アマンナ-02
誰もが彼の言葉に押し黙り、異論はないと無言で訴える中……一人だけ、オズオズと手を挙げた。
シニラ・ケオン・ハングダムだ。
「……その、異論ってわけじゃ、ないんです、けど」
その場にいた一同は、一斉に心の中で(愚か者が)とでも思った事だろう。
しかし、そうして手を挙げるシニラに対して、フェストラは先ほどまでの威圧感を感じさせぬ柔らかな言葉で、彼の下へと歩み寄り、腰を下げる。
「どうした、シニラ」
「えっと……その、クシャナさんという女性は、ホントにそれを、望んでいるんですか?」
幼子の何気ない疑問のこもった言葉。その言葉に、メリーもフェストラも、思わず笑みを浮かべてしまう。
「お姉さんは、実の父親である、ラウラ王と戦ったのですよね? それは何というか、月並みな言葉ですが、とてもお辛い事だと、思います……でも、でもだからこそ、お姉さんの意志を尊重してあげるべきだって、そう思うんです」
幼いからこそ、何と言葉を選べばいいか。それが理解できずとも、しかし自分の言葉をと藻掻く姿は……フェストラにとってもメリーにとっても、好ましい。
「おいハングダム、余計な事を言うな」
リングームがそう声を挙げ、何とかフェストラの気が変わらない内に話を終わらせようとでも思ったのだろう。
だがフェストラはそんな戯言に対して「問題はない」と応じた後、シニラの頭を撫でた。
「シニラ、お前はアマンナよりしっかりとしているよ。……ルトが亡き後も、ハングダムは安泰だ」
ルトが亡き、という言葉に、シニラが口を結んで、また押し黙ってしまう。
自分の命が助かった理由、アマンナという娘を守る為に命を投げ出した、戸籍上の姉にあたるルトは、彼の事を可愛がっていて、シニラもルトの事を尊敬し、彼女のようになると訓練に励んでいたと、フェストラも聞き及んでいる。
「お前の言う通り、クシャナ様はまだ帝国王として着任なさる事に不信感を抱いている。帝国王となる事もそうだが、そもそもアシッドという不老不死の力を持つ存在が、人間社会の王に君臨して良い筈がない、ともな」
素直に答えたフェストラの言葉に、周囲の者達も僅かにざわめく。
全てがフェストラによる虚言ではないのか、しかし今までの話が本当ならば、フェストラの言う通りの事態が起きかねない、と考えるざわめきなのだろうが、フェストラからすれば彼らのそんな騒々しさは意に介する必要もない。
「それに彼女は、これまでそうした人を束ねる立場にならなかった。急に帝国王になれと言われて、はいそうですか、と納得出来る筈もないだろうよ」
「なら」
「だがなシニラ、事はそんな簡単じゃないんだ。この国の再建を早期に果たす為には、絶大なる求心力が必要だ。そしてクシャナ様にはそれだけ民の心に訴えかける力がある。彼女の意志に関係なく、それは果たして貰わねば、多くの人間が不幸となるんだ」
「でも……多くの人間が不幸にならない為に、お姉さんは不幸になるの……?」
純粋なる子供の瞳。
迷いも、分からぬ事もある。
けれどそれを捨て置いて、大人の言葉にただ頷くだけでいたくないという、純然たる想いを以て問われた言葉に……フェストラは首を縦に振った。
「そうだ。覚えておけ、シニラ。国とは人々が住まう地であり、国を守るというのは一人でも多くの生活を守る事だ。一人を不幸にする事で多くの幸せを守る方法があるのなら、それを成すのが、オレたち為政者の仕事だ」
それは、大人の……そして為政者としての理屈である。
多量を守る為に少量を殺す。
マジョリティの生活を守る為にマイノリティを押さえつける。
どちらも他者の心や体を侵害する行為ではあるけれど、多数を守るという決意がある事に変わりはない。
それを選択する必要のない時代である事こそが好ましいと誰もが理解しているが、しかし選択しなければならない時もあって……今は、そうしてクシャナという存在を犠牲にする事でしか、国の早期再建は果たせない時だ。
フェストラは……そうしてクシャナという女性を一人、犠牲にする事で、多くを救う為の選択をした。
しかし、それを心のどこかで認めたくないとするシニラの想いは、間違っているのかと問われれば……フェストラはそれにだって、否と言おう。
彼の想いは、為政者として間違っているのかもしれないが……しかし「一人の人間として」見れば、誰よりも正しくて、誰よりも美しい在り方なのだから。
「それに、だ。オレは別に、クシャナ様を不幸にするとは一言も言っていない」
シニラの頭をひとしきり撫で終わった彼は立ち上がり、彼から視線を外して、誓いを立てるかのように声を整え、放つ。
「オレが、不幸に等させない。帝国王になる事が不幸な事だと彼女が思っても、それを覆す程の幸せを、オレが彼女に与えてみせる――それが、オレの果たさねばならない事だ」
彼の言葉には、力が込められていたとシニラにも理解できる。
けれどその言葉に込められていた力は……どこか弱弱しくも感じる。
(この人も、迷っている……?)
