王-10
フェストラの狙いは、自分が死んだと偽装する事により、クシャナとラウラによる一騎打ち状態を作り出し、クシャナを殺せないという条件を有するラウラの実力を封じると共に、クシャナの怒りを呼び起こし、実力を最大限に引き出す事。
その為には、クシャナやラウラに死んだと思わせねばならない。
だからこそフェストラは自分の有するアシッド因子の再生能力を封じ、死んだフリをする。
何せ心臓を失った人間の形をした存在が倒れていたら、それだけで死んでいるものと普通は認識する。
わざわざ頭を消滅させる必要も無いと早合点し、その時点で彼を脅威から外すだろうという考えは、正しい。
『だが……何故お前は、それだけの力が、ありながら……クシャナに、全てを委ねた……? その力が、あれば……我の魔術を封じるなり、因子を消滅させる事も』
「残念ながら、強い力には強い制約があるという事さ。確かにカルファス姫の有する【根源化の紛い物】は封じる事が出来たが、しかしそれで動きを止められるのは、数多いる彼女の内、その一つだけだ」
カルファスという存在が、普通の人間とは異なり親機から命令を与えられる、オリジナルと同等の実力を有する子機として生きている事を、フェストラは知っている。だからこそ彼女の一体を封じる事は出来ても、他の数多いるカルファスの子機を封じる事は出来ない能力の制約を語る。
カルファスは、未だに呼吸のリズムを乱されていると言わんばかりに胸を押さえたままだが、しかし彼の言葉を受け止め、思考を回す酸素は供給できているようで、息を荒くしながらも問う。
「……じゃあ例えば、魔術を封じるとしても、それは『魔術によって形作られた一つ』を封じる能力、って感じかな?」
「ああ。この能力は結局『有する力の一部だけを封じる』能力なんだよ。それに、封じる事が出来るのは力だけだ。アシッドが有する『再生能力』と『固有能力』は封じる事が出来ても『アシッド因子』は封じられない。因子は能力ではなく、アシッドという存在に埋め込まれた特性だからな」
能力と特性の違いがどこにあるか、という定義を決める必要はあるかもしれないが、そこに大した意味はないと、フェストラは語る。
「もしオレがラウラの魔術を封じようとしても、封じられる魔術は一種類だけ。それも多少マナの調整を変えるだけで、扱いとしては別の力と扱われる。第七世代魔術回路持ちのお前を止める程の能力ではない。そしてオレがハイ・アシッドへと覚醒した事をお前が知れば、率先してオレを殺していた筈だ」
彼の言う通り、もしフェストラがアシッドと化していた事を、ラウラが最初から知り得る事が出来ていたら、ラウラはフェストラという男の心臓ではなく、頭を狙い、早急に殺していた事だろう。
それだけではない。そもそも人の命を殺めるという点において、頭を狙うというのは非常に狙いやすく分かりやすい、確実な手段だ。
だからこそラウラは戦いの中で、フェストラの頭、もしくは全身を消滅させる戦法を用いていたが……しかしそこで、フェストラは彼に対し、自分の胸を指さしながら、挑発したのだ。
――お前がもしオレを殺したのなら、庶民の心に傷を残す事となる。そしてその傷は、庶民がお前を喰らう為に必要な力となる筈だ。
――その為になら、心臓の一つや二つ、惜しくはない。
それは、彼が自分の命を差し出してでも、ラウラを止めるという決意の表れ……等ではない。
自分の頭を消滅させない為、完全にこの世から消え去らない為に、そして勝利を手にする為に必要な手段として必要だったから、そうしただけの事だったのだ。
ハイ・アシッドへと覚醒し、優れた能力を手にしたとしても、ラウラという男の脅威を知り得るからこそ、念には念を入れて、少しでも勝てる状況を作り出した。
「とはいえ、それでも十分に危なかったがな。エンドラスという男が現れなかったら……アイツが自分を犠牲にしてくれなければ、庶民がお前に勝てていたかは分からん。根本的なお前の敗因は、運がオレ達に味方してくれたってだけの事さ」
自分の作り出した状況を誇るつもりもないと、そう軽く流したフェストラに、カルファスが目を細めて声を荒げる。
「……フェストラ君、貴方は何をしようっていうのよ」
カルファスの言葉に、フェストラはただ黙っている。
ただジッと彼女の事を見据え、目を逸らさないだけ。
「君がただ、この戦いに勝利する為だけに、その力を自分のモノとする筈がない。君は百手先も見据える男、そんな君が……ただラウラという男に勝利する為だけに、その力に手を出すなんて思えない」
「その問いをする資格は貴女にない。それを問えるのはこの場にいる一人だけ。この力を、この世界へと誘った原点である――お前だけだ、庶民」
フェストラはカルファスから目を背ける。
ようやく身体再生をある程度終わらせたクシャナが、満身創痍の状態で立ち上がり、フェストラを睨むからだ。
