表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
270/329

獣-12

「……ルト、さま……?」



 何が起こっているか、アマンナには一瞬、理解が出来なかった。


突然、目の前に現れたルトが、アシッドの一撃を自分の身体で受け止め、その腕がアマンナに達する事はなかった。


けれど……その結果として、ルトの身体はアシッドの一撃により風穴を開けられ、今その腕が引き抜かれる寸前で、彼女は両足に備えていたナイフを引き抜いた。



「ごぼっ、ごほ、っ……ぉおおおッ!」



 普段の彼女が決して出さない声と共に、ナイフがアシッドの左腕……つまり自分の身体を貫通している腕の関節部に向けて振りかざした。


突き刺さった二本のナイフ、その関節部を鋭利な刃が斬り裂きながら、ナイフの柄が強く骨を殴打し、その腕を強引に斬り裂いた。



「ギャ――ガァアアアアッ!!」



 そう叫びながら姿勢を崩すアシッドの首筋に、ルトが最後の力を振り絞る様にして、表情を歪ませながら右脚部を振り込むと、アシッドはその力によって廊下から、一階の園庭へと落ちていった。


落ちていった先、そこには既に剣を構えたアスハがいて、彼女は頭から落ちるアシッドの首を目掛けて、目にも留まらぬ速さで剣を振り抜いた。


 斬り裂かれた首は、そのまま勢いよくアスハの操るアシッド三体の下へと転がっていき、彼らはそれを見据えると、新たな餌とでも認識する様に、それを乱雑に掴んで喰らい尽くしていく。


 その様子を最後まで見届けたルトはホッと息をつくと、自分の胸を貫くアシッドの腕を引き抜いた。


今までそれが傷口を塞いでいた事を証明するかの如く、腕を抜いた瞬間に大量の血が身体から抜けていく感覚を覚え……ようやくそこで、身体の力が抜けたと言わんばかりに尻餅をついて、背中を床に寝そべらせた。



「ルトさま……っ」



 そんな彼女と同じ床を這いながら、必死にルトへと近付くアマンナ。


アマンナの方を見ると、ルトは青白い表情で笑みを浮かべながら、彼女に手を伸ばした。



「アマンナ……無事、だった……?」


「、はい……はい……っ、でも、ルトさまが……ルトさまが……!」



 アマンナが、何とかルトの下へと這い寄る事が出来ると、彼女は残ったマナを何とか投じて、少しでも延命を施せないかと治癒魔術を試みようとするが……しかし、先ほど用いた時間停止の魔眼によって、既にマナは貯蔵庫に無く、こうして身体を動かす事も難しいと言った状態だ。


それに……もし治癒魔術を施せたとしても、既にルトは致死量に近い血液を流し、加えて胸がほとんど風穴状態で、折れた肋骨もあらゆる内臓器官を突き破っている事だろう。数分の延命が関の山だ。


 自分が、とても無力に思える。


そもそも、マナがほとんど失われ、戦力的価値も無い自分が闇雲にシニラを助けるべきだと逸ったからこそ、今の事態を引き起こした。


シニラは、確かにルトの後にハングダムを継ぐ子供ではある。しかし、彼がもし殺されたとしても、ラウラを討った後に国を再建するという事に関して、不都合はなかったと、今考えれば思う。


その後悔を吐き出すように……アマンナは自然と溢れ出る涙を、ルトの流す血と混ぜ合わせる。



「……ちがう、違うわ、アマンナ……あなたは、正しい事を……正しいと、あなたが思う事を、したんでしょう……?」



 血に塗れた手で、ルトはアマンナの頬を撫でる。


彼女の可愛らしい顔立ちが血によって彩られるけれど……しかし、そうであっても、アマンナの愛らしさが失われる事は無い。


 ルトはそんなアマンナの表情を、目に焼き付けたいと言わんばかりに、慈しむような表情で見据えている。



「ならそれは……あなたにとって……正しい、事なの……ただ、影であろうとした、あなたが……自分の、正しさを求めようと、する……それが、私にとって、とっても嬉しい事よ……っ」


「でも、でもルトさまの……ルトさまの命を、わたしは……っ」


「いいの……むしろ、嬉しい……だってこれは……【お母さん】の、役目だもの、ね……?」



 え――と、アマンナはルトの言葉に、思わず口を開け、呆然と思考を停止させた。



「ずっと……黙ってて、ごめんなさい……」


「お、母さん……?」



 そこでようやく、何を言っているのだろう、とアマンナは思考を巡らせる事が出来た。


アマンナは、フェストラと同じウォリア・フレンツ・フォルディアスの精子と、アンス・シュレンツ・フォルディアスの卵子の配合によって生まれた子供である筈だ。


それをルトも知っている筈なのに、何故彼女はそんな事を――。



「あなたの、お母さん……アンスは、私の……親友、だった」



 それは、知っている。そもそもシュレンツ分家とハングダム家には切っても切れない関係があり、同じ位の歳であったルトとアンスは、昔から共に切磋琢磨した仲だと聞いている。



「あなたは、ね……私が残した……冷凍保存した、卵子から、生まれたのよ」


「冷凍、卵子……?」


「子宮を、摘出する、前に……私の、お母さんが……残して貰えるように、手を回して……くれた」



 進行の進んでいたルトの子宮頸がん、結果として彼女は子宮の全摘出手術を受ける事になったが……しかし、ルトの母親であるレイ・ハングダムが手を回し、彼女の卵子を幾つか、冷凍保存を行うよう根回しを行った。


ルトの父親であるガナーも同様の事を検討していたようだが、それはつまりルトの子供が、ガナーの思い通りに教育を受ける事に他ならない。


それに、落ち目同然状態であるハングダムの後継者となった所で、生まれる子供が幸せになれる筈も無い……そう考えた結果、レイはルトの卵子をどう使うか、それをルトに全て任せるとしたのだ。



「アンスは……もう、子供を作れない……わたしを想って……私の、残していた……冷凍卵子を、使って……あなたのお父さんの……精子と、子宮外受精、させたの」



 アンスはシュレンツ分家の中でも優秀な人間で、第五世代魔術回路を有する女だった。


だからこそ同じ第五世代魔術回路を有し、フォルディアス家当主であったウォングは、彼女との間に子供を作り、第六世代魔術回路持ちの子供を作る事に躍起となっていたが……しかし、アンスは親友であり、共に学んだ仲間であるルトが子供を作れないのに、自分が子供を宿すなんて間違っていると考えた。


だからこそ……アンスはルトの冷凍卵子を解凍し、ウォングの精子と人工的に受精させた後、自分の腹に収めたのだ。


婦人科で入院していたアンスの見舞いに訪れたルトは、自分の子供が宿っているお腹を見据えて……どうしてそこまで、ルトの事を想ってくれるのか、それを問うた。



(だってルト、子供を欲しがってたじゃん。それに、私の子供として生まれれば、この子はハングダムの技術を叩き込まれる事になる。それってつまり、本当のお母さんであるルトに、色んな事を教えて貰えるって事じゃん!)



 ルトが子供を産めなかったとしても、例え違うお腹から、股から産まれる子供であったとしても。


この子供はきっと、ルトによって育てられ、強くなる。


それがまるで、輝かしい未来であるかのように、アンスは言う。



(でも、でも私の魔術回路は、第四世代相当……生まれてくる子供は……っ)


(あー、うん。良くて第五世代相当、かなぁ。それをウォング様が気付いてくれなければいいけど……まぁ検査するよね。そしたらどうして第五世代なんだって問い詰められると思うけど、まぁ大丈夫っしょ! 二人目を作れないって位で、きっとそう大した事になんねーって)



 アンスの、太陽のように明るい笑顔。その笑顔は、昔から変わらないで、何時だってルトを元気付けてくれた。


ボロボロと涙を流すルトに、アンスは問いかける。



(ねぇルト。この子の名前、何にしよっか)


(っ、……アマンナ)



 涙を拭っても拭っても、溢れる雫。


やがてそれを止める事は諦めるように、ルトはアンスへと近付いて、彼女のお腹に触れた。



(私が……ずっと昔から、自分の子供に、付けたいと思ってた、名前)


(アマンナ、か。うん、いいじゃんいいじゃん! よっし、今日からアンタの名前はアマンナだ! 良かったねーアマンナ。アンタは幸せな子供だよ。二人のお母さんがいて、こんなに愛して貰えてるんだ。それが幸せじゃなくてなんなのさ)



 アンスとルト、二人の母によって撫でられた胎児は、まるでその名を歓迎する様に、とくんと動く。


 そうして動いてくれた胎児を祝福する様に、二人が笑った事を――今でも鮮明に思い出せる。



「伝えずに……墓場まで、持っていくつもりだった……でも、こうして……強くなった貴女を、前にして……私、耐えられなかった……っ」



 最後に込められる力を振り絞って、ルトはアマンナの身体を引き寄せ、自分の胸に抱く。


温かな身体、小さくて柔らかな肌、そして微かに漂う優し気な香りは、ルトにも、アンスにも……似ている気がする。



「アマンナ……シニラを、お願いね……私は、もう逝くわ。……最後に、貴女を……娘を守れて……最高の、人生だった」


「……お母さん、っ」



 アマンナが思わず、口にした言葉。その言葉を受けて……ルトは満面の笑みを浮かべた。



「ああ……お母さんって、呼ばれるのは……こんなにも、嬉しい事……だった、の……ね」



 アマンナの身体を抱き寄せる、ルトの力が弱まった。


その瞬間、アマンナは理解した。


ルトが死んだ事を――アマンナという娘を守り、彼女を遺して、息を引き取ったと。



「……お、母さん……お母さん……お母さん」



 一回しか呼べなかった言葉を、アマンナは彼女の胸に抱かれながら、何度も何度も繰り返す。


その姿をアスハに、シニラに……多くの十王族関係者に見られながら、それでも構うものか、と言わんばかりに。



「お母さん……お母さん……お母さん――ッ」



最後まで娘を想い続けてくれた母の事を想い返してあげる事が出来ずに、何が娘だろう。


そんな想いを込めた彼女の姿を見た者達は皆……息を呑んで、アマンナの「お母さん」という嘆きを、聞き続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