子供は純粋だ。他者の理想や願いを全て察する事は出来なくても、どこか言葉の節々に、その人の想いを垣間見る事が出来る。
そんなシニラから見て――フェストラという男は、迷っているような気がした。
何に迷っているか、それは分からないけれど、少なくとも……メリーと呼ばれる男より、フェストラはよほど人間らしいと、彼は感じた。
シニラとメリー、戸籍上は兄弟にあたる二人が、目を合わせる。
互いに存在そのものは認識していたが、しかし実際に会った事は無く、父方の血が繋がった家族であるという感覚は薄い。
だからこそだろう。シニラはメリーという男の瞳が、どこか苦手に感じて……合わせた視線を逸らしすのである。
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アスハ・ラインヘンバーは帝国城内に落ちている、ラウラによって用いられていたアシッド・ギアの回収業務にあたっていた。
死体や死骸だらけ、しかも瓦礫が散乱する今の帝国城内で、アシッド・ギアという小さなデバイスを発見するのは骨が折れるが、しかしそれ単体が有する危険性に合わせ、流出する事で何かの犯罪等に用いられる事は避けたいというフェストラの意向には同意出来たからこそ、彼女はそんな地味な作業に没頭する事が出来る。
それに……単純作業であればあるほど、思考に意識を集中させる事が出来る。
『アスハ、フェストラ様はクシャナ君を……否、クシャナ様を帝国王とし、フェストラ様が裏から全てを牛耳る事に必ず成功する』
それは確かに理想とした国の在り方なのかもしれないと、アスハにも理解できる。
そもそもアスハがラウラという男に対して敵と認識していた理由は【死ねない存在】として君臨し、全てを律する事を目的としていたラウラの言葉に対し、民衆が否を突きつける事が出来ないよう、無意識の恐怖を植え付けるやり方が気に食わなかったからだ。
対して、フェストラのやり方は違う。死なぬ王として君臨するクシャナは、あくまで象徴として祀り上げられるだけ、彼女が国政に参加する事は無く、ただ民衆の行いを見ている……まさに神と呼ぶに相応しい、信仰を注がれるに相応しい存在になるだけだ。
フェストラも表舞台から一切姿を消し、ただ裏で為政者を動かし続ける。表舞台に立たぬからこそ、民衆の不安をあおる事も無い。
であるならば、ラウラの統治に懐疑的でありながらも、やり方は理に適っていると認めていたアスハに……彼のやり方を否定する理由はないのだ。
『フェストラ様は間違えない、フェストラ様は大局を見誤るような方ではない。我々にとって、理想の王だ。ドナリアの目指した、強くて正しい国家としての在り方も、きっと、彼なら造り上げてくれる。何年、何十年、何百年経とうと』
正しい筈だ。それをアスハも望んでいた筈だ。
多くの仲間を犠牲に、その犠牲に対して何をしてやる事も出来ず、ただ彼らの無念だけを背負い続けてきたアスハにとって……クシャナが表の王に、フェストラが影の王として君臨し、この国に永劫の安寧を与えてくれる事こそが、唯一両肩に背負った罪を下ろす事になる筈だと、理解している。
けれど……心が躍らない。
「クソ……ッ!」
廊下の瓦礫、その下からアシッド・ギアの気配を感じ、苛立つ気持ちを収める為に振るった拳が、瓦礫を粉々に砕いた。
その下より拾い上げたアシッド・ギアをポーチに仕舞い込むと、彼女は自分の目に手を当てて、自らの固有能力である【補助】を発動。
盲目の目に映る、数学情報を統括した視覚情報。それが、数多の瓦礫や血飛沫、死体や死骸のたむろする一面を映しだし……アスハの気分を悪くさせる。
「美しくない……心が躍らない……」
勿論、この光景を作り出したのはラウラであり、フェストラやメリーの目指す世界に、こんな凄惨な光景が広がっているとは思っていない。
けれど、アスハが感じているのは、そういう事じゃない。
「……私は、何を以て、何を見て……美しいとするのだろう、心を躍らせる事が、出来るんだろう」
正しい事こそ、美しい筈だと。
正しい事こそ、心躍る事であると。
アスハがそれまで考えていた想いとは、何もかもが違った。
けれど、フェストラが下した決断は、メリーが信仰するフェストラの理想は、アスハにとっても正しいと感じているにも関わらず、彼女は心の底から、それを望めないでいる。
「分からない……分からない……っ」
嘆きはするけれど、しかし答えは出ない。
ならば自分に出来る事は……信じた男の命令を聞く事しかない。
普段より重々しい身体を何とか動かしながら、アスハは帝国城内の徘徊を再開する。
アシッド・ギアは総計三十七本、見つける事が出来た。