「……なんで、アシッドになんかになったんだ。フェストラ」
「そこまで不思議がる事か?」
「カルファスさんの言う通り、お前がアシッド因子なんて力を、ただお父さんに勝つ手段として使う筈がない。アシッドとなる事で訪れる未来を、お前という男が見ていない筈もない」
アシッドという存在は、人肉を主食として動物性たんぱく質を過剰に求める獣の総称。そうした存在に変貌させるモノこそがアシッド因子であり、彼はその存在と立ち向かい続けてきた人間だからこそ、その恐ろしさとデメリットも理解していた筈だ。
「ああ、確かにお前はお父さんの計画を称賛していたよ。神が王となる事で崇拝を一心に集め、民の心を一つに束ねる事の有意義さをね。……けれど」
「そうだ。王という、国を直接動かす事の出来る人間が死なない存在……神として君臨すれば、それだけで民衆は無意識の恐怖を植え付けられる。そして、それはオレの民だけの問題ではない」
仮に今のフェストラがグロリア帝国の王として君臨し、人類社会に存在を認知されれば、きっと彼は畏怖の対象として認識される事となる。
フェストラという人間の有する英知。アシッドという存在の凶暴性、そして不死性。
それらは人間に対する恐怖を与え、討たねばならない異形として映るが、しかしそれを滅する事は出来ない。
世界は混乱に陥り、やがて混乱した世界はフェストラという人間を討つ為の技術や力を求める事となる。
――カルファスが、ラウラを殺す為に核兵器に匹敵する兵器を生み出そうとしていたように。
そんな世界が正しい筈もない。それをフェストラも理解している筈だ。
なのに何故、彼はそんな力を自分のモノとした?
「答えろフェストラ。お前がその力を手にした先の未来を語れ。お前もお父さんと……ラウラ王と同じ道を往くつもりか……!? でもそれじゃあ、ただの二の舞だ。ラウラ王は許されず、お前は許されるなんて道理はない筈だろうが……!」
「そんな道理を立てるつもりはないし――オレはもう、帝国王という座にかけるべき器じゃないと自覚しているさ」
何の未練も無いと言わんばかりに、フェストラはそう断言した。
だからこそ……クシャナは息を呑みながら、彼が何を言っているのかを思考するが、しかしその真意を理解する事が出来ずにいる。
「……お前は、帝国王になるべき存在なんじゃ、なかったのか……?」
「ああ。そのように教育され、オレもそのようになるべく切磋琢磨してきたさ。その上で、オレ以上に帝国王という存在になるべく器も存在しないとな」
「矛盾している。お前は自分こそが帝国王という器に相応しいと言い、けれど帝国王という座にかけるべき器じゃないと、今まさに言ったじゃないか」
「そうだ。……帝国王の玉座に腰掛けるべき存在は、オレじゃない」
フェストラが伸ばした腕、その手はただ真っ直ぐに、クシャナの方へと向けられた。
「お前だよ、クシャナ」
「……わ、たし……?」
「ああ、お前がこの国の、グロリア帝国という国の王となる。それこそが――この国の民を安寧に導く方法さ」
クシャナだけではない。誰もが頭を混乱させていた。レナも、カルファスも。
しかしその中で、唯一フェストラの言葉を理解していたラウラが、再生も出来ず上手く喋る事の出来ない喉を震わせながら、フェストラへ叫ぶ。
『フェストラ……貴様、まさか……クシャナを傀儡とするつもりか……!?』
「人聞き悪い事を言うな。オレはただ、クシャナを国の象徴として祀り上げると言っているだけだよ。……これで二人もようやく、オレの言わんとしている事を理解出来るだろう?」
クシャナとカルファスに向けられた言葉。二人はレナと違い、知力が無い訳ではない。思考力という点において、フェストラやラウラに勝れないだけ。
その上でラウラの言葉を聞けば、その真意も多少は理解できる。
「……私を、権威として祀り上げるつもりか? 飾り物の王として……!」
「そうだ。この国は遂に変革を迎える時が来た。王政にも軍政にも、民政にも傾く事の無い中途半端な国家としての在り方から、王はただの象徴として人々の前に立ち、祀り上げられ、民の信仰を一手に引き受ける存在となる」
それは言ってしまえば、ラウラの企てた神が王の座にかける計画の応用だ。しかし、その実状は明らかに違う。
クシャナはただ神として、王として祀り上げられるだけ。その【権威】としての地位は有し、何不自由無い生活を送る事が出来るようになるが……しかし政権に関わる事は許されない。
神は人々の生活に何ら関わる事は許されない。だからこそ、クシャナの役目は「人々の在り方を見ている事」だけだ。
クシャナの代わりに国家を動かす存在となる【権力者】は別に用意され、クシャナはその権力者の任命責任を果たすだけの傀儡となる。
――しかし、問題はクシャナという女に与えようとしている権威についてではない。
問題は、フェストラという男がなろうとしている存在――【権力】だ。





