一部にシートを敷かれ、そこに僅かな避難民が横になっているだけだった。
学院校舎を所せましと使っているのだろう。どこかにヴァルキュリアはいるかもしれないが……彼女は寝かせておくことが良いだろうとして、アマンナは裏門に向い、裏門の警備をしていた帝国警備隊の目を掻い潜って、外へと出た。
人っ子一人いない、首都・シュメル。戦いの傷跡が至る所に垣間見え、中にはアシッドの頭だけが失われている光景が、再び戦場に戻ってきたという感覚さえ取り戻させられる。
(アマンナ、死体は見慣れておきなさい)
懐かしい、過去の事を思い出した。
まだアマンナが七歳にも満たなかった頃、ルトの下で対魔師としての訓練を受けていた時の事だ。
(貴女はこれから、フェストラ君の下で彼の手足となって、彼を守る責務を与えられる。きっと、人を殺す事も、人が死んでいる光景も多く目にするわ)
反政府組織の調査及び淘汰にアマンナを引き連れ、彼女の前で鮮やかな手際を用い、首を掻っ切り、血を噴出させ、殺める姿。
その光景を見てアマンナは思わず目を逸らしてしまったが、しかしルトはアマンナに (見ろ)と命じたのだ。
(いい? 私達は、人を殺める事さえも必要であればしなければならない。けど、人を殺める事の出来るのは、自分も殺められるかもしれないという、覚悟を持った人間だけよ)
人殺しの極意を口にしている筈なのに……ルトの声は優しかったと、アマンナは記憶している。
(何せ、向こうだってただ殺されてくれる筈もない。自分に出来る全力を以て、こちらを迎え撃とうとしてくる筈。その末に、殺されてしまう事だって、往々にしてあり得る。だから殺される事も覚悟しなければならない)
否、違う。当時はそんな事を考える余裕も無かった。
思い返す中で、彼女がそうした言葉の中に、優しさを含ませていたと、理解できただけの事だ。
(でも私達は生きなければならない。生きなければ、大切な人は守れない。守るべき人も守れない……人の生き死にで目を逸らし、自分の命を危険に晒す事は、貴女の大切なお兄さんを、遠からず危険に晒す事なのだと、覚えておきなさい)
あの時、ルトはどんな思いで、アマンナに技能や覚悟を教えていたのだろう。
そこには母親としての想いがあったのか、それともただ、アマンナをシュレンツ分家の人間として適した存在に育てあげる決意だけがあったのか。
その答えは、もはや誰にも分からない。
分からない事を考え込んでいても仕方がない。アマンナはファナを探す為に歩き出そうとするが……しかしそこでポケットに入れていた、メリー達より通信用として与えられていた携帯電話がブルブルと振動している事に気が付いた。
日本製の携帯電話に、グロリア帝国にて用いられるグロリア語の文字データなどある筈もなく、画面には受話器のアイコンと共に『フェストラ』とカタカナで名が表示されるだけ。
まだ「あいうえお」でさえ教わっていた最中であるアマンナにカタカナが読める筈も無い。
しかし、この状況で、そしてアマンナに通話をかけてくる人間など限られている。
通話ボタンを押し、教わっていたように通話口を耳と口に近付け、問いかける。
「……お兄さま、ですか?」
『カルファスから、事については色々と聞いているな?』
無事か否かを確認する事も無く、フェストラはそう問うた。
アマンナは無言を返答とすると、通話越しの彼は僅かに語調を鎮めながら、アマンナへと言葉を投げかけた。
『オレも、ルトの事はメリーから聞いている』
「お兄さまは、お母さんの事を」
『ルトから聞いたか?』
「……はい」
『そうか。打ち明ける事が出来たんだな、ルトは。それだけでアイツにとっても、十分に救いだろう』
僅かな沈黙があったけれど、その沈黙はフェストラによって破られた。
『アマンナ、お前はどうしたい?』
「……どう、したい?」
『オレはお前に、オレのやり方を強制するつもりはない。どうせ表舞台から姿を消すんだ、オレの影役などいらんし……そもそもオレは、お前をそうして影として使役する事を、好ましく思っていなかった』
「……なら、どうしてお兄さまは、わたしをお傍に置いて下さったんですか?」
『言わせるなよ、そんな事。……大切な妹を、守れる場所に置いておきたかった。それだけだ』





