王-12
フェストラという男が、クシャナという女に対して、ここまで求めるような言葉を告げた事は、あっただろうか。
「フェストラ……お前、まさか……私の言葉が」
けれど……確かにこれまでの中で、その兆候はあった。
フェストラという男は確かに、これまで自分一人で様々な困難に立ち向かってきた。
幼い頃から帝国王となるべく叩き込まれた教育も、現場で叩き上げられる事で育った経験も、それは全て彼が一人で生きる上での困難と向かい合い、戦ってきたからであると、理解している。
勿論、自分の使える手駒は使うし、シックス・ブラッドという仲間を率い、彼ら彼女らの力を最大限利用してきた事も分かっている。
けれど彼は、他の為政者と大きく所があった。
彼は――不器用で、優しい男だったのだ。利用する者の想いや願いも理解し、それを果たしてやりたいと思いながら、しかしそれを正直に口にする事が出来ない男。
クシャナという女が、同胞であるアシッドの対処が可能であると知り、しかし彼女がその過去に傷を有する女であるとも知ると、彼はクシャナと利害関係である事を強調しながら、協力を呼び掛けた。
正直に「お前の力が必要だ、助けてくれ」と言えなかった。
彼は、不器用だったから。そして、クシャナに対して罪悪感を抱いていたから。
だからクシャナとフェストラという二人は、互いに協力し合い、クシャナは報酬を、フェストラはクシャナという戦力を得る事で、互いに利害がある関係となり、一線を引いた距離に居た……筈だった。
しかしその一線が、クシャナの放った言葉によって、取り払われたのだ。
「私の言葉が……お前をそうしたのか……っ!?」
あの時から、彼の全てが狂ったのだ。
クシャナが、フェストラの前に立ち、変身をして……【痴話喧嘩】をした日から。
ラウラという権力者に対して抵抗する事は、フェストラだけでなくシックス・ブラッドの一同も危険に晒す事だと。
そんな重荷を背負う事は出来ない、オレの両肩では重すぎる責任だと嘆く彼に、クシャナは自分の中に根付きながら、しかし素直に口にする事が出来なかった言葉を放ったのだ。
――私はお前が嫌いだけど、お前の不器用で優しい部分は嫌いじゃないって言ってるんだよ!
――お前が納得していないなら、お前と一緒に戦いたい。
――今度は、お前の言いなりじゃなくて、お前に色んな事を押し付けるんじゃなくて……一緒に、肩を並べて。
――それだけの困難を分かち合って、助け合いたい。少なくとも私はそう思う。
共に戦いたいとする願いを、想いを打ち明けたクシャナの言葉、そして大切な妹であるアマンナを守りたいとしたフェストラは、ラウラから離反し、彼を失墜させる為に動き出した。
それは、迷い、塞ぎ込んだ彼を再起させる言葉ではなく……彼という不器用で優しい男を、狂わせてしまう言葉だったというのか?
「狂ってしまった自覚は無い。しかしお前の言葉によって、迷いがなくなった事は事実だ。そして……お前という女と、肩を並べられる存在になりたいと願った事もな」
何を以て狂ったとするか、それをフェストラには理解できない。理解できる必要も無い。
ただフェストラの望みは、この国の永遠なる安寧と、仲間の幸せ――そして、共に肩を並べるクシャナが、もう二度と苦しまなくて済む世界。
――もし彼女が苦しむ時が来れば、その時は共に並び立つオレも、一緒に傷つこう。
そんな歪な誓いを理由に、彼は永遠の命と強大なる力を手にしたのだ。
「……駄目だ、フェストラ。お前の望みは、願いは……私の望んだ未来じゃない」
フェストラは、何も言わない。ただクシャナに向けて伸ばした手を、そのままにし続けるだけだ。
「私はどんな形であれ、アシッドなんて存在が、人間社会にあるべきじゃないと思ってる。赤松玲が世捨て人であったように、この力は人間と共に暮らすには大きすぎる力だから」
アシッドは、人間の有する力を単純に四十八倍以上も高めた異質な存在だ。
その腕を全力で振るえば、何の力も持たない人々を簡単に殺める事が出来てしまう。
そして、アシッドという存在の有する食人衝動は、どんな強い志を以てしても、抗う事は難しい。
人を喰らう事に対して嫌悪し、元々採食家であり、ベジタリアンであるクシャナも、一度肉を喰らえば、食人衝動は強く彼女に襲い掛かり、抗う際に強い精神力を求められる。
――そんな存在が、人々の前に堂々と立つべきじゃない。
――人々の在り方を強制するような、権力者なんかになるべきじゃない。
そんなクシャナの想いを……フェストラはきっと理解してくれていると、思っていたのだ。
「お前の気持ちは、正直言うと嬉しい。これから先の未来でどんな事があったって、私はお前という男がいる限り、孤独を感じる事の無い未来がある。それは、赤松玲が得る事の出来なかった未来だ」
アシッドという力を有するが故にある孤独、永遠の命を有するが故の孤独。
赤松玲は、だからこそ一人で生きる選択をして、結果として孤独の中で生きる事を強制された。
それに比べたら、共に肩を並べて、共に永遠を生きようとしてくれるフェストラという存在は、クシャナにとっての救いなのだろう。
「けれどそれは、決して選んじゃいけない気持ちなんだよ。私は、お前がただお前であってくれれば、それで良かった……人間のお前と、アシッドの私。ふざけ合って、いがみ合って、嫌い合って、でも心のどこかで分かり合える……そんな関係を、お前が死ぬまで続けていかった……!」
腰を折り、落ちていたマジカリング・デバイスを手に取ったクシャナに対し、フェストラは僅かに項垂れながら、小さく頷く。
「……ああ。お前ならそう言うと、思っていたよ」
本当に、残念そうな面持ちで、フェストラはクシャナに伸ばしていた手を降ろした。
その代わり、彼は懐にしまっていたのだろうゴルタナを取り出し、それを手で握り、彼女へと示す。
「だがもう遅い。オレはオレの道を突き進む事を選択した。そしてお前は、そんなオレと道を違える選択をした。そうだな」
「……ああ、そうだよ」
ゴルタナを取り出した彼と同様、クシャナも拾ったマジカリング・デバイスを取り出し、構える。
少しでも両者が動けば、戦いは始まる。
「クシャナ、オレはお前を殺さない。どんな手を使ってでも、オレはお前を帝国王として、永遠に生き永らえさせてやるさ」
フェストラの言葉に、顎を引いて唾を飲んだクシャナがマジカリング・デバイスの側面指紋センサーに指を乗せようとした……その時。
彼女の真上、ステンドグラスの天井が不意にひび割れるような音と共に砕け、地面へと向けて降り注ぐ音が聞こえた。
反射的に真上を向いた視線の先、そこには一人の男がAK-47を握る姿があった。
「メ」
男の名を口にするよりも前に、男はトリガーを引いた。
銃声と共に放たれる幾多もの銃弾、それがクシャナの身体をハチの巣のように穴だらけとしていき、彼女は体中から血を吹き、血反吐を吐きながら再び地面に倒れる。
「い、がぁ、……ッ!」
銃弾が全身を貫き、その痛みによってクシャナは指に力を入れる事さえ許されない。手から零れ落ちるマジカリング・デバイス、僅かに動かせる脳から肉体に信号を送り、何とか変身を果たそうとするクシャナだったが……天井より身を投げ、墜ちてきた男が、AK-47を放棄しながらポケットより取り出したモノを、クシャナの首筋に押し当て、その側面にあるスイッチを指で押した。
「が、ぐ、ぎ――!」
瞬間、クシャナの全身を流れる電流。それ――携帯式スタンガンは決して人を殺める程の威力を有さないが、しかし人間の筋肉に強制的な収縮を繰り返させ、彼女の身体をビクンビクンと跳ねさせていく。
思うように身動きが取れない肉体に加えて、長時間電流を浴び続けた事により、クシャナはやがて口から泡を噴出しながら、意識を失った。
「く、クシャナ――ッ!!」
「ご安心を、婦人。次期帝国王はただ気絶しただけ、命に別状はありません。……この程度で殺せるのならば、アシッドという存在は神の座に掛ける器ではない」
フェストラとクシャナによる戦いが始まろうとした中へ割って入り、彼女を無力化したのは……メリー・カオン・ハングダム。
彼は気絶したクシャナの名を叫ぶレナに対し、安心するよう呼びかけた後、クシャナの顔を僅かに横へ向けながら噴き出した泡を取り除き、ハンカチでその口を綺麗に拭った。
「……メリー、余計な真似を」
「失礼いたしました、フェストラ様。しかし、クシャナ君――失礼、次期帝国王様とフェストラ様が争った場合、万が一もあり得ますので」
フェストラの悪態に、メリーは片膝をついて頭を下げた。
そんな彼の態度に白けたのか、フェストラはゴルタナを懐にしまい直し、メリーへと背を向ける。
「他の連中は無事か?」
「……無事でない者もおります。ガルファレット・ミサンガと……ルトの死亡を、確認しております」
「――そう、か」
メリーの報告を受け、フェストラは一瞬言葉を詰まらせた。
しかしそれ以上は何も言う事無く、先ほどメリーが叩き割って侵入を果たした結果、そのほとんどが砕けて無くなった、ステンドグラスへと視線を向け、目を閉じた。
それがどんな意味を有しているのか、誰にも真意を理解する事は出来ない。
亡くした者を悼んでいるのか、それとも悲しみに暮れているのか、メリーや他の面々は、問う事さえも許されない空気の中で、彼が動き出すのを待つしかない。
「……メリー。クシャナの回収と軟禁、アスハへの根回しも頼む」
「アマンナ君や、ヴァルキュリア君には?」
「そちらはオレが手を回すさ、これから忙しくなるしな。ルトが亡き今、お前の力が必要だ」
「勿体ないお言葉です。……これから貴方によってこの国は変わる。私などでは果たす事の出来ない、本当の変革が訪れるのであれば、私はどれだけでも、泥に塗れましょう」





